【番外編】補佐官レベッカの恋 3
リンリンさんがとっとと王宮を出て、建設済みの王都の新居へ行ってしまったのと入れ違いで、翌朝、兄のサミュエルが到着した。
サミュエルは薬学研究所の研究員だ。ずっと研究一筋である。
プーサンはしこたま叱られ、泣いたせいで目が腫れている。
「ごめん……俺、そんなつもりじゃなかったんだ……ただ、ずっと仕事に生きてるレベッカ姉ちゃんが哀れで……グズ……」
最後に余計な同情をして私の不興を買ったプーサンは、ゲンコツが一つ増えた。
陛下がこんな状態なので、国王代理の将軍イーサンが守秘義務契約の魔術紋を施し、サミュエルが国王居住区に足を踏み入れた。しばらく男子禁制だったが、今はリンリンさんとミンミンちゃんがいないため、一時的に解禁されている。
兄は大失態をしでかして神妙にしているが、顔は心なしか嬉しそうだ。
どうせ陛下を研究材料くらいにしか見ていないのだろう。これだから研究バカは。
「これはすごい!」
口一番に驚きの声を上げる兄にイラっとしながら「何が?」と理由を尋ねる。
「逆鱗がないのに、これだけの量を浴びながら理性を保っている!」
「どこがよっ!?」
兄は、私の剣幕に恐れをなして小さくなった。
「え、と、まず、お前の名前を呼ぶだけで触れようともしない。しかも、別れの言葉とはいえ本物の『番』の名前を呼んだんだろ? 二回も」
「そうだけど?」
「普通は一吹きで数時間、ほのかな恋心を体験するだけの薬だ。匂いを嗅いだだけのお前は、なんともないだろ?」
「なんともないわね」
「だけど、逆鱗がないのに大量に薬を浴びたら、迷わず蜜月に入ろうとしても不思議はない。これを理性を保っていると言わずしてなんとする」
「み、蜜月?」
確かに「番」を見つけた竜人は、すぐに蜜月に入りたがる。リンリンさんのときは、見てるこっちが恥ずかしくなるくらいベタベタだったものね。
「意識が混濁してるということは、それだけ陛下の精神力が強く、薬に抗っているのだと思う。危なかった。竜人が間違った相手と絆を結ぶなんて、薬が抜けたあとの精神的ショックのほうが怖い」
それだけリンリンさんは愛されているということか。
っていうか、今、涼しい顔で恐ろしいことを言ったわね。竜人が「番」以外と絆を結ぶなんてとんでもない。ホント、碌でもない薬だ。
「で、肝心の薬はいつ抜けるのよ?」
その瞬間、兄は眉をへの字に曲げ「さあ?」と首を傾げた。
さあ? じゃないわよ! アンタ、研究者でしょ、なんとかしなさいよ!
私の怒りが爆発したことは言うまでもない。
その後、優秀な研究員サミュエルの献身的な治療により陛下が元に戻るまでに、一週間を要することとなった。
その間、時折イーサンが姿を現しては陛下を見舞っていた。
「ははは、大変なことになってますな」
国王代理になって自分だって大変なはずなのに、この男は軽やかに笑う。
竜人は「番」のこと以外、細かいことは気にせず鷹揚なのだ。
***
強者が治めるこのシベンナ王国では、国王に何かあったとき、代理を務めるのは武闘大会の成績順である。
将軍イーサンはこの国のナンバーツーだ。
しかし、この数日、その国王代理の様子が少しおかしい。
今、イーサンに抜けられるとちょっとまずい。
三番手のアーサーも健在なのだが、立て続けに国王代理が交代するのは外聞がよくないからだ。
「国王代理、どうしたんですか?」
イーサンは、陛下の寝室で鼻をスンスン鳴らし首を捻った。
「いや~? 私にもよくわからんのだ。なんだか、この寝室の匂いが時々甘く感じられる。陛下の薬のせいだろうか? それとも私の鼻がおかしいのか」
「もう薬は粗方抜けたんですよね?」
タータンチェックのパジャマを着た陛下が頷く。
陛下は正気に戻るや否や、リンリンさんを迎えに行こうとして、兄に止められた。完全に薬が抜けるまで油断は禁物だと、いまだにベッドの住人である。
「ああ。まだ頭は少しぼんやりするが、意識は正常だ」
「甘い匂いなんて、私は何も感じませんよ?」とサミュエル。
なんなんでしょうね、と一同、首を傾げる。
そして結局、原因がわからないまま陛下は完全復帰し、国王代理は将軍に戻った。
これですべては元どおりかと思われたが、そうは問屋が卸さない。
リンリンさんが帰ってこないのだ。
「陛下っ、陛下っ! 落ち着いてください!」
私と補佐官シャーリーは、国王を宥めるのに必死だ。
外は豪雨で荒れ狂い、雷鳴が轟いている。
陛下だ。彼の心の激動がこの嵐を呼び寄せているのだ。
本日、すっかり回復し意気揚々とリンリンさんを迎えに行った陛下は、けんもほろろに追い返されて帰ってきた。
「わたくしたちの結婚は破棄されました。それを言い出したのは陛下です。よもやお忘れではありませんわよね?」
冷たくあしらわれ、あれは薬のせいだったのだと懸命に釈明して、戻ってきてほしいと懇願したが叶わなかった。
端正な顔をくしゃくしゃにし、涙と鼻水でぐしょぐしょになった歴代最強と謳われし王は、半狂乱になって泣いていた。
さすが猫族、切り替えが早い! なんて感心している場合じゃなかった。
どうしよう……この調子だと、ずっと雨が降り続いて作物に影響を及ぼしかねない。
困り果てたところにトドメの一言。
「しかも、レオナルドが隣にいたんだぞ!? あいつ…………殺す!」
予想していなかった名前に衝撃が走る。えっ、レオナルド?
