■ 5
「あのっ……そろそろ、は、はなっ、離していただけませんかっ」
意を決して絞り出した声は、情けなくも裏返ってしまった。
しかし、竜族を相手にした猫族なんて所詮こんなものである。
リンリンが連れ去られた場所は、なんと王宮だった。青年ジルの正体は、この国の王だったのだ。
正式名はジル・ヴァレンティン・アルベール・デ・ヴァリ・デュ・ドラゴ。
アルベール国王と呼ばれている。
パレード真っ最中のはずの国王が、いきなり「番」を抱えて帰ったのだから、さあ、大変。王宮は、大混乱となった。
「番」に出会えた喜びで腑抜けと化した国王と、その相手リンリンを側近たちは慌てて執務室に押し込んだ。
そして、今に至るのである。
(アルベールって……アルベール国王かぁ。あー、なるほど、外国の貴族じゃなかったんだわ)
宰相のユーゴ・バイエに教えられ、リンリンはやっと腑に落ちた。
ここにはほかに、将軍イーサン・ブランジェ、近衛隊長アーサー・クレマン、参謀マクシム・カルネ、補佐官カミーユ・ルロワがいたが、カミーユだけが馬族で残りの五人は竜族である。
つまり、室内は広々としてるにもかかわらず、竜人たちが無自覚に発する威圧で重苦しいのだ。
(……そして怖い)
何より、リンリンが困っているのは国王であるこの男だ。
リンリンをソファに座らせ……正確にはソファに座った自分の膝の上に乗せたまま、ずっとリンリンの肩に顔を埋めて、スンスンと匂いを嗅いでいる。
(悪人でも変人でもなく、変態だったなんて!)
自分の人を見る目のなさに、ガクンとうなだれるリンリンである。
「あの、そろそろ離して……」
「嫌だ!」
ジルは、はっきり拒否すると「番」を抱く腕にぎゅっと力を込めた。
思わず「グエッ」と声が漏れそうになるのをリンリンは耐えた。
「やっと見つけたんだ、離したくない。今すぐにでも蜜月に入りたいのを我慢しているんだ、これくらいは許してほしい」
当然の権利のように言う。
誰かこの人を止めて! とリンリンは視線で側近たちに助けを求めるが、なぜか皆、「仕方ないなぁ」とばかりに苦笑している。
「えーと、ですね。猫族のリンリンさんはさぞ驚かれたと思いますけど、『番』とはそういうものなんです。猫でいうなら、そうですねぇ、う~ん、強いていえば、マタタビを嗅いだ状態とでもいいましょうか。あまり適当な例ではないかもしれませんが……」
参謀マクシム・カルネが、おずおずと切り出した。
彼の語るところによると、運命の伴侶である「番」の匂いはとろけるほど甘く、出会った瞬間から、相手のことで頭がいっぱいになるらしい。と同時に、ほかの男に奪われないよう、絆を結び自分の匂いを染み込ませるまでは離れることを嫌う。
竜族は子ができにくいうえ、「番」が見つかる前に相手の寿命が尽きるという悲劇がしばしば起こる。それゆえ竜族は人一倍、「番」に対する執着が強いとされている。
ジルの反応は、「番」を見つけた竜人の極めて正常なものだそうだ。
「プロポーズをして返事ももらった。何も問題はない」
「プ、プロポーズの返事?」
返事をした覚えがないリンリンはキョトンとするが、ジルはトロンとした目で事もなげに答えた。
「『はい』って言ってくれただろう?」
(え、え、え、あれが返事だったの? 確かに「はい……?」って言ったけど、疑問形だったはず。うん、疑問形だった!)
