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翌日、リンリンが勢いよく店の扉を開けると、チリーンとドアベルの音が大きく鳴り響いた。
「ルカ兄さんいるぅ~?」
かつて母が営んでいたこの「ローザ薬局」は、今では年の離れた異父兄が店主だ。
店内には湿布薬や痛み止め、軟膏など、ローザ直伝の薬が所狭しと並べられている。
できの悪いリンリンの代わりに、兄のルカが製法と店を継いだのだった。
「こらこら、扉は静かに開けなさい」
帳簿から顔を上げてお小言を言うルカは、リンリンのよき相談相手であり保護者代わりだ。
リンリンと父親を同じくする兄弟はおらず、ほかの兄たちは旅に出たり、他国で結婚したり、かと思えば離婚して引っ越したり、つまり自由気ままに生活していて、頼れるのは近所で腰を落ち着けているルカだけなのである。
とはいえ、年の離れた彼らはリンリンが物心つく前に自立してしまい、一緒に暮らしたことも会った記憶さえほとんどない。
リンリンにとって家族と呼べるのは、母とこの兄だけだった。
「はーい」
粗忽さを注意されたリンリンは、肩をすくめながら魔女の万能薬を鞄から取り出した。 作った秘薬はすべてこの兄に卸している。
「この薬、くれぐれもほかの店には売らないようにね」
そう念を押されるのは、魔女の万能薬がとても希少で高価だからだ。
貴族や一部の大金持ちが、伝手の伝手をたどってようやく手に入れられる類のものである。
ゆえに危険も伴うのだが、リンリンには、その手の危機感が足りない。
魔女の血。それも先祖返りの若い娘だ。稀有な血は狙われやすい。
「どんな危ない目に遭うかもわからないから気をつけるように」とルカに注意されても、リンリンはどこか他人事だ。
ドサッと革袋ごと渡された薬の代金の中から、チャリンチャリンと金貨と銀貨を数枚ずつ抜き取って、そのままルカに戻す。
「それだけでいいのか? お金、前回分のも残っているんだぞ」
「う~ん。そんなに使わないしなぁ。ルカ兄さんが使わないなら預かっておいてよ」
ルカのぶち柄の耳がピクリと動く。
この兄はちゃっかり……いや、しっかり者なので、客にはリンリンに渡す代金の十倍の値で売りつけている。それが相場だ、と。
その言い分は正しく、この王都で家一軒買える価値がこの一瓶にはある。
魔女が作る秘薬とはそういうものなのだ。
だが、無欲なリンリンは「魔女の万能薬」で儲けたいとは、これっぽっちも思わない。生活に必要なお金があればそれでいいのだから。
「わかった。預かっておくから必要になったら取りにきなさい」
ルカはニッコリ微笑むと妹のためにお茶の用意を始める。
リンリンは兄の淹れるハーブティーが好きだ。
ふわりと花の香りがするこのお茶を、母も好んでよく飲んでいた。
なんだかホッとするのだ。
「ところでルカ兄さん、私、結婚したいの」
一息ついた頃、リンリンが発した唐突な一言に、ルカは一瞬固まった。
これまで妹の口からは、結婚のけ字も語られることなどなかったのだから、驚くのも無理はない。
「は? 相手はどこの誰なんだ?」
「相手は……いないわ」
「結婚は一人じゃできないんだぞ? わかってるのか」
「ちょっと! バカにしないでよ。それくらい、わかってるってば。だから結婚相手を探したいのよ。誰かいないかしら?」
「……リンリンにはまだ早いんじゃないか?」
「ルカ兄さん、私はもう成人よ。お母さんが初めて出産した年になったんだから、子ども扱いはやめてよ」
「そうか、もうそんな年齢か。……フム」
ルカはどうしたものかと思案しながら口に手を当て、立派に成長したとはいえ、まだあどけなさが残る妹を上から下までしげしげと眺めた。
リンリンは美しい娘である。母譲りの黒髪に長いまつげ、目力の強い大きな瞳は明るいグリーンだ。ぽってりとしたサクランボ色の唇からは早くも大人の色香が漂い、最近は胸まで大きくなってきた。
悪い虫はつけたくない。この兄がそう考えていることなど、リンリンは知る由もない。
「な、何よ」
「いや、料理はできない、暇さえあれば昼寝して、家の中はいつもごちゃごちゃな妹が、『結婚したい』なんて言い出したものだからね。このまま嫁に出しても大丈夫だろうかと、優しい兄は案じているのだよ」
「うっ……」
至極真っ当な指摘である。リンリンの黒耳がへにゃりと折れた。
確かに今日だって昼過ぎまで眠っていたし、昨夜薬草を煮るのに使った鍋も洗わずにそのままだ。
食事の用意が面倒なときは猫姿になって、三軒先に住んでいる親切な羊族のジェーンおばさんやニャンコ好きの黒豹獣人クレア姉さんに、ご飯を恵んでもらっている。
もちろん彼女たちは、黒猫がリンリンだとは知らずに、ただの野良猫として世話をしているのだが。
騙しているようで良心が痛むがやめられない。
「ん、まあ、アレだな。いきなり結婚じゃなくて、まずはお友達でも作ってみたらどうだ」
「おともだちぃ~?」
リンリンは口を尖らせる。
薬局を営むルカは、取引相手も多く顔が広い。知り合いを紹介してもらえば、とんとん拍子にことが運ぶと安易に考えていたのに、当てが外れてしまった。
「お前はあまり外に出かけないから、人を見る目もないじゃないか。悪いヤツに騙されてからじゃ遅いんだぞ。ほら、近々、国王のパレードがあるだろう? 屋台も出るから、たくさん人が集まるぞ。とにかく、いろいろな男の人を見て慣れるところから始めてごらん」
「そっか! 今はどんな白い獣人さんが理想なのか、わからないものね。いろんな人を見てみたほうがいいわね」
悪い虫と結婚させたくない兄は適当に誤魔化し、兄を疑わない単純な妹は簡単に騙された。
リンリンのやる気と耳は、見事にぴょこんと復活した。
そして、パレードの日は親友のミーナを誘おうと心に決めた。きっと一人より楽しいはずだ。
「白い獣人さん? なんだそりゃ」
訝しんだ兄を無視して「ルカ兄さん、ありがとう!」と礼を言うが早いか、リンリンは立ち上がり、やってきたときと同じように勢いよく扉を開けて帰っていった。
チリーン!
店にはドアベルの大きな音と、やれやれと苦笑するルカの姿が残った。




