82 番外編36 お馬のシール屋さん
「ぺたー」
お気に入りのブラウニー着ぐるみを着たアナが、大ぶりの手帳のようなものに嬉々としてなにかを貼りつけている。
「次はどれを貼る?」
サフィニアが尋ねると、アナは迷う素振りを見せてから「おはなー」と言って、切り抜いた花の絵を選び取ると、再び手帳へ「ぺたー」と張りつけた。
絵自体はアナが描いたものだが、その輪郭に沿う形で切り取られている。
シリウスはなぜ絵が貼りつけられるのかを不思議に思い、アナの手元を覗き込みながら尋ねた。
「それは? 絵なのか?」
「しーる」
「しーる? なんだそれは」
首を傾げるシリウスにサフィニアが補足する。
「シールとは、貼りつけられる絵のことです」
「貼りつけられる絵……シール? はじめて聞いたな」
「これはねー、しーるちょー」
アナが分厚い手帳を手のひらでぺちぺちと叩いて示す。
「しーるちょー? シールを貼りつける手帳……で合っているか?」
「そうなのー」
アナはたった今貼ったばかりの花の絵をの端を指で摘むと、ぺろんと簡単に剥がして見せたのでシリウスは驚いた。
「くっついて、剥がせるのか? 便利だな」
感心するシリウスを見て、アナはにこにこしながら再びシール帳へと花の絵を戻す。再度貼りつけることも可能らしい。
単純な仕組みのように見えるが、これまで誰も思いつくことのなかった新技術だ。剥がしてから、また貼り直せるというところに実用性を感じる。
「アナ。これは、どうやって作った?」
「あのねー、きぎょーひみつなのー」
「……そうか」
わかってはいたが、そう簡単には教えてもらえないらしい。
しかし、あまり軽率に人に話すと技術を搾取されかねないので、親とはいえシリウスにも口を割らなかったことは評価できる。
「よく作れたな」
「きぎょーどりょくしたー」
企業ではないのだが、試行錯誤して努力したと言いたいのだろう。
売り出せばまたアナのおもちゃ箱貯金が潤いそうだが、商品化されていないところを見るに、量産が難しいのだろう。
シリウスはアナの許可を得てシールの一枚を手に取り、また驚いた。裏面がベタついていることは想定内だったが、それが指につかないことに驚かされたのだ。
(なるほど、この程よいベタつきで、貼っては剥がせるようになっているのか)
なにからできているのだろうかと、ベタつきを何度か指の腹で触ってみる。何度も貼り直しができるので、シリウスが普段使用している植物由来ののりとももちろん違う。それにあれは指にくっつくと、なかなか取れずに不快なのだ。
色は無色透明であり、匂いを嗅いでみたが無臭。これは一体なんだろうか。
「この裏面の素材はなんだ?」
尋ねるとアナは顔を上げ、にこにこしながらこう言った。
「じぇのべーぜのよだれー」
(よだ……)
シリウスは手にしていた一枚を、無言のまま丁重にシール帳へと返却した。
ジェノベーゼが物言いたげにこちらを見ていたが、そこは見逃してほしい。
企業秘密と言っていた割にあっさりと情報を漏らしたアナだったが、漏らしたところで誰も真似できない技術だった。量産が難しいわけだ。
「つぎ、いちごしゃんつくるー」
苺の絵を摘んだアナは、絵の裏面をジェノベーゼの鼻先へ持って行く。するとジェノベーゼがその紙を、ぺろんっ、と舐めた。
「……」
言いたいことは多々あるが、逆になにも出てこない。
とりあえず、本当にジェノベーゼのよだれでできていた。
むしろ嘘や冗談であってほしかったが、そこに偽りはひと雫も存在しなかった。
(……いや、ぬいぐるみによだれなんてあるはずがないのだが)
湿気は大敵のぬいぐるみ。水気とは無縁の暮らしを送っている。
