■ 36
セレーナの乱入に、皆、あ然としている。
アーサーは「王宮の警備を見直さなきゃなんねーな」とぼそりと呟いている。
レベッカは「もう誰も入室させない」とばかりに、扉の近くを陣取った。
リンリンはびっくりしつつも、(あれはやっぱりローヒールよね)と好奇心を抑えきれずに、ジルから離れて転がった靴が見える位置までフラフラと移動した。
「セレーナ、どうしたんだっ?」
ルネはソファから立ち上がり、土下座しているセレーナの傍へと駆け寄った。
「お兄様がアルベール様に……国王陛下に面会していると聞いて、居ても立ってもいられなくて、王宮医のところへ行くふりをして抜け出してきたのです」
「バカなことを……」
「わたくしのせいです。わたくしの……わたくしがあんな浅はかなことを言ったばかりに……お兄様も、イザベラも……わたくしさえ…………」
セレーナの頬に涙が伝った。
フローラは保身のために従妹を売ったが、彼女は自分の侍女をきちんとかばう。よい主人なのだ。
セレーナは涙を拭ってから、スッと姿勢を正し平伏する。
「陛下、此度の責はすべてわたくしにあります。処罰はすべてわたくしが受けますので、ほかの者にはどうかご慈悲をお与えください。お願いします」
「やめなさい、セレーナ。これは私の判断でやったことだ。既にスピレル王宮にはシベンナ王国の兵が入っている。全責任は私にある。スピレル国が私の首で救われるのなら安いものだ。喜んで差し出すよ」
「お兄様……ダメです! お兄様が死んだら、わたくしはお義姉様になんと言って詫びればいいのか……」
「セレーナ!」
「お兄様……」
「セレーナ……」
「おにい……」
セレーナの声がかすれ、再びポロポロと涙を流し始めた。
別に命を取ろうなんて誰も言っていないし思ってもいないのだが、忖度の国の王女と王太子は盛り上がっていて、口を挟む暇がない。
ジルは、どうしたものかとこめかみを抑えている。
そして、やっと話せると思ったその矢先、セレーナがすっくと立ち上がり、胸元のコルセットの隙間から手のひらに収まるくらいの小さなナイフを引き出した。素早く鞘を抜いて、自らの首に当てる。
「死んでお詫びします。わたくしの命に免じて、どうかお許しくださいませっ」
セレーナの突拍子もない行動に、一同、息を呑む。
リンリンも身じろぎもせず、成り行きを見守っている。
素早く反応したのは、隣にいたルネだった。
「セレーナっ!」
鋭い一喝に動揺して、刃が少しだけ首から離れた。その隙をついてルネがセレーナの手首をつかんだ。
セレーナはハッとして、負けじと手首に力を込める。二人はもみ合いになった。
「離してください、お兄様っ!」
セレーナがナイフを自分のほうへ引き戻せば、すかさずルネが「やめないかっ!」と怒鳴り、つかんだ手首を妹の身体から引き離す。
しかし、ナイフは両手でしっかりと握られており、なかなか取り上げることができない。
アーサーは二人に近づこうとチャンスを窺っている。だが、興奮したセレーナをかえって刺激しそうなので難しい状況だ。
「わたくしなど、いないほうがいいのですっ!」
「そんなわけないだろうっ」
「いいえっ」
「危ないっ!」
「あっ……」
セレーナが渾身の力で身をよじった弾みでナイフが手からすっぽ抜けた。
ナイフは弧を描き……ではなく、一直線にすっ飛んでゆく。
(え? 嘘でしょ!)
勢いをつけて飛んでいく軌道上にリンリンがいる。
女性の手のひらほどの、竜人からすればおもちゃみたいな小さなナイフだが、ニャンコ姿のリンリンには「痛い」では済まない予感があった。
――殺られる!
迫るナイフを前にして足がすくんで動けない。
リンリンは死を覚悟して、ぎゅっと目を瞑った。
「リンリンっ!」とジルが叫ぶ。
パシンッ――。
閉じた瞼の目の前で、ナイフを弾く気配がした。
リンリンが恐る恐る目を開けた先には、ジルの手のひらがあった。超越した身体能力で、間一髪ナイフを防いだのだ。しかし、手の甲に刃の傷がついている。
「大丈夫か?」
「大丈夫、ありがとう。ジルは?」
「ああ、少し傷がついただけだ、大事ない」
リンリンとジルは、セレーナとルネの存在をすっかり忘れて会話を交わす。
セレーナはそんな二人を見てアワアワと口を動かし、へたり込こんだ。
「あああああああっっ……!」
王女の奇声にリンリンは仰天する。
(動物がしゃべったら、やっぱり驚くわよね!)
しゃべってしまったものは、今さらどうにもならないと、リンリンは開き直りたいところだが、よくよく見ると半狂乱で頭を振るセレーナには、しゃべる黒猫は眼中にないようだ。
「毒がっ……ナイフに…………竜……殺しの……」
セレーナの口から言葉にならない声がかろうじて紡ぎ出されると、場の空気が一転、緊迫したものへ変わった。
(そういうことは早く言ってよ!)
「ジル!」
「リン……リ……」
隣を見ると、ジルが青い顔をして床に崩れていくところだった。




