■ 33
「ところでリンリンは、どうして病ではなく、毒だと思ったんだ?」
ジルに訊かれて、その理由を説明していなかったことにリンリンは今さらながら気がついた。
最初の説明が悪く、あれから慌てて、スピレル王宮へ向かった部下へ「竜殺しの毒」の回収を伝令するはめになってしまった。とんだ二度手間である。
だが、リンリンは理路整然と語れるタイプではない。どちらかといえば頭の中は、いつもごちゃごちゃだ。
「え、と、だって、今は多くの人に万能薬を必要とするような感染症の発症はないってジルが言ってたから。なら秘薬が必要なのは一人で、でも病なら一本で治る。となると延命のためかな、って、なんとなく?」
リンリンのたどたどしい説明に、うんうん、とジルが相槌を打つ。
「病の延命なら買い占めるほどの量は必要ない。だって聖道女様は貴重な一瓶を数人に分け与えたことから延命できるって発見したんだもの。うん、だから病じゃないのよ」
リンリンが自分の考えを反芻するように言う。
「一瓶を分け合うとは、聖道女殿らしい発想だな。それで?」
「でも毒は別。毒の巡りを遅らせ苦痛を和らげるためには、定期的に飲まざるを得ないでしょ。でも今の毒薬には、ほぼすべてに解毒薬があるから、そんな毒は『竜殺しの毒』しか思い当らない」
「それを聖道女殿は知らなかったわけだ」
「解毒薬が存在しない毒なんて思いつかなかったのかもしれない。竜殺しの毒の存在もスピレル王家門外不出というからには隠してるんだろうし、皆が知っているわけじゃないと思う」
「そうだね。知っているのはスピレル王家のほかは私たちシベンナ中枢と魔術にかかわる者くらいかもね」
「正直、万能薬が毒の巡りを遅らせることができるのかどうかまでは自信がないの。だって、今まで誰も試したことがないし、その必要もなかったから。ただ、それが竜殺しの毒なら納得がいくの。あの毒だって魔女が作った秘薬の一つだもの。癒しの力が入った魔女の薬だからこそ、解毒薬でなくとも抵抗できたんだと考えればね」
「なぜセレーナ王女だと?」
「だって皆、王女様の願いを叶えようと必死だったじゃない。それに彼女、こう言ったわ。政略結婚の駒としても役に立たない『王家のお荷物だ』って。あと王女様の足ね。とても細くて靴の踵が低かったのよ」
「靴?」
「ああいうドレスって普通はハイヒールなんでしょ? ローヒールだったのに、すごくゆっくり歩いてた」
「そんなに具合が悪いのか? でも舞踏会で踊ってたぞ」
「あのときは秘薬を飲んだのよ。前日ガゼボで王太子が渡していたもの。『最後に一曲だけでも踊れたら』って願ってたしね」
「なるほどね。しかし、よく靴なんて見てたな」
ジルは感心する。さすがのロロたちも王女の靴の高さまでは報告しないに違いない。
「そりゃ、女の子ですから」と黒猫姿の女の子はつんと胸を張ると、ジルがクスッと笑った。
「ともあれ竜殺しの毒さえ手に入れば、いずれ薬学研究所で解毒薬の調合が可能になるだろう」
「大人しく渡してくれればね」
リンリンは報告書のページをめくりながら呟く。相変わらず、ピンクの肉球の小さな手がフルフルしていて、めくりづらそうだ。
「渡すさ。既に将軍イーサンと近衛隊長アーサーが、第二騎士団よりも先にあちらの王宮に到着している。ルネ王太子とセレーナ王女が人質なんだ。間違いなく渡すよ」
「人質ぃ~?」
「スピレル側からしたらそう見えるだろうね。フローラ嬢も、二人がこちらに囚われていると証言するだろうし」
オズワルドも武闘大会の猛者を二人も相手にせねばならないとは難儀なことだ。
ジルが肩をすくめる。
「大丈夫だよ、血の雨を降らさないように命じてあるから。あちらには妊婦もいることだし、何かあったら寝覚めが悪い。ただ、彼らが何もしないように見張ってるだけだ」
(あの二人、あんなにやる気満々だったけどホントに大丈夫かしら……)
「はは、抵抗するようなら王と王妃に隷属契約の魔術紋を刻むだけだから心配しないで」
リンリンの考えを読んだように、血を流すよりそれが一番手っ取り早いとジルは悠然と微笑んだ。
(隷属契約って……竜族恐るべし……!)
やはり竜族は規格外なのである。
「リンリン?」
黙り込んでしまった「番」の顔をジルが心配そうに覗き込む。
「うんん、なんでもないの。なんか大事になっちゃったな~と思って」
「シベンナ国王の『番』を狙ったんだから当然だよ。ここで目にもの見せておかないと逆に舐められて、今後も危険な目に遭合うかもしれない。リンリンが気にすることじゃないよ」
それに、とジルはリンリンの頭をなでながら言う。
「リンリンだって、秘薬を買い占められて嫌な思いをしたじゃないか」
「……それは違うわ」
リンリンは身体を起こし、資料から離れてジルの目の前に座った。
「秘薬の値段は高騰しちゃったし、秘薬が民に流れなくて残念だと思うこともあったけど、それはもういいの。だってね、誰がどんな思惑で手に入れようと、あれは最後はちゃんと必要な人のところへ届くんだって気づいたの」
「え?」
「高値だろうが買い占めようが万能薬の使い道はたった一つ『病を癒す』ことだけ。それ以外の用途に使われることは絶対にない。今回もちゃんと必要な人の手に届いていた。だからそれでいいのよ。自分の手を離れたものなのに『どんな人に飲んでほしいか』だなんて……傲慢だったわ」
言いたいことを言うと、リンリンはくるりと身体の向きを変えて、また資料をめくり始める。
「…………そうか、そうだな。だからリンリンは女神に愛されるんだな」
ジルは一人で納得している。
ペラリとページがめくられた。
「ねえ、リンリンのことは私が守るよ」
ジルの手が伸びて、黒猫の背中をなでた。
緑の瞳は止まることなく文字を追っている。
……ペラリ。
「ジルのことは私が守るわ」
……ペラリ。
リンリンの返事に驚いたようにジルの手が止まった。が、再び動き始める。
部屋で資料のページをめくる音がしている間、ジルは琥珀の瞳を潤ませ、ずっと「番」の背を優しくなで続けていた。




