85 番外編39 ブランコ
「ブランコを作る?」
執事長が庭で木材を切っているのを目にしたシリウスは、なにをはじめるのだろうかと気になり外へと出てきたものの、話を聞いて余計に戸惑った。
庭にある大きな木の太い枝に、二本の太いロープを繋いでブランコを作る予定らしいが、危険ではないだろうか。
もちろん強度の云々の問題ではなく、アナの問題だ。執事長が中途半端な仕事をするはずがないのでブランコの強度に不安はない。あるとすれば木が人の重みに耐えられるかだが、そのあたりも考慮して木を選んでいるだろう。
「ブランコなんてアナにはまだ早くないか? 落ちたり、振り落とされたり、座面と地面の間に挟まれたり……怪我をする想像しかできないが……」
「あな、ぶーらんこなのー! できるこなのー!」
できるできないの問題ではなく、どれだけ気をつけていても一瞬の気の緩みで事故は起きる、という話だ。
執事長もサフィニアも乗り気だったらしく、反対するシリウスに困った様子だ。
「ですが、シュシュちゃんのお家にはブランコがあるそうですよ?」
「よそはよそ、うちはうちだ」
大人しい子ならばここまで言わないが、アナのように目を離した隙にあちこち行ってしまうような娘は、ブランコにだって無茶な乗り方をしかねない。
アナは拗ねたのか、むぅっとむくれた顔をしている。
「パパ、なんで、あなどるの?」
「侮るって……むしろなぜそう難しい言葉を使いたがるのか、こちらが訊きたいのだが」
そしてなぜそこまで自分を過信できるのかわからない。
「だいたい、侮るの意味をわかって言っているのか?」
「あなを、とる。あなどる」
違うが、念のため訊いた。
「……アナの、なにを取るんだ」
「やるき」
アナのやる気を削いでいるのは間違いないが、取ってはいない。
「でしたらブランコの下にやわらかな土を敷き詰めて、ブランコ自体もゆったりと座れる二人がけの長椅子型にしましょうか」
執事長の代替案にアナがちょっと不服そうにスカートを握りしめている。
「あな、できるこなのに……」
「でも、アナ? ふたりがけならママと一緒に乗れるのよ?」
アナが目をぱちくりとさせる。アナが知っているのはひとり用のブランコだけなのだろう。
「ママも? いっしょ?」
「ふたりで座って乗れるのよ?」
サフィニアがアナと並んで、こうやって乗るのよ、と説明しながら実演して見せると、なんとなく雰囲気が掴めたらしいアナがぱっと目を輝かせた。
「ママとのるー」
そのひと言でふたりがけブランコに決定した。
それでもまだ不安要素は残るが、アナが乗るときは必ず誰かが見張るようにすればいいだろう。もちろん常にともにあるジェノベーゼにも、どこにいるかわからないグスタフにも、しっかりと厳命しておく。
「パパとは乗らないの?」
「パパ、ぶらんこ、こわいこなの」
ブランコ制作に文句をつけたせいで、ブランコが怖くて乗れない人の烙印を押されてしまっている。
「怖くはない。危ないから心配なだけだ」
「パパ、しんぱいしょーね?」
アナがジェノベーゼへと話しかけ、ジェノベーゼも瞳をちかっとさせて同意している。
心配性というわけではないと訂正したがアナはもう聞いておらず、執事長と使用人たちが作るブランコへと興味が向いてしまっている。
「しかし、ブランコか……。その手の遊具とはあまり縁がなかったな」
好んで外で遊ぶ子供ではなかったが、もしシリウスがブランコに乗りたいと言っていたら、執事長が作ってくれていただろう。
腕に抱っこしたカプレーゼを撫でながら、サフィニアも昔を思い出すような仕草をしながら言う。
「わたしも遊具で遊ぶことはなかったように思います」
遊ぶ暇があれば祈っていたのだろうことはお見通しだ。
「♪ぶーらんこ、ぶーらんこ」
アナがブランコの歌を歌いながら走り回り、シリウスとサフィニアはのんびりと完成を待つ。
そしてさほど時間がかかることなく、ブランコは完成した。
手作りなのでもっと簡単な作りのものができると思っていたが、木の枝から繋がれていなければブランコだとは気づかないくらいに、上等なふたりがけの椅子だ。背もたれがあり、クッションをおける幅もある。そしてアナがブランコとして乗って無茶をしても飛んでいかないよう、前面にはなにやらやわらか素材でできた安全バーもついていた。