あるとすればアナがジェノベーゼを水に濡らして、その水気が未だ乾かず内部に溜まっているということくらいだが、ジェノベーゼは普段通りふんわりしている。水が溜まっているような様子は見受けられず、むしろアナと同じお日様の匂いがしている。日中、仲良く外で遊んだのかもしれない。
「いちごしゃん、ぺたー」
「苺の花と葉っぱも一緒に貼る?」
「うんー」
謎多きシールを、アナはぺたぺた器用に貼りつけていく。無機質だったページが苺畑となり、華やかに彩られた。
「これ、紙に貼っても剥がせるのか?」
「あなのしーるは、とくべつしよー」
特別仕様のアナのシールは、紙に貼っても床に貼っても壁に貼っても綺麗に剥がれた。もちろんまた貼り直すこともできる。
裏面はジェノベーゼのよだれなのだとしても、やはり知れば知るほど利便性を感じてしまう。
たとえば絵の部分を無地にしたら。文字を書き込み、机などに貼りつけておけばメモにもなる。その場に相手がいなくとも情報共有や指示出しをしておくことができ、しかも繰り返し使えるのだ。
シリウスが王太子の執務机に置いたメモ書きを、風で飛んだ、などと小癪な誤魔化し方をして見なかったことにする王太子の言い訳を封じ、確実に読ませることができるのだ。
それにアナの絵を額に入れて飾らずとも、持ち歩いて色んな場所に貼っておけるという楽しみもある。
とにかくだ。シリウスとしては金を払ってもほしい。
「アナ」
「なあにー?」
「これ、少し融通してもらえないだろうか?」
「ゆずはねー、かんきつの、なかまなのー」
「いや、柚子ではなく、融通だ。そのシール、少し分けてもらえないだろうか?」
さすがにジェノベーゼを貸してほしいとまでは言わないが、いくつかサンプルとしてもらえたらと思う。
「うーん……?」
アナはどうしようかなとばかりにシール帳をめくりながら迷っている。どれもこれもお気に入りのシールであり、手放すのは惜しいようだ。
もちろんシリウスもそう簡単に分けてもらえるとは思っていない。
「失敗したものはないのか?」
失敗作をもらおうと尋ねると、アナはシリウスを見つめてひと言。
「あな、しっぱいしないの」
「……そうか」
アナは失敗しないらしい。
本人がそう言うのならそうなのだろう。
「……それなら、ジェノベーゼが失敗したものはないか?」
「じぇのべーぜも、しっぱいしないの」
「……そうか」
ジェノベーゼも失敗しないらしい。
案外シールを作ること自体は簡単なのかもしれない。
すると黙って耳を傾けていたサフィニアがアナへと問いかけた。
「でも、アナ? 間違えて色を塗ったシールがあったでしょう?」
サフィニアがシール帳をめくり、示したシールの絵はにんじん。軒並みオレンジ色のにんじんが並ぶ中、ひとつだけなぜか黄色だった。おそらくオレンジ色のクレヨンを手に取ったつもりで、間違えて黄色のクレヨンを握ったまま、意気揚々と塗りたくったのだろう。
「これ、しっぱい、ちがうの! きいろ、あるの!」
黄色いにんじんがあるかどうかではなく、間違えて塗ったのかどうかだ。
「あじなの!」
アナの中では失敗作ではなく、これはこれで味があっていいらしい。
そう言われると、ひとつだけ色が違うことが逆に斬新な作品に見えてくるから不思議だ。
シリウスに美術的な才はないので、揚げ足を取られそうなことはなにも言わないが。
「それなら、パパにシールを作ってあげたら?」
そこは許容範囲なのか、アナはクレヨンを持つとシリウスへと笑顔を向けた。
「パパ、しーる、なにがいいー?」
「なに、と急に言われても……」
「じぇのべーぜ?」
提案されたので、それで、とうなずいた。アナもジェノベーゼが一番描き慣れているだろう。
