Hospital Ward
東国第五総合病院、地下隔離区画。
エレベーターの扉が静かに開く。
アウロはゆっくりと歩き出した。夢の中で受けた痛みは消えていない。
神経の奥が、まだ鈍く軋んでいた。
コートの内側にはアカネの銃。
ポケットにはコマンダーのジョブコイン。
そして、VIGILの手帳だけは持っていない。
「随分軽くなったな」
小さく笑う。
地下病棟へ続く廊下は静かだった。
白い照明だけが床を照らし、夜勤の看護師が数人歩いている。
「こんばんは」
受付の奥から声がした。
「あ、アウロくん」
ナナミだった。
アカネが眠ってから、何度も顔を合わせてきた看護師だ。
「どうも」
ナナミは少し困ったように笑う。
「さっき司令官から連絡きたよ」
「早いね」
「フォレスト対策部隊、辞めるって本当?」
アウロは肩をすくめた。
「救いたい人も救えないなら、ここにいる意味はないからね」
ナナミは少しだけ黙る。
「……そっか」
「知ってるなら話は早いや。アカネに会いたいんだ」
「面会時間、とっくに終わってるよ?」
「少しだけ」
二人は少しだけ笑った。
ナナミは端末を操作する。
「今月の面会時間、あと一時間しか残ってないよ」
「十分ある」
「今日で使い切る気?」
「うん」
アウロは少しだけ目を伏せた。
「これでアカネと会えなくなるかもしれないんだ。だから今日くらい許してよ、ナナミさん」
ナナミはしばらくアウロを見つめ、小さく笑った。
「……いいよ」
「さすが」
「でも一つだけ」
「ん?」
「約束ね。いい男紹介してよ」
アウロは少しだけ首を傾げる。
「俺よりいい男でナナミさんに会う人なんていないよ」
「それはアウロくんが考えてよ」
「随分難しいお題だね」
「待ってるからね」
「……ありがと」
その言葉が、またここへ来てもいいと言ってくれた気がした。
「あっ、あと悪いことだけはしちゃ駄目だからね?」
「努力します」
「私、怒ると怖いから」
「ナナミさんには怒られたくないからやめとくよ」
二人は顔を見合わせて笑う。
「行っておいで」
アウロは軽く手を振り、病棟の奥へ歩き出した。
廊下の突き当たり。
一番奥の病室。静かに扉を開く。
病室には機械音だけが響いていた。
眠るアカネは、あの日と何も変わらない。
長い睫毛。少しだけ伸びた髪。
規則正しく上下する胸。
ただ眠っているだけ。
そう見えてしまうことが、一番残酷だった。
アウロはベッドの横まで歩く。
「……来たよ」
返事はない。
ゆっくりと椅子へ腰掛ける。
「レヴァンと喧嘩した」
静かな病室に声だけが残る。
「まあ、俺が悪いんだけどさ」
アカネは眠ったままだ。
「でも、お義父さんも間違ってる」
「俺は諦められない」
ベッド脇のロッカーへ目を向ける。
財布。
読みかけの文庫本。
髪留め。
小さなポーチ。
ここにある物は、あの日から時間が止まっている。
「……帰ろう」
ポケットから一本の鍵を取り出す。
ベッド固定具のロックを外すための鍵だった。
「もう、一緒に帰ろう」
その時だった。
「失礼します」
「レヴァン第五支部司令官です」
廊下から声が響く。
「お疲れ様です!」
敬礼の声が続く。
アウロの表情が変わった。
「……まずい」
こんな時間に。
咄嗟に病室を見回す。
隠れられる場所は一つしかない。
ベッド脇のカーテン。
アウロは音を立てないよう、その裏へ身を滑り込ませた。
足音が近付いてくる。一歩。また一歩。
迷いのない足取りだった。
病室の前で止まる。
静かにドアが開いた。
レヴァンが入ってくる。
司令官の顔ではなかった。
父親の顔だった。




