The Promise
レヴァンは静かに病室の扉を閉めた。
椅子を引き、アカネの隣へ腰掛ける。
しばらく何も話さない。
ただ娘の寝顔を見つめていた。
「……変わらないな。なかなか来れずごめんよ」
返事はない。
機械音だけが静かに響く。
「アウロは相変わらずやんちゃ息子だよ」
レヴァンは小さく笑う。
「お前がいてくれたらな」
ベッドの下で、アウロは息を潜める。
「怒っていたよ」
「当然だ」
「私も、あいつの立場なら同じことを言う」
レヴァンはアカネの前髪をそっと整える。
「それでも渡せない」
「私は、お前たち二人を失いたくない」
少しだけ俯く。
病室に沈黙が流れる。
レヴァンは静かに目を閉じた。
「覚えているか」
「お前の最後の任務を」
「第四階層。」
「何でもない救助任務だった。」
「そう思っていた。」
レヴァンは、あの日に何が起きたのかを、途切れ途切れに語り始めた。
ベッドの下で、アウロはその声に耳を澄ませた。
レヴァンには、今でも昨日のことのように思い出せる。
――第四階層。
崩れた商業施設。
天井から光が差し込み、瓦礫の上を白く照らしている。
「ラン、保護対象を確保したよ」
『確認しました。帰還シーケンスを開始します。』
「了解」
アカネは倒れていた女性へ毛布を掛ける。
「一緒にやり直そうね」
「戻ったらいっぱい話しましょ」
「好きなカフェとか、美味しいご飯とか」
「夢じゃなくて、現実で」
女性は涙を流しながら頷いた。
『アカネ、精神反応安定。帰還まで三十秒です。』
「了解」
その時だった。
アカネの足が止まる。
「……あれ?」
『どうしました。』
「ラン。」
「まだ一人いる。」
瓦礫の奥。
崩れた柱にもたれるように、一人の青年が立っていた。
二十歳くらいだろうか。
白いシャツ。
黒いズボン。
泥一つ付いていない。
その姿だけが、この世界から切り離されているようだった。
『確認できません。』
「え?」
『生命反応は保護対象一名のみです。』
「そんなはずない。」
青年はアカネを見ている。
ただ、それだけだった。
「ラン、本当に見えてないの?」
『はい。対象は確認できません。』
アカネはゆっくり青年へ近付く。
「大丈夫?」
青年は少しだけ首を傾げた。
「君は。」
「人を助ける仕事なんだよね。」
「……そうだけど。」
「君なら見つけてくれると思った。」
「ずっと待ってた。」
「誰も僕を見つけてくれなかった。」
アカネは息を呑む。
「あなた……誰なの?」
「ツリー。」
「ツリー?」
「そう呼ばれてる。」
『アカネ、帰還シーケンス開始まで十秒。』
「ラン、待って。この人を置いていけない。」
『対象は確認できません。帰還を優先してください。』
ツリーは静かに右手を差し出した。
「助けて。」
その声はあまりにも弱かった。
救助対象は確認できない。
ランには見えていない。
それでも目の前には確かにいる。
助けを求めている。
『アカネ、帰還シーケンス開始まで五秒。』
「すぐ戻る。」
『アカネ、接触しないでください。』
アカネはツリーの手を取った。
その瞬間だった。
世界が軋む。
瓦礫が浮き上がる。
光が歪む。
空間そのものが裏返る。
「……え?」
落ちた。
足元ではない。
夢そのものが、底を抜いた。
「なに……これ。」
『帰還シーケンス異常。』
『接続固定失敗。』
ランの声が初めて乱れた。
『アカネ、応答してください。』
「ラン、聞こえる……これ、どこ――」
通信が白いノイズに飲み込まれる。
『アカネ!』
『アカネ、応答してください!』
モニターが激しく警告音を鳴らした。
第四階層を示していた深度表示が点滅する。
ERROR
ERROR
ERROR
『深度測定不能。』
『帰還座標、消失。』
ランの顔から血の気が引いた。
「……そんな。」
モニターが黒く染まる。
そこに表示された文字は一つだけだった。
CONNECTION LOST
ランは椅子を倒す勢いで立ち上がる。
扉を開け、廊下へ飛び出した。
「レヴァン隊長に繋いでください!」
通信担当が驚いた表情で振り返る。
「どうしました!」
ランは震える声で答えた。