早速とばかりにアナが片側に座り、その隣にサフィニアが腰かけると、安全バーを下げた。ブランコは頑丈さを表すかのように、左右で体重差があっても傾いたりはせず、水平を保っている。地面からの高さはアナの足の長さに合わせているのでわりと低めに設定してあるが、きちんと漕ぐことができるのだろうかと思いながら、シリウスはブランコの後ろへと回った。
「押すか?」
「お願いします」
「パパ、ぜんりょくねー」
「全力で押していいんだな?」
シリウスは意気込み、父親の全力というものを見せつけるべく両手で思い切りブランコを押した――が、想定の半分も揺れなかった。
「……」
こちらを不思議そうに振り返ったアナの無垢な瞳が痛い。
「……まだ、コツが掴めていないからだ」
「わたしは降りましょうか……?」
サフィニアが気を遣って申し出てくれたが、彼女が重いわけではない。シリウスがブランコを押し慣れていないせいだ。
執事長に軽いレクチャーを受けてから、仕切り直して再度ブランコの背を押す。
今度はうまく動き、ブランコらしく大きく揺れたことにアナは大喜びで足をばたつかせた。
「ぶーらんこなのー!」
「アナ! 手はきちんとロープを握っていなさい」
ロープから手を離そうとしたので慌てて注意する。
ロープをしっかりと握り直したアナは、前後にゆらゆらと揺れる度にきゃーきゃーと大喜びだ。
そして全力を出して疲れたので、シリウスは押す係を早々に執事長と交代した。
今はサフィニアが下りて、アナが横にジェノベーゼとカプレーゼを乗せて揺れているが、どういう原理でぬいぐるみたちが飛ばないか、わからない。
「乗り心地はどうだった? 気分が悪くなったりしなかったか?」
「大丈夫ですよ。ひとり乗りと違って、大きく揺れ過ぎないのがいいかもしれませんね」
揺れがゆったりなので、ぬいぐるみたちも落ちないのだろうか。ジェノベーゼは翼でうまく微調整をしながら乗っているが、カプレーゼは特になにもすることなく涼しい顔で風を感じている。
アナは手を離すなという教えをしっかりと守り、手の代わりにシリウスへと足を振った。
「パパー!」
それはどうなのかと思っていると、靴がすぽっと脱げてそのまま飛んだ。
「おくつーー……!」
放物線を描いて飛んで行くアナの靴。
アナが両手を伸ばすもブランコは後ろに揺れて無情にも靴からは遠ざかる。さらにはロープを離したことにより、アナの体が前のめりに傾ぎ、あわや転落の危機だと肝を冷やしたシリウスとサフィニアだったが、安全バーががっちりと娘の体を受け止めていた。ジェノベーゼとカプレーゼも安全バーに前脚を乗せてしっかりと掴まっている。安全バーが見た目以上の高性能だった。
アナの無事な様子にサフィニアとふたりほっと胸を撫で下ろす。靴に関しても、落下地点を予測して移動していたらしい執事長が、難なくキャッチしてことなきを得た。
ゆらゆらぶらんこで揺れながら、アナは執事長へと称賛を送る。
「ひつじじゃん、しゃすがなの」
直前までブランコの背を押していたはずなのに、誰もが「あっ」と思ったときにはもう動き出しているのだ。本当に、さすがと言うよりほかない。
しかし執事長にばかり頼っていてはいけないと、ゆっくりと停止したブランコの横にシリウスは立った。
「アナ。靴が飛んでも、ジェノベーゼが飛んでも、執事長が受け止めるから絶対にロープだけは離すな」
ジェノベーゼが胡乱な瞳でシリウスを見た。飛んで行かないに越したことはないが、普段からすいすい飛んでいるのだ。万が一落ちても自力で着地できるだろう。信用からの言葉なので見逃してほしい。
靴に関しては飛んでもなにも問題はない。放っておいてもそのうち誰かが拾う。靴のためにアナが飛び出そうとする方が危険だ。
「ろーぷ、ぜったい」
「そうだ」
「あくしでんとでも?」
「アクシデントでもだ」
なぜアクシデントなどという言葉を知っているかは置いておくとして、なにが起きようとロープだけは離さないことを今しっかりと言い聞かせておかなくてはならない。
アナはちょっと考える素振りをしてから、ブランコから下りるとシリウスへと言った。
「パパ、おてほんしてー」
「お手本?」
「おてて、はなしちゃ、めっ、よ?」
