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F・Awake

 夜の二十三時。ビルの屋上。

 昔はこのあたりももう少し明るかった。

 今はネオンも減り、灯りの消えたビルばかりが目立つようになった。

 フォレスト感染が日本各地で起こるようになってから、国は少しずつ痩せている。

 眠ったまま戻らない人間が増え、働き手が減り、街の明かりまで減っていった。

 夢の中に沈んだ人間を現実へ引き戻す。それが、対フォレスト特殊部隊《VIGIL》の仕事だった。

 肩書きだけ見れば国家公務員だが、実態は災害対応と人命救助の中間みたいなものだ。


「夢がねえ話だな」


 アウロはタバコに火をつけ、遠くの街明かりを眺めながら煙を吐いた。

 フォレストの発生件数に対して、VIGILの人員は圧倒的に足りていない。

 一日に対処できる案件は原則一件。だから優先されるのは、帰還率の高い浅層だった。

 第五層以降への安定侵入は、まだ実現していない。

 救える人間から救う。それが今の日本の限界だった。

 イヤーピースが短く鳴る。


『こちらVIGIL。アウロ、応答できますか?』


 聞き慣れた、抑揚のない声だった。


「休みで黄昏中のアウロです。どうぞ」

『仕事です、アウロ』

「会話する気ある?」

『東国第五区にてフォレスト感染を確認。対象は高齢男性。現在、第一層にて停滞中です』

「浅いな」

『本日の優先対象になります』

「ほかは?」

『第三層が二件。第四層が一件。第五層以降は観測のみです』


 アウロは煙を吐いた。


「見捨てるには、まだ早いって判断か」

『現状の戦力では、第五層以降への安定侵入は困難です』

「わかってるよ。だから浅いのから拾う。正しい判断だ」

『レヴァンからの命令です』


 その名を聞いて、アウロの口元が少しだけ止まった。

 数秒だけ空を見上げる。


「手当は?」

『上乗せとのことです』

「それを先に言えよ。国家予算、愛してる」

『最低です』

「清く正しい公務員だろ?」


 アウロはコートの内側から黒い拳銃を抜いた。

 昔からある、九四式拳銃に似ているが、銃身には不自然な金属の溝が走り、グリップ中央にはコインスロットが埋め込まれている。対フォレスト固定装具、通称アンカー。

 フォレスト内で現実側の基準を固定し、夢の構造に干渉するための武器だった。

 アウロはコインを一枚、スロットへ差し込む。

 カチ、と乾いた音がした。


 ――ジョブ:ガンナー

 ――ロール:カウンター


 銃身が低く鳴る。脈打つような振動が、掌に伝わった。


「ゼロ発スタート。ほんと終わってんな、この武器」

『被弾数十発ごとに一発装填されます』

「設計したやつ、絶対性格悪いだろ」

『アウロ向きです』

「悪口?」

『事実です』


 アウロは笑い、銃を軽く回して構えた。


「いってくるよ、リンちゃん」

『支援します』


 次の瞬間、世界が歪んだ。ビルの輪郭が引き延ばされ、空がねじれ、重力が一瞬だけ消える。

 落下。

 そして、着地。

 そこは夕焼けの町だった。

 やけに赤い空の下に、昭和の看板、錆びたシャッター、ひび割れた道路が並んでいる。

 現実ではもう失われたはずの景色が、誰かの記憶の中でまだ息をしていた。


『第一層を確認。対象精神傾向は後悔・未練が主軸です』

「見りゃわかる」


 少し先に、白髪の老人が座り込んでいた。その前には、若い兵士の影が立っている。

 軍帽を深くかぶり、顔は黒く塗り潰されていた。


「……まだ、終わってない」


 老人の声が震えている。

 アウロは銃を下ろしたまま近づいた。


「おい、爺さん」

「……貴様は誰じゃ」

「『貴様』はやめろって。俺はアウロ。」

「アウロ……変な名じゃ」

「失礼なじじいだな。でもんなことはどうでもいい。今あんたはフォレストの中にいる。夢の底だ。このまま沈んでると、現実のあんたは寝たきりになる。運が悪けりゃ、そのまま終わる」


 老人の目が揺れた。だが、視線は兵士から外れない。


「……ここにいれば」

「ん?」

「あの子は、まだあそこで倒れたままなんじゃ」


 アウロは兵士を見る。

 若い。若すぎる。制服も身体に合っていない。


「……戦争か」


 老人の喉が震えた。


「儂が撃った。撃たねば、儂が死んでおった。……じゃが、ずっと夢に出る」


 兵士がゆっくり銃を向ける。

 アウロは少しだけ黙ったあと、息を吐いた。


「そりゃ、忘れられねえよな」


 そして立ち上がる。


「でもな、それ、終わってねえだろ」


 発砲。

 乾いた銃声が響き、アウロの肩を撃ち抜いた。血が散る。


「っ……!」

『被弾を確認』


 銃身側面に淡い光が走る。

 兵士は続けて撃った。腹、脇腹、太腿。衝撃で体が揺れる。それでもアウロは下がらない。


「やめろ……!」


 老人の声を無視して、兵士は撃ち続けた。

 アウロは血を吐きながら、口元だけで笑う。


「……いてぇな、ほんと」

『現在被弾数、三十』


 銃声が止んだ。

 弾切れ。

 アウロはゆっくり銃を持ち上げる。スライド側面に光る数字は、三。


「三十発で三発。割に合わねえな」


 兵士が突撃してくる。

 アウロは銃口を向けた。


「カウンター――リリース」


 引き金を引く。

 一発目。空気ごと撃ち抜く衝撃が、兵士の胴体を吹き飛ばす。

 二発目。肩口を撃ち抜き、身体を宙へ浮かせる。

 三発目。頭部を貫く。

 軍帽が宙を舞い、黒塗りが剥がれた。一瞬だけ見えた若い顔は、あまりにも幼かった。

 そして、崩壊。


「ああ、、すまん、わしのせいで。」


 夕焼けの町に静寂が落ちる。

 アウロは息を吐いた。


「……終わりだ。帰るぞ」


 老人は崩れ始めた町を見つめていた。


「……いいのか」

「知らねえよ」


 少しだけ間を置く。


「でも、起きねえと、そいつはずっと『殺されたまま』だ」


 老人の目が揺れる。

 震える手が、ゆっくりと伸びた。

 アウロはその手を取る。


『階層崩壊を確認。帰還プロセス開始』


 世界が白く崩れていく。


「ありがとうな、アウロ」

「気にすんな。仕事だ」


 光の中で、老人が問う。


「お主らは何者なんじゃ」


 アウロは小さく笑った。


「夢から起こす側だよ」


 白に飲まれる直前、低く言う。


「――F・Awake」


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