■ 19
黒猫をかばった女性がセレーナ王女であるならば、蓮池のほとりのマハマーティ像に祈りを捧げる娘は、王女の侍女イザベラに違いない。彼女はいつでも王女の傍に控えているのだ。
その忠実な侍女が主人を置いてやってきて、一人静かに跪き、愛の女神に何を希うのか。
リンリンは、気になってしょうがない。
(きっと王女様のことよね。良縁がありますように、とか?)
はたまた王女が道ならぬ恋に悩んでいる、とか。
定番なのは、護衛騎士との身分差の恋だ。お互い想い合っているのに結ばれず、王女は隣国の王のもとへ嫁いでいく――。
リンリンは最近、恋愛小説の読みすぎなのである。本人にもその自覚はある。
しかし、野次馬根性は止められない。
暇があれば、どうしても気になってこの蓮池に足が向いてしまうのであった。
その日、セレーナとその侍女イザベラは東のガゼボにいた。
東のガゼボは蓮池の通り道にあり、ひっそりとしている。人目を気にせずに済むのか、二人はくつろいでいるようだ。
その様子を見たリンリンはピンときた。これは何か面白い話が聞けるかもしれない、と。
なぜなら、四方を見渡せるガゼボは、人が近づいてきたらすぐにわかるため、盗聴の心配をせずに密談ができる絶好の場所だと物語で読んだからだ。
リンリンは、草むらに隠れながらソロソロと近づいていく。
後ろのほうでロロがぎょっとしているのは無視することにした。彼はいつも離れたところで黙って見守っている。
一度、ジルのことで質問をしたことがあるのだが、「きゅぅ…………」と口がきけなくなってしまった。守秘義務に反するらしい。諜報活動をするロロには、特に厳しい魔術契約が義務づけられている。
以来、かわいそうなので、必要最小限しか話しかけないようにしている。
ロロは「番」のアンナがいれば満足のようだし……。
(それに、あんまり仲よくすると、ジルの機嫌が悪くなりそうだしね)
「番」を愛する竜人は面倒くさいのだ。
「明日はいよいよ舞踏会ですね」
イザベラに話しかけられて、セレーナの頬がほんのり赤く染まった。
「そうね。それが終われば……もう帰国ね。あっという間だったけど、いい思い出になったわ。できれば最後に一曲だけでも踊れたらよいのだけれど、無理かもしれないわね」
「諦めるのですか? あのっ、今からでもあの方にエスコートをお願いしてみては……」
「ダメよ。わたくしのエスコートはお兄様だし、あの方はきっと別の女性と出席なさるわ。もし、お一人だったとしてもスピレルとは違って、この国の舞踏会に厳格なルールはないの。エスコートが身内か婚約者とは限らないし、ファーストダンスを国王が踊らなければならないわけでもない。同じ相手と何曲続けて踊ろうが、恋仲を噂されることはないのよ」
「そう、なのですか。ほんの少しでも世間の話題になればと思ったのですが」
イザベラは、残念そうに視線を落とした。
リンリンの耳はピンと立っている。
昨夜読んだスピレル国の王宮を舞台にした恋愛小説によると、国王のファーストダンスの相手は妃であり、夜会で同じ相手と三曲以上踊ることを許されるのは、夫婦か婚約者と決まっている。
つまり、それ以外の相手と三曲以上踊れば、「熱愛発覚!!」もしくは「浮気による三角関係か!」と大スキャンダルになるのだ。
貴族は噂好きで、それが元で婚約破棄になったり、逆に結婚が決まったり、家が没落したりと、たかが噂と侮れないものがある。
ときには噂を利用し罠にはめ、ライバルを陥れる。なので、彼らにとって夜会はつねに戦場だ。一瞬たりとも気が抜けない……らしいのだ。
どうやら、この侍女は「あの方」と王女との間に恋の噂を立て、外堀を埋められないかと狙っていたようだ。
「我が国と同じように考えないほうがいいわよ。それに獣人は貞操観念が……なんというか、奔放っていうのかしら。わたくしたちと違って、女性の結婚に純潔は必要ないの。だから間違いがあったとしても、彼らに『責任を取れ』というのは通用しないわ」
「そうなのですか……?」
「以前、それで失敗した伯爵令嬢がいたわね。夜会ではいつも一緒。相思相愛と噂を流し、純潔まで捧げて一目惚れした獣人と結婚しようとしたけれど、アッサリ逃げられたらしいわ」
「まあ、純潔まで……責任を取るよう誰も諫めなかったのですか?」
「『それがどうした』って一蹴されたらしいわ。『勝手にくっついてきて、無理やり媚薬を飲ませたのはそっちだろう』って。結局彼女、表を歩けなくなって修道院に入ったの」
「…………」
イザベラは言葉を失った。
リンリンは、そりゃそうだろうなと納得している。
母のローザも二回結婚しているし、猫族より寿命の短いネズミ族なんかは結婚すればいいほうで、未婚でも気にせずバンバン子どもを産む。責任もへったくれもありゃしないのだ。
何族の獣人の話かは知らないが、その辺りの常識が人間の中でも保守的なスピレル国とは違いすぎる。
(しかも、媚薬って……!)
事実は小説よりも奇なり――。
王女様の話のほうが面白いかも……と興味津々のリンリンである。
(ん~、はっきりと口にしないけど、セレーナ王女には好きな人がいるみたいよね?)
あの方とは誰のことだろう?
リンリンはガゼボの柱の陰に身を潜め、彼女たちの話に集中した。




