【番外編】補佐官レベッカの恋 2
とりあえず自分の悩みは後回しにして、私は今、プーサンに王都を案内したあと、彼を王宮に連れてきたところである。
プーサンは、十歳になったばかりの緑竜の竜人で、私の甥だ。
すごい年の差だけど、竜族というのはそんなものだ。子ができにくいからね。
薬学研究所に勤める彼の両親が忙しいので、代わりに観光にやってきたこの子の相手をしているってわけ。
私は王宮に常駐しているため、職員用の部屋に住んでいる。今夜はプーサンを泊めて、明日、竜の谷へ送り返す予定だ。
「レベッカ姉ちゃん、この国の王都ってすげえ田舎じゃね?」
「そんなこと言わないの。竜の谷が特別なんだから。これでも近隣諸国よりはるかに都会よ」
「うげ~。俺、谷を出て生活するの、自信ないや」
「大丈夫。住めば都よ」
可愛い甥っ子が仕事場を見てみたいというので、一緒に王宮内をブラブラ歩きながらそんな会話を交わす。ついでに甥っ子を皆に紹介しようと、私たちの足は執務室へと向かっていた。
プーサンの気持ちはわかる。谷を出る竜人は皆、一度はそう思うものだからだ。私もそうだった。
それでもこの二十年で、シベンナ王国もずいぶん発達したのだ。
隣国まで鉄道が敷かれたり、当時は贅沢品だった車を庶民も持てるようになった。連絡手段は手紙から電話に変わった。
まあ、車は無人運転、長距離移動は移転ゲートが当たり前の竜の谷より、かなり劣っているのだけれどね。
「ま、いいや。今回はレベッカ姉ちゃんに会いにきただけだから」
「そうなの? 何か用事でもあった?」
「うん、これを見せようと思って」
プーサンがズボンのポケットからモゾモゾと取り出したのは、香水の小瓶である。
蓋を開け鼻先に持っていくと、ちょっと甘いような獣臭いような香水らしからぬ妙な香りがした。
私は顔をしかめて、小瓶をプーサンに返す。
「何、これ?」
するとプーサンは小さな鼻を膨らませながら得意気に説明し始めた。
「これは今、父さんたちが研究してる『番』認識フェロモンの………」
「ちょっと待って。まさか、勝手に持ち出したの!?」
私は慌てた。薬学研究所の研究内容はすべて機密に当たる。サンプルはもちろん、すべてのものは持ち出し禁止である。魔術契約はどうした? いや、この子、子どもだし、契約してないんじゃ……。
それよりまさか、やばい代物じゃないでしょうね?
「え? い、いや、研究所の父さんの机に置いてあったから、来るときにちょっと……レベッカ姉ちゃん、仕事ばかりで男いねえじゃん?」
「それがなんの関係があるのよ?」
「これは、竜人用の惚れ薬なんだって」
「はあああぁ!?」
つい大きな声が出た。
これ、お互いがつけると「番」と認識するとか言うんじゃないんでしょうね?
私、今、匂い嗅いじゃったわよ?
プーサンは、私の大声に慄き、ビクッと肩を揺らした。
「どうした、レベッカ? こんなところで大声を出して」
「陛下?」
気づくと私たちのすぐ後ろに陛下が立っており、突然声をかけられてびっくりしたプーサンが「えっ、陛下!?」と、勢いよく振り返ったはずみで瓶の中身が陛下の顔面に飛び散った。
「なんだ、これは?」
陛下は呑気にハンカチで顔を拭いているが、プーサンと私は真っ青だ。
「お、お、俺、知らね……」
プーサンが回れ右をして逃げ出そうとするのをとっ捕まえて、執務室に連行する。
こうしている間にも陛下の顔が赤くなる。目がトロンとしているし、意識が混濁しているのか足元がおぼつかなくなってきた。
「ああ、レベッカ…………我が『番』………」
その腑抜けた顔を見て、これはマズイ! と本気で思った。
執務室には将軍イーサンと補佐官シャーリーがいた。
「わ~、その子が甥っ子さんですかぁ?」とシャーリーは私に笑いかけたが、ただならぬ様子にすぐに気づき、フラフラの陛下をソファに座らせた。
「……で、陛下はレベッカを『番』だと誤認している、と?」
私の説明を聞いた二人は顔を見合わせる。
プーサンが言うには、互いに一吹きすれば数時間だけ恋人気分が味わえる軽い薬だそうだ。
「番」が見つからず恋を知らない竜人に、気分だけでも味わってもらおうと作られたらしい。
しかし本来は「番」認識のメカニズムを探る研究の一環であり、悪用されかねない厄介な薬だ。
「中和剤とか持ってないの?」
念のために尋ねてみるが、プーサンは首を横に振る。
「そんなに長く持続する薬じゃねえもん。でもさすがにあんなにドバッとかかると思わなかったから、いつまで続くかわかんねぇ……」
このまま薬が切れるのを待つしかないのか。
その間にも陛下は「………レベッカ……レベッカ……『番』…………」と切ない呟きを漏らしている。
どうも夢と現実がわからなくなって朦朧としているような感じがする。大丈夫だろうか?