彼は隣国バレンの王だったが、四年前に退位し、今は息子が国を治めている。新国王の即位式のときに会ったきりで、どうしているのか詳しくは知らない。
何? あいつシベンナにいるの? しかもリンリンさんの家? わけがわからない。
「レベッカ先輩! 先輩までどうしちゃったんですか?」
呆然となり、シャーリーに揺さぶられて我に返る。
ハッ! 今はそれどころじゃない。
陛下をどうにかせねば、雨も降るけど、血も降ってくるかもしれない。
「でも……どうしたらいいのか…………」
めずらしく弱音を吐く。シャーリーもお手上げなのか困り顔だ。
そのとき、天井からポトッと何かが落ちてきた。
「ニャン」
黒猫だ。雨に濡れた身体を、ブルブルッと震わせて水滴を飛ばす。
この子は――ミンミンちゃん?
竜人とのハーフの獣人は先祖返りが多い。ミンミンちゃんもその一人だ。
「ミンミンっ! リンリンが帰ってきてくれない……リンリンがいなかったら私は……私は……どうしたらいいんだっ……グズッ………」
幼い娘に泣きつく、みっともない父親がそこにいた。
「陛下、とりあえず涙と鼻水を拭いてください」とシャーリーにティッシュを差し出され、陛下はようやく鼻をかんだ。
「パパン、落ち着いてよ。こんなことだろうと思って来てあげたのに、ミンミン、雨に濡れちゃったじゃない」
私は、タオルでミンミンちゃんの濡れた身体を拭く。
陛下は「ごめんなぁ~」とグズグズ鼻をすすりながら謝っている。
「パパンが悪いのよ」
「ごめんなさい……グズッ……」
「ミンミンちゃん、陛下は被害者で、悪いのは私の甥っ子なのよ」
私がフォローに入る。それが事実だから。
しかし、ミンミンちゃんは首を横に振る。
「ちがーう。パパンは、何もわかってない。今日だってなんで手ぶらで迎えにきたの? 花は? 手紙は? 最近のママンの愛読書、わかってるでしょ? 『結婚破棄』を言い出したのはパパンなのにぃ」
ミンミンちゃんの鋭い指摘にハッとして、これ見よがしに寝室のデスクの上に置かれている恋愛小説を見た。
『結婚破棄からはじまる真実の愛』。最近話題のベストセラーだ。
とある国の王妃が、ちょっとしたすれ違いから国王に結婚破棄を言い渡されて城を出て行く。その後、自分の過ちに気づいた国王が王妃の愛を取り戻そうと奮闘する恋愛ストーリーだ。
タイトルにある「結婚破棄」とは、信仰上の理由で離婚が禁じられた国において別居を意味する言葉で、実質的な離婚と同じである。
あの意識の混濁の中で「離婚」ではなく、あえて「結婚破棄」か。陛下はやっぱり、リンリンさんを愛している。
しかも「君との結婚を破棄する!」って、小説の中のセリフじゃないか。
つまり、リンリンさんはこの小説と同じ茶番を望んでいるのだ。
確か、花束とラブレターを持って、毎日王妃のもとへ通うシーンがあったはずだ。
「そうだ……パパンが悪かった。出て行ったときも、今日も、セリフが小説そっくりそのままだ。気づくべきだった。情けない……」
「そ、じゃあ、大丈夫ね? それまであの赤毛のおじちゃんとよろしくやってるからっ」
そう言い残すと、ミンミンちゃんは、壁の装飾を足場に使いぴょんと飛び上がって屋根裏へ消えていった。
陛下は動揺して「よ、よろしくやってるって、なんだっ? よろしくって……ミンミン、待ちなさいっ」と叫んでいたが、ミンミンちゃんが戻ってくることはなかった。




