■ 20
「『番』だけを愛する身持ちの固い殿方もいらっしゃるけど、なおのこと小細工でどうにかできる相手ではないわね」
セレーナはそう言いながら、どこか寂しげに扇を弄んでいる。
「セレーナ様……」
イザベラは言葉に詰まった。
(え、何? この諦めムードは……王女様の恋の相手には『番』がいるの? もしかして獣人?)
もっとハッキリ言ってくれないと話が呑み込めないわ――とリンリンはもやもやしている。
「わたくし帰国したら、西の聖教会で聖道女様のお世話になろうかと考えているの」
「セレーナ様っ? 突然何をおっしゃるのですか!」
「そうね、お義姉様が無事に出産なさってしばらくしたら。あそこなら、わたくしの居場所があるかもしれないもの」
「ルネ殿下がなんとおっしゃるか……」
「お兄様には内緒よ? きっとお父様もお母様も反対なさらないわ。王女として役に立たない、政略の駒としての結婚も、もう望めない。わたくしは王家のお荷物にしかならないのだもの」
「セレーナ様っ! そんなことはございません。お荷物だなんておっしゃらないでくださいっ」
でも事実だわ……セレーナはそう小さく呟きながら、扇をパラリと広げ口元を隠した。
イザベラは激しく動揺しつつも、必死に平静を保とうと胸に手を当てている。
(え、え、え、え? 失恋したから俗世を離れたいってこと? 王家のお荷物? よくわからないわ。なんで言葉を濁すのよ……)
結婚適齢期ギリギリとはいえ、結婚を諦める年齢とも思えない。美姫なのだから、いくらでも良縁はありそうである。
リンリンは頭の中がこんがらがってきた。
そうこうしているうちに、ガサッと雑草を踏みしめる音がして人が近づく気配があった。
「お兄様!」
ついと声を上げたセレーナの視線の先には、足早にやってく来るルネの姿があった。
長身、金髪、ブルーの瞳。王女と血の繋がりを感じさせる顔立ちは美しくも、表情は険しい。
イザベラが王女の後ろへ下がって礼をとる。
「待たせたな」
ルネは、セレーナの向かいに腰を下ろした。
「いかがでした?」
聞くまでもなく返答が自身の望むものではないとわかっているのか、声に張りがない。
そんな妹を哀れむようにルネは目を伏せ、一呼吸置いてから答えた。
「ダメだった。不甲斐ない兄ですまない」
「そうですか」
あっさりとした返しだが、セレーナは扇で顔を覆ってしまった。
傍に控えるイザベラは、ぎゅっとスカートの端を握りしめている。
「そんな……隣国の王女であられるセレーナ様の何が不服というのでしょう」
「仕方がないわ、イザベラ。アルベール様には『番』がいらっしゃるのですもの」
「ですがっ、あちらは先日、出会ったばかりだとか。幼少より交流のあったセレーナ様のほうがずっと――」
王女の扇がパタリと閉じると、侍女は口を閉ざした。
「おやめなさい。出会ったばかりだからこそ、よ。わたくしがあの方の『番』だったなら、とっくの昔に国を出て、この宮殿で暮らしていたことでしょうね」
「まさかこのタイミングで『番』が現れるとは思わなかった。竜人は『番』を見つけるまで何十年も独り身だと聞く。せめてその間だけでもお前を娶ってもらえまいかと思ったのだが、間が悪かった。しかも妻は生涯に一人と言われ、二人目の妻にとは切り出せなかった」
ルネが無念さを滲ませ釈明する。
セレーナはゆっくりと頭を振った。
「いいえ、お兄様。はなから望みはなかったのですもの。わたくしのほうこそ、お兄様にここまでしていただいて申し訳ない気持ちでいっぱいですわ」
「その『番』の方に、身を引いていただくわけにはいかないのですか?」
諦めきれない忠心の侍女は足掻く。
「言ったでしょう、小細工は無駄だと。わたくしたちは、あの方の『番』に交渉どころか、会うことすら叶わないわ。それにそんなことをすれば、我が国が危機に瀕することになる」
「まさか。スピレルは帝国と同盟を結んでいます。簡単に負けたりするはずがありません」