「ジェノベーゼでいいから、何枚かお願いできるか?」
「よやくちゅーもん、おーいそがしっ!」
「……忙しいのなら一枚でも」
「あな、おうまのしーるやしゃん!」
(お馬のシール屋さん……)
前に読み聞かせしてくれた『こぐまの靴屋』の影響だろうか。あれも予約注文大忙しだった。
それにタイミングよく着ぐるみも着ている。ジェノベーゼがシール作りにひと役買っているので、正しくお馬のシール屋さんだ。
「できればジェノベーゼの絵の横に、文字を書くスペースを残しておいてくれると助かる」
「すぺーす……うちゅー?」
「宇宙……? いや、そっちのスペースではなく。空白を残しておいてもらえないか?」
「じぇのべーぜ、くうふく?」
アナがジェノベーゼに空腹かどうかを尋ねる。
「いや、空白……」
「パパ、ごはんあげてー」
アナはシール用の絵を描くのに忙しいので、シリウスは言われるがままジェノベーゼを手に取ると、ぬいぐるみのにんじんにがぶがぶさせた。
すかさずアナがその姿を描いていく。そしてシリウスがお願いした通り、ジェノベーゼががぶがぶしているにんじんの部分を、輪郭だけで中身を余白にしてくれた。そこに文字が書き込めそうだ。
「さすがに上手いな。こういう感じで何枚か頼む」
アナは褒められて気をよくしたのか、ジェノベーゼを数種類、さらにカプレーゼでもシールを作ってくれた。
「パパも、しーるちょー、あげるー」
「いいのか?」
「うんー」
気前のいいアナから未使用のシール帳をもらい、そこにシールを貼りつけた。これでどこにでも持参し、必要があれば使用できる。一度文字を書き込んでしまえば書き直しはできないが、繰り返し使える文言を書けば同じシュチュエーションで何度でも利用できるだろう。
「金は払うべきか?」
サフィニアに問うと、善意だと思いますよ、と返された。
しかし娘に対価もなく無償労働をさせたとなるとこちらの気が引ける。
「それなら、報酬は苺タルトでどうだ?」
「いちごたるとっ!」
アナの瞳が輝く。苺タルトで正解のようだ。
「パパ、おとくいしゃんね」
お馬のシール屋さんの得意先に名を連ねたシリウスは、また頼もうと思いながら、シール帳を抱えて執務室へと引き返した。
「なんだ、これは!? 書類に馬の絵が!」
王太子の執務室。ぎょっとした声を上げたのはもちろん王太子だ。
シリウスが先ほど置いた書類。その一番上に貼られているのは、にんじんをがぶがぶするジェノベーゼのシール。そしてにんじんの中にはシリウスの字で、『最重要! 見逃し厳禁!』と記してある。
真っ先に手をつけてほしい書類に貼る用のシールだ。
がぶがぶするジェノベーゼが、いい具合に切迫感を表している。
「……いいのか、これ。重要書類なのに、勝手に絵なんか貼って。綺麗に剥がせるのか? 公的文書だぞ?」
「大丈夫です。ご覧の通り」
問題なくべろんと剥がしたシリウスは、それを王太子の執務机に貼り直す。
「こちらはシールというものです。紙に優しく、こうして再利用も可能です」
執務机から剥がしてシール帳へと戻してみせた。
「……なにげにすごいな。どうなっているんだ?」
興味を引かれたらしい王太子に摘んだシールを手渡した。
「おお……裏がなんかベタベタする。紙が破れない、この絶妙なベタベタ感。なにからできているんだ?」
「……企業秘密です」
シールの裏面の匂いを嗅いで、これ、なんだろう? と唸る王太子に、シリウスは無言を貫いた。
世の中、知らなくていいことの方が多いのだ。
シールをぷくぷくにする技術を模索中のアナ
誠意努力中のジェノベーゼ
のんびり眺めているカプレーゼ