薬学研究所にいる兄のサミュエルに問い合わせてみても、薬が切れるのを待つしかないという見解だった。
薬の管理が甘くプーサンに持ち出されたことを謝罪していたが、あまりにしれっとした態度だったので、私は怒りのあまり電話の受話器を持つ手が震えそうになる。しかし、怒っても問題解決にはならない。
「陛下に何かあれば、研究の予算は出ませんからねっ」
脅してようやくことの重大さに気づいたのか、あたふたし始める。これだから研究バカは。
ただ、意識が混濁するような薬ではなく、思い当たることがあるとすれば逆鱗の秘術だという。
竜の鱗のうち唯一逆向きに生える逆鱗は、私たち竜人の弱点である。
厳密にいうと、鱗の生えている場所が、だ。
喉元にあるそこは、性感のほか、「番」の匂い……フェロモンを感じる神経が集まるデリケートな部分で、麻痺すると繁殖活動や精神に異常をきたすと言われている。
それを保護しているのが逆鱗なのだが、秘術で使ってしまった陛下にはもうないのだ。
我々竜人は規格外に強いとはいえ万能ではない。逆鱗を失い、無防備になっているところを攻撃されてはひとたまりもない。
つまり、通常よりも惚れ薬の刺激が強いということか。とんでもない薬を作りやがって。
私の怒りを電話口からひしひしと感じ取ったのか、兄はビクビクしながら「明日、王宮に行きます……」と小声で伝えてきた。
ともあれ、リンリンさんには事情を説明しなくてはならない。
シャーリーは陛下を国王居住区の寝室のベッドに寝かせ、私はリンリンさんに平謝りだ。
最初は何ごとかと目を丸くしつつ、心配げに陛下の顔を覗き込んでいたリンリンさんだったが、「……レベッカ……我が『番』……レべ………」と呟き続けるのを見て目が吊り上がった。
「それでこんなことになってるってわけですか?」
リンリンさんは憤っている。そんな母の様子に、隣にいたミンミンちゃんは不安げだ。
「ママン……パパンはもう元に戻らないの?」
「薬が抜けるのを待つしかないようです。詳しくは明日、兄が来てみないことにはなんとも……」と私が答えた。
リンリンさんは、娘の髪をよしよしとなでて宥めている。そして、ハァとため息を吐くと大きな声で「ジル!」と呼びかけた。
陛下は一瞬ビクッと肩を揺らして目を見開くが、また熱に浮かされたトロッとした瞳に戻る。
「なんだ……リンリン……リン……? ……なぜそんなところに…………レベッカは……いや……『番』はレベッカのはず…………いや? ……なぜ……レベッカ……?」
陛下はブツブツと呟いている。だいぶ頭が混乱しているようだ。
「陛下の『番』はリンリンさんですよ。今は薬で錯覚しているだけです」
試しに言ってみるが、力なく頭を振る。
「バカな……そんな……はずは……あるわけがない………」
「パパン! ママンのこと忘れちゃったの!?」
ミンミンちゃんが叫ぶ。陛下の顔がピクリと動く。そしてまた困惑した表情に戻った。
「何かの、間違いだ………リンリン……リン……そうだ…………君との結婚を破棄する………!」
「陛下!」
私は驚いて声を上げる。「番」と別れるなど竜族史上あり得ない。ホント、とんでもないもの作りやがって!
「陛下。その結婚破棄、承りますわ!」
ひぃぃ! リンリンさんが怒っている。
もはや、「それは『結婚破棄』ではなく『離婚』だろう」と突っ込む余地もない。
リンリンさんは見事なカーテシーを披露すると娘のミンミンちゃんを連れて出て行った。
振り向きざまに幼稚で低レベルな悪態をつくのを忘れなかった。
「これから素敵な男性と結婚して、第二の人生を謳歌するんだからっ。ジルの変態。ジルのぶばぁか~!」




