■ 21
リンリンはしばらくその場から動けなかった。ルネが手にしていた秘薬に衝撃を受けたからだ。
(あれは私が、王宮に来る直前に作った秘薬だわ……!)
魔女の万能薬はまじないと共に魔力を注ぎ込むため、大量に作ることはできない。
作り手の魔力量にもよるが、リンリンの場合は一度に五本が限界だ。
そのすべてを兄のルカに託している。
用心深いルカは一本を予備で手元に残し、二本を馴染みの商人たちに、二本を聖教会に渡す。
今回ルカは商人たちとの取引を中止し、ジルへ預けた。つまり、ルネが持っていた秘薬は聖教会から流れてきたものであるはずだ。
(聖道女様は、秘薬をすべてスピレル王家に渡したってこと!? 買い占めに協力しているの?)
リンリンは聖道女と会ったことはないが、公明正大で皆から慕われている人物であることを知っている。ルカを含め、褒めることはあれど、彼女を悪く言う人はいないのだ。
だからこそリンリンは信じられない。
あれは経済的に恵まれない民のために渡したものだ。
なのにスピレル王家で独占したら、秘薬を必要としている貧乏な民のところへ届かなくなってしまう。
せめて一本でも残していてくれれば、数人で分け合って使うこともできた。
さすがに完治にまでは至らないが、延命が可能だし、苦痛を和らげ死を穏やかに迎えることだってできるのだ。
限りある薬をより多くの人へと、そのやり方を発見したのは当代の聖道女である。
だから、それを聖教会が知らないはずはないのだ。
(これは由々しき問題だわ)
リンリンはのんべんだらりと待っているだけではなく、率先して解決に動かなければならないと決意した。
「おい、大丈夫か?」
ずっと微動だにしない警護対象を気にしたのだろう。狼姿のロロに声をかけられ、リンリンは我に返った。
「はい……。あの……今の会話、聞こえてました?」
「ああ、狼族の耳は、ほかの種族よりもいいからな。少し離れていたが、全部聞こえた」
「どう思いますか?」
「さあな」
ロロはどうでもよさそうな気のない返事をする。本当に興味がなさそうだ。
「俺はありのままを報告するだけだからな。それをどう思うか、どう判断するのかは陛下の役目だ。それに諜報部員がいちいち個人的な印象だの憶測を交えたら、その情報は不確かなものになる」
「あ、それもそうですよね……」
「何を悩んでるのかは知らないが、ごちゃごちゃ考えるな。相手の言葉や表情に惑わされるな。アンタ、人の言葉の裏とか読めるタイプじゃないだろ?」
「うっ、確かに……」
「まあ、一つアドバイスできるとしたら、相手の言葉より行動をよく見ろってことだな。言葉は他人を惑わし、ときには自分にすら嘘をつくこともあるが、本心は行動にこそ現れるものなんだ。そして、人の行動には必ず理由がある。蓋を開けてみれば案外、単純だったりするもんだ」
「行動……単純……」
「アンタだって、なんだかんだ言って陛下に惚れてるんだろ?」
「なっ! そ、そんなこと……」
そんなことはない、とは言い切れないリンリンである。
「なら、どうして逃げ出さない? 居住区のあの部屋から抜け出せたなら容易いはずだ。アンタは身のこなしが軽い。陛下の『番』でなければ、諜報部にスカウトしたいくらいだよ。それなのに、ずっと陛下と一緒にいるじゃないか。朝も夜も食事中だって――正直、羨ましいくらいだ」
今日のロロは饒舌だ。こんなに長く会話をしたのは初めてかもしれない。
そしてたぶん、彼の言うとおりだ。
(私、ジルのことが好きなんだわ……)
リンリンは、無意識でとっていた行動の正体をズバリと言い当てられ、やっと自分の気持ちを自覚した。
「…………ロロさん、結婚したあとでも、そんなに『番』と一緒にいたいものなんですか?」
「当たり前じゃないか! ウサギ族の寿命を考えれば我々夫婦に残された時間は多くはない。仕事なんて辞めて二人っきりで過ごしたいが、アンナがメイドの仕事が好きだと言っているから我慢している。『番』の願いを叶えるのも甲斐性のうちだからな」
ウサギ族の平均寿命は猫族と同じ五十歳だ。一方で狼族は百五十歳と言われている。アンナが十八歳なので、夫婦でいられるのはあと三十年くらいだ。
異種族との結婚にありがちなことだが、最愛を失って過ごす時間の長さを慮れば「『番』への愛が重い」などと軽々しく口にできない。
「…………」
「同情はするなよ。大切なのは共に過ごした時間の濃さだ」
リンリンの心の中が透けて見えたのか、逆に慰められる。
(これからは、もっとアンナさんと過ごす時間を増やそうかな)
ロロの護衛対象であるリンリンがアンナと一緒にいれば、ロロもアンナと過ごす時間が増えることになる。
リンリンが二人のためにできるのは、精々これくらいだ。
それからリンリンは夜の帳が下りるまで、マハマーティ像の前で過ごした。
(迷ったら、行動を見てみる……)
マハマーティ像は何も言わず、ただ佇んでいる。
(行動には……理由がある)
マハマーティ像は、ただ静かに、慈愛の笑みをたたえているだけだ。
――彼らは「魔女の万能薬」を集めている。
――彼らは母を……ローザを探している。
――聖道女は、彼らに秘薬を渡した。
――ルネ王太子は妹セレーナの縁談をジルへ申し込んだ。
――セレーナ王女は黒猫をかばった。
――侍女イザベラは、毎日マハマーティ像に祈る。
(あとは……そうだ。正妃マーガレットは、夫である国王のオズワルドを助けた)
「理由は……行動の理由…………」
リンリンの声が小さく漏れる。
「……愛……?」
もう少しで何かがひらめきそうになったその瞬間、リンリンのお腹が大きく鳴った。
ぎゅるるるぅ~。
(ハッ! もう夕食の時間だわ。今日はサムさん特製ポークチョップだったはず!)
リンリンの腹時計はいつも正確である。
腹が減っては戦はできぬとばかりにリンリンは、考えることを放棄して空腹を満たすために急ぎ足で部屋へ戻っていくのであった。




