■ 1
薬草を煮るのは雨の日の夜に限るとリンリンは思う。
雨の日の午後は眠くなってしまうし、晴れた日は外が騒がしくて落ち着かない。
その点、夜ならば猫族は夜目が利くうえ、降りしきる雨が薬草の臭いを消してくれる。密やかな作業にはうってつけだ。
クツクツと煮立つ鍋をかき混ぜながら小声でまじないの言葉を紡ぎ始めると、グリーンの瞳は緋色に変わり、赤い光が闇夜の窓へ映り込む。
この作業を行うとき、リンリンはいつも母を思い出す――。
『まじないは心が大事なの』
『こころ?』
『治りますようにって気持ちを込めれば、効果が上がるわ。だから、この魔女の万能薬は、心のキレイな魔女にしか作れないのよ』
『まじょ? お母さんはまじょなの? 魔法つかえる?』
『残念だけどお母さんには、ひいおばあさんのような立派な魔法は使えないの。魔女も代を重ねるごとに血が薄まって、力が弱くなってきているから。でもね、お母さんはお薬を作るのがとても上手なのよ』
『おくすり?』
『そう。一族に伝わる、どんな病気も癒すお薬よ』
『どんな病気も? スゴイね! お隣のザラおばさんの肺病も治る?』
『もちろんよ』
『じゃあ、じょうずにできたら、持っていってあげようよ!』
『あなたは優しい子だから、きっとよい薬を作れるようになるわね』
幼い娘に秘薬作りを教えながら優しく微笑む母のローザは、リンリンと同じ黒猫獣人の魔女だ。
娘の耳元に口を寄せ『これは絶対にナイショよ』とヒソヒソ声で秘伝を囁いても、リンリンは『キャハハ、くすぐった~い』と肩を揺らせるばかりだ。
我が子の頼りない様子に『大丈夫かしら』と、一抹の不安がよぎったに違いない。
だが、黒は魔力の象徴だ。ゆえに魔女の後継は黒髪の女と決まっている。
七人いるローザの子のうち息子は六人、黒髪の娘は末っ子のリンリンだけ。母に選択肢はなかったのだ。
「できたわ!」
リンリンは、かき混ぜていた匙を置き、鍋の火を止めた。あとは冷まして瓶に詰めるだけだ。
ふう~と一息つくと、ドッと疲れた身体をソファに投げ出した。
(結局これしか作れるようになれなかったのよねぇ)
秘薬以外にも継承すべき薬の種類は山のようにある。
しかし、リンリンは物覚えが悪く、手先が不器用な娘に育った。
辛抱強く指導していた母だったが、ある日、とうとう匙を投げてしまった。
リンリンにこの小さな家を残して出て行ったのは、三年前の十二歳のときだ。
育児放棄されたわけではない。猫族の親離れは十歳前後と早く、むしろ長く面倒を見てもらえたほうだとリンリンは感謝している。
猫族は気まぐれで自由を好む種族でもある。結婚、離婚を繰り返すことも、ふらりと住処を変えることもめずらしくない。
行方知れずの母も、もしかしたら新たな出会いを求めて旅立ったのかもしれない。
そのうち便りがあるだろうと、リンリンは呑気に構えている。
それよりも優先すべきなのは自分のことだ。
リンリンは昨日、十五歳になった。猫族にとっての成人であり、結婚ができる年齢だ。
急がなくては。
女の若さはあっという間だ。
(どこかにいい人、いないかしら)
ゴロンと寝返りを打った拍子に、リンリンは黒猫に姿を変える。
かつての獣人は皆、こうして動物に姿を変えられる獣化の能力を持っていたのだが、人間や異種族の獣人との結婚によって混血されていくうちに血が薄まり、次第にその能力を失っていった。
現代でも獣化の能力を持つのは、長寿ゆえに濃い血を保つ竜族のほかは、稀に生まれてくる先祖返りの獣人だけである。
リンリンもその数少ない獣人の一人なのだが、全身真っ黒なこの姿をあまり好きになれなかった。
(猫族以外だったら、白ウサギの獣人さんの子でも可愛いだろうし、白馬の獣人さんからは頭のいい子が産まれそうよね)
リンリンの憧れは、白猫である。
夢は、白猫に獣化できる先祖返りの子を産むこと。
つまり、自分の子に望みを託したいと思っているのだ。
産まれてくる子が先祖返りかどうかは運次第だとしても、せめて白耳と白いしっぽは絶対に譲れない。
(そうだわ、ルカ兄さんに誰かいい人がいないか相談してみよう!)
いずれにせよ、結婚せねば始まらない。
どうか、よい出会いがありますように。
そう願いながら、リンリンは静かに目を閉じた。




