■ 17
それから数日が過ぎたが、リンリンはまだ黒猫姿のままである。
言い出しっぺはジルだ。
「祝賀行事が終わるまでは、このままでいたほうがいいと思う」
間もなく来賓が国に帰っていくという。
スピレル国からは、ルネ王太子と身重の王太子妃の代理で妹のセレーナ王女が出席している。
ジルは彼らを警戒しているのだ。
「祝賀行事の最終日は、舞踏会なんだ。猫といたほうがダンスしなくて済むし、今、獣化を解かれると私の理性がもた……いや、とにかく、しばらく猫のままのほうが都合がいいから」
ジルは途中でゴニョゴニョと口ごもってしまった。
リンリンは彼には彼の事情と考えがあるのだと理解することにした。
その「事情」とやらの中には、リンリンのジルに対する態度に関するものも含まれていた。
「ルカより他人行儀なのは嫌だ」と敬語の禁止と呼び方に注文がついたのだ。
「ジルと呼ぶように」ときつく言い渡され、「ジル様」と呼ぼうものなら「違うでしょ」と素早く指摘されてしまう。
「竜人は狼族より嫉妬深いですから」
狼の獣人ロロの「番」であるメイドのアンナは言う。
(そもそも兄に嫉妬ってなんなの?)
あのロロより嫉妬深いのか。リンリンは、この先のことを想像してげんなりした。
国王居住区の使用人たちは、リンリンが先祖返りであり、あの迷子の黒猫リリであることをもう知っている。改めてジルから発表があったのだ。
それまで気がつかなかったのは、メイド歴二年のケイトだけだったらしい。
彼女は「猫がリンゴやサラダを食べるなんておかしいと思った」と納得していたという。
心配をかけたメイドのリタにも謝った。第一発見者なのだから一番びっくりしたに違いないのに、彼女は「いいんですよ」と快く許してくれた。
側近たちにもバレていた。しかも、ジルが黒猫リリを伴って執務室に入った初日に。
竜人である彼らは竜化できるし、竜人のハーフも獣化できる者が多いとあって、彼らは先祖返りの事例に慣れていた。
なので執務中、片時も離さず甲斐甲斐しく黒猫の世話をするジルを見てすぐにわかったそうだ。
以来、本来ならばすぐ蜜月に入るところを、ジルが大人しく公務に励んでいるので、余計な刺激は与えまいと生温かい目で見守っていたのだとか。
ほかに黒猫リリがリンリンだと知る者は、国王陛下の、つまりジル直轄の諜報部隊のみである。
ただし、「魔女の万能薬」の作り手であることだけは、皆には秘密だ。
「ジ、ジル、私、自分でできるから……」
リンリンが恥ずかしくてモジモジしていると、ジルはひょいと抱き上げてさっさとバスルームに入ってしまった。
「何を今さら恥ずかしがってるの? 『番』の世話は男の役目だって教えたでしょ」
「い、いや、それは普通のニャンコのふりだったから……ぶぼっ……」
ジルはシャンプーを泡立て、問答無用で洗面器の中にリンリンを放り込んだ。
いつもどおり絶妙な力加減で身体を洗われ、その気持ちよさにうっとりとなる。
「フニャ~ン」
「ほら、気持ちがいいだろう?」
そしていつもどおり、ドライヤーで毛を乾かし、丁寧にブラッシングをしてからジルは風呂に入る。いつもと違うのは、長風呂になったことだ。
「バスルームを出たら、またリンリンがいないんじゃないかと不安だったんだ。昼間はロロの目があるけど、寝室だとそうもいかないから」
あのときは、本当に心臓が止まるかと思った。だから、もう黙って出て行ったりしないで――。
かすれた声で懇願されて、リンリンはキュッと胸が締めつけられる。
行方不明だと聞かされて、一番びっくりしたのはメイドのリタではなくジルだったのだ。
二度としない――リンリンは心に固く誓った。
ジルが裾を折ったパジャマ姿で、ブランデーのグラスを片手に本のページをめくる間、リンリンも読書をすることにした。
居住区にある図書室で、恋愛小説を借りてきた。
人間の国が舞台の、公爵令嬢が王子様に婚約破棄をされながらも、健気に頑張り新たな恋をして幸せになる話だ。この国にはない「貴族令嬢」という高貴な響きに、リンリンはすっかりハマっている。
肉球のある手と爪で、不器用ながらもなんとかページをめくる姿は、ちっとも猫らしくない。
そのうち大きなあくびをし始めると、リンリンはジルと同じベッドで眠る。
王宮内の散歩も欠かさない。
蓮池のほとりのマハマーティ像には、やはり侍女らしき娘が祈りを捧げているのを見かけるし、裏庭のハーブ園ではカモミールが旬である。
明日、料理人のサムに頼んでお茶にしてもらおう。
隠しごとがなくなったぶん、リンリンの足取りは軽い。
まあ、ほんの少しだけ変化はあるが、いつもどおりの日常を過ごしているということだ。