けれども、今さら「あれは違います」などと否定できる雰囲気ではない。言葉尻をとらえられたにせよ、「はい」と答えたのは事実なのである。リンリンは困った。
「で、で、でも、でもっ」
「でも?」
「私、やっぱり、ごっ、ご辞退させていただきたく存じ……」
リンリンが最後まで言う前に、場の空気がピシリと凍る。
側近たちの表情も、凍った。
沈黙を破ったのは、近衛隊長で国王の護衛を務めるアーサー・クレマンである。
「ちょっと、ちょっと! リンリンさん、なんでそうなっちゃうの。陛下のこと嫌い?」
「き、嫌いじゃないです。っていうか、陛下のことよく知らないですしっ」
「嫌いじゃない」というリンリンの言葉で幾分空気が和らいだものの、側近たちは動揺している。余程、国王の機嫌を損ねたくないらしい。
「陛下じゃない。ジル、だ。黒竜の竜人、六十歳、身長……」
ジルはリンリンの肩に顔を埋めたまま、ボソボソと自己紹介を始めてしまった。
「六十歳! まさか、おじいちゃんなんですかっ?」
ジルの言葉を遮り、思わず叫ぶ。
猫族の平均寿命は五十歳だ。若く見えるのに母親より年上であることにリンリンは驚愕した。
「ははは。竜族の寿命は三百年以上。六十代などまだまだ若いのです。私は七十代、軍に所属する者も六十から九十代が多いです。まあ、百歳以下はひよっこみたいなもんです」
笑いながら答えるのは、将軍イーサン・ブランジェだ。
彼の説明はこうだ。竜人は竜族の故郷「竜の谷」の教育方針に従い、二十歳前後になると各国を巡って過ごす。「番」を探しながら他国の文化や言葉を学ぶのが目的である。それから国に戻って仕事に就くのが、四十路に入ってからだそうだ。
ジルと近衛隊長のアーサーは幼馴染であり、一緒に各国を巡った仲だ。三回の留学といくつかの仕事を経験して、この国に帰ってきたのが四十五歳の頃。優秀なジルは、それから数年で国王になったのだとか。
(へぇー)
竜族は勤勉なのだと感心する。しかも、学んだことをきちんと国家運営に役立てている。武が強いだけではないのだ。
ほぼ毎日、食っちゃ寝しているだけのリンリンとは大違いだ。
「なんだか立派すぎて、私なんか釣り合いません。それに猫族と寿命が違いすぎます。私がおばあちゃんになる頃、へいか……いえ、ジル様はまだ『ひよっこ』だなんて」
親友ミーナによると「番」は生涯、大切にされるらしい。
けれど、「ヨボヨボのおばあちゃんになった自分の横に並ぶ見目麗しいジル様」の図を想像すると、リンリンは、どうにもいたたまれない気分になるのだ。
「寿命は逆鱗の秘術でどうにかなる。過去には、竜族とネズミ族の『番』が添い遂げた例もあるから大丈夫だ。それに私はぜんぜん立派じゃないよ。優秀な者はほかにもたくさんいる。私は、たまたま武闘大会で勝ったにすぎない」
「わ、私に、お、王妃なんて務まりません」
「この国に王妃はいない。公務もなければ、社交もない。ただ好きに過ごしてくれればいいんだ。あなたが嫌なら、私は王を辞める」
(ひぃ~、そんなにあっさりと辞めるなんて言わないで!)
王の退位発言にリンリンはあたふたするが、側近たちは一様にウンウンと頷いている。
「『番』とは、それほど大切なものなのです」
馬族の補佐官カミーユ・ルロワの放った一言が、ずしりと重い。
ああ言えば、こう言われる。
このままでは逃げ場を失いそうだと焦っていると不意に腕が解かれ、リンリンはジルの膝からソファに下ろされた。
「ほかに心配事はあるだろうか?」
リンリンの正面に回り込んで膝をついたジルは、気遣うように顔を覗き込む。
琥珀の瞳と視線が絡まると、リンリンの胸の奥がドキンと跳ねた。
鼻筋の通った端正な顔、漆黒の髪。
きっと、産まれてくる子も美形だろう。
ほだされちゃダメだ――リンリンは、赤くなりそうな顔と気持ちをグッと引きしめた。
だって――。
(ジル様は黒竜なんだもんっ!)
「黒」である。しかも「鱗」だ。
(毛じゃなくて、鱗だなんてっ……!)
夫探しはなかなかうまくいかないものだと、ガックリと肩を落とすリンリンであった。
と、そのときである。
トンッ、トンッ、トンッ!
ヒステリックなドアノックと共に、乱暴に扉が開かれた。
「ちょっとぉ! この忙しいときに、揃いも揃って油売ってるんじゃないのっ。パレードの後始末を全部こっちに押しつけて、何をやってるの!」
艶やかな銀髪を一つに束ねた長身スレンダー美女が、鬼の形相で立っていた。




