■ 39
「あの日、この毒で狙われたのは私です。妹は私の身代わりになってしまった」
無言になった妹を見て、ルネが切り出した。
「お兄様!?」
セレーナは、王家の秘密に触れたことに抗議するような声色になった。
「いいんだ。先日、その話をしていた」
ルネが語ることには、事件が起こったのは毒殺未遂のお茶会の晩だった。あの頃、パトリシアの父親の国費着服がオズワルドに露見し、側妃派が破れるのは時間の問題だったという。
それに、本当に帝国を敵に回すほどパトリシアは愚かではなかった。あのお茶会はルネたちの注意を引きつけるための囮で、万が一、事件が公になってしまった場合にセレーナを黒幕として仕立て上げられればそれでよかったのだ。
実際には、侍女イザベラやルネの側近たちの働きにより、事件は水面下で解決し事なきを得た。よって、皇女は自分が狙われたことを知らない。セレーナは皇女の身代わりになったのではなかったのだ。
「単純な話ですよ。お茶会での暗殺を未然に防いだと油断していたところ、側妃に買収された私の侍女に毒を盛られたのです。セレーナが気づいて止めにきてくれなければ危なかった」
セレーナは「いいえ」と首を振る。
「侍女は寄宿学校にいる弟を人質に取られていたんです。わたくしは以前から彼女の様子がおかしいと思っていました。あの日、側妃の侍女が彼女に接触するのをイザベラが偶然目撃したので、嫌な予感がしてお兄様の部屋を訪ねたのです」
セレーナがルネの部屋に着いたとき、ちょうど侍女が紅茶にミルクを注いでいるところだったという。侍女の顔色が悪く、怪しいと感じたセレーナは慌てて兄が手にしようとしたカップを取り上げた。
「そのとき、あの、勢い余ってと言いますか、お茶を顔面に浴びてしまい、うっかり……鼻に入ってしまったの……です」
セレーナは手をモジモジさせながら、顔を耳まで真っ赤にして告白した。
(あ……鼻は口につながってるもんね。それにしても王女様って……)
乱入の勢いで転がった靴といい、ナイフを振り回す姿といい、なんとなくリンリンには毒の入ったお茶を浴びているセレーナが想像できてしまい、余計に親近感が増した。
王女様はけっこうドジで、お茶目な方なんだわ、と。
「お前は小さい頃からそそっかしいからな。母上がたまたま万能薬を持っていなかったらどうなっていたことか」
オズワルドの病のことがあり、何かあったときのためにとマーガレットが予備の薬を用意していたことがセレーナの命を繋いだ。
ルネの指摘にしゅんとなったセレーナは、みるみるうちに大粒の涙を浮かべた。
「あのナイフは王家の女性が持つ自害用のものです。敵に辱めを受ける前に、少しの傷でも死ねるよう刃に濃縮した『竜殺しの毒』が塗ってあります。ア……ル様が……アルベール様が助かってよかった……本当によかった………」
シベンナの王に恋する乙女は、顔を覆って咽び泣いた。
対応が遅れればジルの命は危なかったのだと、リンリンは今さらながら恐ろしくなった。毒耐性のある竜人だったことは幸運だった。
リンリンがジルを見ると、彼は優しく微笑んでいた。
セレーナが落ち着いてから、ジルはテーブルにあった解毒薬を差し出した。
「この薬は日持ちがしない。今、飲んでしまいなさい」
素直に解毒薬を受け取って喉に流し込む王女の様子を、癒しの魔女はちょっぴり複雑な気分で見守っている。
(ああ、唾液が……でも、ま、いっか。助かったんだもんね)
側近たちも成り行きを見守っている。今日は誰も何も発言しない。彼らはすべてを国王に任せ、自分たちは立ち会うだけのつもりのようだ。
それがきっと手っ取り早くて、一番楽だからだとリンリンは察している。
かく言うリンリンもそのつもりだ。朝から魔力が消耗して身体がだるいのだ。
しばらくしてルネが「どうだ?」と尋ねる。
すると、セレーナは笑顔で力強く頷いた。
「あんなに万能薬を飲んでも取れなかった身体の倦怠感が、嘘のように消えました……信じられない……!」
よ~く観察するとセレーナの顔色が明るくなったように感じられる。彼女は日頃から化粧などでうまく不調を隠していたうえに、さっきから泣いたり赤くなったりしているので、リンリンにはわかりづらいのだ。
「陛下、感謝します。このご恩はいずれ必ずお返しします」
ルネの声は明るい。妹が自分の代わりに命を落とすところだったのだ。皇女と結婚して子どもに恵まれる幸せの一方で、心苦しい気持ちもあったに違いない。それが、あのシスコン発言に繋がっていたのだろう。