それでアナがきちんと乗れるのならと、シリウスは安全バーを上げてブランコに体を滑り込ませた。座面が低いことを除けば大人でも座り心地自体は悪くない。ただ、やはり座面が低いので足を持て余す。しかしそれを口にするといらぬ諍いが生じそうなので、黙って足を縮こまらせた。
「ひつじしゃん、おしてー」
執事長がシリウスの背後に回り、行きますよと合図をしてからブランコを押した。
勢いよく前後にゆらゆらと揺れるブランコ。安定感に問題ないが、なにが楽しいかは残念ながらわからないまま揺られ続けていると、とことこ歩いてなにかしようとしていたアナが、急に、こてんと前のめりに転んだ。
「大丈夫か!?」
慌ててブランコから降りようとシリウスがロープから手を離すも、安全バーによってがっちりと行手を塞がれる。安全バーからどうにか逃れようとしていると、今にも泣きそうな顔をしたアナが、ロープから手を離しているシリウスを目にすると、指を突きつけた。
「パパ、おてて、はなしたー!」
「いや、今のは……」
シリウスの言い訳を遮るように、サフィニアに抱き起こされたアナが訳知り顔で続ける。
「あくしでんと、おてて、はなれちゃうの」
「……」
「ねー? パパもでしょー?」
アクシデントの際は手が離れてしまっても、それは不可抗力だと言いたいらしい。
実際シリウスは手を離してしまった。手を離したところで安全バーがあるので、まったく問題ないことも知ってしまった。
自らが実例となってしまった今、アナに強く言えない立場になっている。
「……わかった。言い方が悪かったことは認める。だがアクシデントでも、極力手を離さないようにしなさい。離してしまったことに気づいたらすぐに握り直すこと。わかったな?」
「うんー」
「それと、アナ。アクシデントのふりをしてわざと転ぶのはだめだ」
シリウスに言われて転んだことを思い出したのか、アナはちょっと涙目になると、不服そうに訴えた。
「わざと、ちがうの……」
アナはサフィニアによしよしと頭を撫でられながら慰められている。痛くはないようだが、不本意な転倒が不満らしい。
「転んだのは本当なのか? 誤解してすまない……大丈夫か?」
「ころぶの、おりじなるあくしでんとなの」
(オリジナルアクシデント……)
「……つまり、普通のアクシデントということだな?」
「わざとはねー、ばったもんあくしでんと」
(ばったもんアクシデント……)
偽装アクシデントと言いたいらしい。
「だったら、アナはばったもんアクシデントで、なにをしようとしたんだ?」
問いかけると、アナは地面を指差した。
「むししゃん、いたの」
「……」
「ばったしゃん」
「……」
アナは無垢な瞳をシリウスへと向けた。
「パパのおかおに、ぺいって、するのだったの」
バッタを捕ってシリウスへと投げつける予定だったらしい。
アナが転んでしまったことを喜ぶわけではないが、恐ろしい犯行計画が未遂に終わったことは幸いだった。
バッタが顔面に飛んで来ていたら、ロープなど離してブランコからの離脱を試みただろうが、安全バーに逃亡を阻まれバッタの直撃を受けたかもしれない。ぞっとする。
「ばったもんあくしでんと」
ばったもんアクシデントは、偽造のアクシデントという意味ではなく、バッタのアクシデントという意味だった。
シリウスはいつバッタの襲撃を受けるかもわからないブランコから早々に降りると、アナへと譲る。
「安全を心がけて乗りなさい」
「ぶーらんこー!」
アナは転んだことも忘れて、嬉々としてブランコへと乗り込むと、隣の座席にジェノベーゼとカプレーゼを並べて置いた。
「常に我々が見守っているのでご安心ください」
執事長に言われたシリウスは周囲をぐるりと見渡す。確かにこれまで気にしていなかったが、仕事中の使用人たちがこちらを観察している気配がある。アナに気取られないように、アナの動向を見守っているのだ。
これだけ周りが気にしているのならと、シリウスはおとなしくブランコから手を引いた。
ブランコでなくとも無茶をするのだから、幼いアナに言い聞かせるよりも、執事長をはじめとする使用人たちの優秀さを信じた方が確実である。
「♪ぶーらんこ、ぶーらんこ」
ブランコに乗って揺れるアナは楽しそうで、もううるさいことは言わないと決めたはずなのに、シリウスはやはりこう声をかけてしまうのだった。
「手は離さないように」
ふたりがけのブランコ
いつかは妹と一緒に乗る予定