「アカネが――」
「帰還できません。」
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第十二話 The White Room
司令室の扉が勢いよく開いた。
「レヴァン隊長!」
ランの声は震えていた。
司令室にいた全員の視線が一斉に集まる。
レヴァンはゆっくりと立ち上がった。
「どうした。」
「アカネが帰還できません。」
部屋の空気が止まる。
誰もその言葉を理解できなかった。
レヴァンはランの前まで歩く。
「深度は。」
「測定不能です。」
「帰還座標は。」
「消失しました。」
「通信は。」
「応答ありません。」
レヴァンはモニターへ目を向ける。
黒い画面には、ただ一つの表示だけが残されていた。
CONNECTION LOST
部屋中が静まり返る。
「隊長……。」
一人の隊員が口を開いた。
「深層です。」
「もう……。」
「分かっている。」
レヴァンは短く答える。
「フォレストコイン使用申請を出す。」
司令室がざわついた。
「隊長!」
「前例がありません!」
「深層ですよ!」
「だからだ。」
レヴァンは誰の顔も見なかった。
「娘を迎えに行く。」
その日、本部へ申請書が提出された。
翌日。
返ってきた答えは一枚だった。
却下。
『深層への侵入は禁止。』
『使用者の生還は保証されない。』
レヴァンは黙って書類を閉じた。
二日目。
もう一度申請する。
却下。
三日目。
却下。
四日目。
却下。
五日目。
却下。
六日目。
ランは隊長室の扉を開く。
机の上には申請書が積み重なっていた。
レヴァンは一度も帰宅していない。
「隊長。」
返事はない。
「少し休んでください。」
レヴァンは書く手を止めなかった。
「休む?娘を取り戻したらな。」
ペン先が止まる。
「父親だけ眠るわけにはいかない。」
ランは何も言えなかった。
七日目。
一枚の封筒が隊長室へ届く。
レヴァンは静かに封を切る。
赤い承認印。
フォレストコイン使用許可。
たったそれだけだった。
地下最深部。
重い隔壁が一枚ずつ開いていく。
幾重もの認証を抜けた先。
一つのガラスケースだけが静かに置かれていた。
銀色のコイン。
それがフォレストコインだった。
レヴァンはゆっくりケースを開ける。
「準備は。」
『完了しています。』
ランの声も、いつもより小さい。
「始めよう。」
レヴァンはスリープアンカーへ横たわる。
『精神同期開始。』
『フォレストコイン認証。』
端末に、コインの内部構造が映った。
情報を保持する構造は、ジョブコインによく似ている。
ただ、そこに刻まれているのは職能ではなく、経路だった。
『深層接続開始。』
視界が白く染まる。
音が消える。
風がない。
匂いもない。
重力すら感じない。
白。
前も。
後ろも。
上も。
下も。
世界には白しか存在しなかった。
レヴァンは静かに歩き始める。
自分の足音だけが響いていた。
「……ここが深層。」
「ようこそ。」
声が響く。
レヴァンは立ち止まる。
一人の男が立っていた。
年齢は分からない。
表情も変わらない。
ただ穏やかに笑っている。
「君が来ると思っていた。ここは深層ではないよ。君に会いたくて作ったんだよ。」
レヴァンは迷わずアンカーを向けた。
「娘はどこだ。」
男は小さく笑う。
「まったく最強があせるなんて。」
「返せ。」
「返す?」
男は首を傾げる。
「彼女は物じゃない。」
レヴァンは一歩踏み出す。
「娘はどこだ。」
男は背を向ける。
「まあいい会いたいんだろう。案内するよ。」
男は白い世界の奥へ歩き始めた。
レヴァンはアンカーを構えたまま、その背中を追った。
20分ほど歩いてから男は歩みを止めた。
「着いたよ。」
レヴァンの前に、一枚の扉が現れる。
白しかなかった世界で、その扉だけが色を持っていた。
「この先が娘さんの世界。」
レヴァンは男を睨む。
「お前は来ないのか。」
男は静かに首を横へ振った。
「これは家族の話だ。」
「私は邪魔者だからね。」
男は扉の横へ寄る。
「行っておいで。」
白いフードを被った男の口元は不気味に笑っていた。