「礼なら『番』に言ってくれと言っただろう。私は彼女の願いを聞き入れたにすぎない」
セレーナはすっと立ち上がり、シベンナの国王の「番」であり、愛猫であり、癒しの魔女であるリンリンに礼をとる。
「癒しの魔女様、スピレル国王女、セレーナ・ララ・ド・スピレルと申します。この度は命を救っていただき、ありがとうございます。このご恩はどれだけ感謝してもしきれません」
「リンリンと申します……」
リンリンは名乗ったが、疲労で腹に力が入らず気の抜けた声になっている。
すかさずジルが助けに入る。
「すまないね。彼女は解毒薬を作るのに魔力の消耗が激しくて疲れているんだ」
「まあ、そのような思いまでして作ってくださったのですね。なんとお礼を言ったらいいのか……わたくしにできることがあればいいのですが」
セレーナが言葉を詰まらせると、リンリンの耳がピクッと動く。
リンリンに代わって口を開いたのは、やはりジルだった。
「ああ、それなら彼女からの願いがあるよ。叶えてくれるか」
「なんでしょう? わたくしにできることならなんなりと」
「まず、セレーナ王女、あなたは生きなきゃならない。今まで飲んだ秘薬の数は、ほかの誰かを救えるはずだった命の数だ。だからしっかりと生きて、その人たちのぶんも幸せになりなさい」
「……はい。もう二度と死のうなんて思いません」
セレーナは、ジルではなくリンリンをまっすぐに見据えて答えた。
確かに魔女の万能薬は必要な者――セレーナの手に渡り、無駄になったわけではない。
けれど、もっと早く打ち明けてくれていたら救えた命があったはずだ。それなのに、あのときセレーナが命を捨てようとしたことはショックだった。
たとえそれが国のため、血の繋がった兄のためであったとしても死ぬなんて絶対に許さない。リンリンは、そう思ったのだ。
「それと、癒しの魔女は言うのだよ。愛の女神マハマーティの力の恩恵を受けた者は、他者にも慈悲を与えてほしいとね。だから私は今回、我が『番』に手を出した者すべてを不問にすることにした。竜人の『番』を、だ。破格だろう?」
王女は頷く。それは事実であるからだ。実際、国が滅びてもおかしくなかったことを、王族であるこの二人は知っている。
セレーナは、少し考えてから口を開いた。
「癒しの魔女様は、具体的にどのような慈悲をお望みでしょう?」
「彼女が心配しているのは、レナード王子だよ。当時十二歳だ。大人の事情を薄々理解はしていても、どうすることもできなかっただろう。健やかに成長し、きちんと人としての幸せを享受してほしいと願っているのだ。このまま世捨て人になるのではなくね」
セレーナはルネを見る。彼は悩んでいるような、困ったような表情を浮かべている。
レナード王子は王位継承権を剥奪されて、病気療養と称し蟄居している。
「レナードを助けたくても、父王もあれが精いっぱいだったのです」
オズワルドは息子のレナードを愛していたようだ。父親に見捨てられたのではないと知って、リンリンは安堵した。
(なんか、かわいそうなんだよね。母親は死んでしまうし、公爵家はお取り潰しだし、まだ子どもなのに頼れる人がいないというか)
余計なお世話な気もするけれど、乗りかかった舟だ。
リンリンはマクシム・カルネを見る。ここは一つ側近最年長の九十歳、頼れるお兄さんふうの参謀に期待したい。
ニヤニヤしながらジルも彼を見ている。
いつの間にやら、皆の視線がマクシムに集まった。
マクシムは、はぁ~と一息つくと期待に応えるために知恵を絞った。
「そうですねぇ、王太子妃の出産に合わせて恩赦を出してはいかがですか。レナード王子も母親が亡くなったショックから立ち直るのに、ここらが頃合いでしょう。療養から復帰後は、しばらく他国へ留学して大いに学んでもらいましょう。なに、ルネ殿下の即位に合わせて戻ってきてもらえばよいのです。現王もいい年ですし、そう長いことにはなりますまい」
レナード王子は表向き罪に問われたわけではないが、経緯は皆が知っているだけに、単に病気が治ったという理由だけでは反発も多い。とりあえず恩赦で蟄居を解いて、国外へ避難させろというわけである。
(恩赦! その手があったのかぁ~)
ルネとセレーナの顔がパッと明るくなったので、案としては悪くないようだ。
「癒しの魔女の願いだ。前向きに検討してくれたら嬉しい」
そう言って、ジルはこの一件を締めくくった。
最後にセレーナは極上のカーテシーをして去っていったが、癒しの魔女はもう夢現であった。
リンリンはその後、夜までぐうぐうと眠った。