信じられないといった表情をするイザベラに、セレーナは噛んで含めるように言い聞かせる。
「武闘大会を観戦したでしょう? シベンナの軍事力は世界最強。特に竜人は一騎当千よ。軍備だって馬で車にどうやって勝てると? 子ども相手の喧嘩にもならないでしょうね。それに――」
セレーナはテーブルの上の「湯沸かしポットくん」に手を伸ばし、スルリとなでた。「湯沸かしポットくん」は、持ち運びに便利なコードレスなので、屋外での食事やティータイムにも重宝されている。
「これほどの開発力は我が国にはないわ。これだけじゃない。この国には各家庭に給湯器とお風呂があるの。それに比べて、スピレルには水道すらない村がどれだけあることか。シベンナが武闘大会から一連の祝賀行事を盛大に催すのは、国力を見せつけるためよ。あれを見たら、誰もこの国と戦争しようなんて思わないわ。そうやって無益な争いを生まないよう牽制しているの」
イザベラは黙ってしまった。
リンリンも黙って聞いている。
「さ、この話はここまで。お兄様、わたくしのわがままを聞いてくださって、ありがとうございました」
セレーナは明るく振舞おうとするが、ルネの顔は険しいままだ。
テーブルにお茶の用意はしてあるのに、誰も手をつけようとしない。もうすっかり冷めているに違いない。
(そうか……王女様の好きな「あの方」って、ジルのことだったのか……! ダメもとで縁談を申し込んだってことよね。なんだ、政略じゃなくて、純愛じゃないの)
側妃制度のあるお国柄らしい「二人目の妻」やら「身を引いていただく」などと高貴ならではの高圧的なもの言いには馴染めそうにないが、リンリンは、セレーナの一途な恋心がわかる気がした。
なんといっても気位が高いであろう一国の王女が、いずれ平民に戻る男の二人目の妻でもよいというのだから。
「セレーナ、ほかに何か望みはあるか? お前には申し訳なくて、このままでは私の気が済まない」
黙って侍女とのやり取りを聞いていたルネが妹に尋ねた。
セレーナは「特に何も……」と言いかけて、少し考えた末にパッと顔を上げた。
「それなら、わたくし、猫が欲しいですわ。先日、可愛らしい黒猫を見かけましたの。それに、あの方の愛猫も黒猫ですわね。わたくしも同じような黒猫が飼いたいのです」
このときになって初めて、セレーナの表情から曇りが消え、柔らかい笑みになった。
ルネはホッとしたように頷き微笑みを返す。
「せっかくだ。あの方の黒猫を譲っていただけないか話してみよう。最近飼い始めたばかりだと聞いた。情が移る前だろうから、縁談は無理でも猫一匹ぐらいどうにかなるだろう」
「お兄様、無理はしないでくださいませ」
「いや、それくらいの願いは叶えてみせるよ。ルネ・ラファエル・ド・スピレルの名にかけて」
「大袈裟ですわ」
セレーナはプッと噴き出して笑い、その兄はおどけたように肩をすくめた。
リンリンは、彼らが自分を隣国に連れて行くつもりなのだと聞いて面食らっている。思わぬところに矛先が向いてしまった。
(なんなの、この話の展開は。縁談がダメなら猫? ジルは絶対に手放さないでしょ。それにしても王太子ってシスコンなのかしら。妹のために必死すぎるわ)
王太子が妹の恋のために動くことなど稀だろう。王女自ら発言したように、本来ならば「政略の駒」なのだ。
愛猫があの方の「番」であることなどつゆ知らず、ガゼボは一転、穏やかな雰囲気に包まれていた。
「そうだ、これを。先程、侯爵の使いから預かった。お前に渡しておくよ」
周りに人影がないのを確かめてからルネが取り出したのは、リンリンがいつも見慣れているあの薬の小瓶だった。二本ある。
セレーナの合図で、イザベラが素早くスカートのポケットの中に仕舞い込んだ。
「次は、いつ手に入るかわからないそうだ」
「……はい」
兄と妹の声は、リンリンの耳にかろうじて聞き取れる小さなものであった。
草むらを揺らす風が冷やりとし始め、午後の終わりを告げている。
その会話を最後に、彼らはゆっくりとガゼボを去った。




