■ 16
ルカ曰く、今回の商談はその秘薬の取引であった。昔馴染みのその客によると、最近、「魔女の万能薬」の相場が二倍に跳ね上がっているという。三倍の値でも売れることもある。
その客が不審に思い注意深く調べてみると、売った相手はすべてスピレル国正妃マーガレットの実家に連なる者だったという。
「正妃が密かに薬を集めているのか」
スピレル国と聞いてジルの眉間にしわが寄る。
リンリンは首を傾げた。
「国王の病気は治ったんですよね? 秘薬を買い占める必要なんてあるかしら。使い道は?」
あれは治癒の見込みがない病に用いる薬だ。
幸いなことに竜族の医療技術は高く、世界に尽力を惜しまない。
そのため不治の病を特定の場所で、同時に、何人もの人が患うような事態をリンリンは想像できなかった。
「不治の患者が何人も出るとすれば新種の伝染病の類だが、そうであればもっと大騒ぎになっているはずだ。死者が多く出るし、貴族たちが血眼で手に入れようとするから、秘薬の値段はもっと高騰するだろう。それに、シベンナ国民に感染者が出ていてもおかしくない。しかし、そんな報告は上がっていない」
シベンナ王国から送り込んだ諜報員によれば、スピレル国内も城内も至って穏やかであり、妊娠中の王太子妃の体調は良好であるとジルは言う。
「私もいろいろな客に当たってみましたが、マーガレット妃が万能薬を集めているのは事実のようです。それだけではなく、彼女は秘薬の作り手を……おそらく母を探しています」
「なんでっ?」
リンリンの疑問にルカは国王であるジルに向けて答える。
「わかりません。三年前、正妃に秘薬の仲介をしたのは西の聖教会です。先日、薬を届けたとき、聖道女様にそれとなく母の行方について尋ねられました」
この大陸には東西南北に一箇所ずつ、各地の教会を束ねる大教会があり、それを聖教会と呼ぶ。
シベンナ王国とスピレル国の境には、西の聖教会があった。
彼らは神に仕え、国や種族に関係なく慈善活動を行う団体であり、人々から尊敬されている。
聖道女とは、その聖教会のシスターの中で一番偉い人なのである。
貧乏な人でも魔女の万能薬の恩恵に与れるよう、秘薬の入手ルートの一つに聖教会があることは、ほとんど知られていない。
魔女と聖教会の組み合わせが人々のイメージとそぐわないし、薬を「買おう」とする金持ちたちは、薬種商や外国の貿易商などの「商人」を頼ろうとするからだ。
しかし、自力でどうにもならなくなったとき、人は天に祈り神に縋る。
行き場を失った人々の最後の砦にこの秘薬があったとて、なんの不思議があるだろう。
魔女は神や精霊との契約により、その力を得る。
万能薬のまじないの源は、愛の女神マハマーティによる癒しの力だ。
リンリンは母のローザに倣い、女神への感謝の意を込めて、作る秘薬の半分を聖教会へ無償提供し、聖教会も無償で必要な人々に与えているのだ。
「探すも何も私の庇護下にあるのは、スピレル王家に知られている」
「どうやら今出回っている妹が作った秘薬が、母の手によるものだと思われたようですね。庇護を解かれたと勘違いしているのかもしれません」
「ああ、そういうことか。では、もうしばらく保護施設から出すわけにいかないな。リンリンに会わせてあげたいけど。今、情報を集めているから、とりあえず様子を見るしかないね」
ごめんね、とジルは申し訳なさそうにリンリンを見た。
「聖教会にはいつもどおり薬を渡しましたが、商談は中止しました。この秘薬は陛下に預けますので、どうぞお持ちください」
ルカはローテーブルに置いた秘薬の瓶を指し示す。さらに外套のポケットから小さな巾着袋を取り出し「これは妹に」と差し出した。
中身は宝石だった。ダイヤモンド、エメラルド、サファイヤ、ルビー、オパール、トパーズ……さまざまな裸石がたくさん入っている。
「今まで預かっていたリンリンのお金を宝石に換えてきた。これなら荷物にならないし、世界中どこへ逃げても宝石なら高値で売れるから、いざってときに便利なんだ」
ルカは、きな臭さを感じて妹の逃走資金を用立ててきたようだ。
「なんていうか……逃亡生活前提なのね」
「母さんを見てるからね。まあ、お前には陛下もいるし、大丈夫だろうけど」
ルカの言うとおり、リンリンは着の身着のまま逃げる事態になっても、ちっとも困らない。ジルがいなかったとしても、だ。
それは近所に住む、ニャンコ好きのクレア姉さんのお世話になろうと考えているからだ。
彼女以外にも、町内にはたくさんの猫好きがいることは、とっくにリサーチ済みである。
そんなときも獣化の能力は便利だ。獣化ばかりしていると兄に叱られそうだが……。
(ま、いいか)
リンリンは、食べて寝ることさえできればなんとかなるさと、かなり楽天的なのである。
「ニャン」
つい、いつもの癖でニャンコ言葉でお茶を要求する。ジルは慣れた手つきで、時間が経ってほどよく温くなったお茶をカップのソーサーに注ぎ、リンリンの口元へ持っていった。阿吽の呼吸である。
さも当然のようにチロチロと皿からお茶を飲む妹に、ルカは呆れた顔をした。
「お前は、陛下になんてことをさせているんだ……まあ、いい。それより、いつまでその姿でいるつもりなんだ? いい加減、元に戻ったらどうだ」
「ム、ムリよっ! 絶対ムリッ!」
リンリンは、急におたおたし始める。
ルカは、落ち着きのない妹を見て「今度は、なんなんだ」とうんざりした様子だ。
だって、元に戻ったら――羞恥心がリンリンを襲った。
「……すっ、素っ裸なんだもの!」
本当は迷子になった日の夜、部屋に帰ったら元に戻るつもりだったのだが、着ていたワンピースを落としてしまい着替えがなかったのだ。
誰にも相談できず、ほかに着られる服がないかクローゼットを覗いてみても、スケスケでピラピラのネグリジェしかなかったため、今日までこのままであった。
(あんな破廉恥な格好……ムリッ……!)
「ご、ごめん。きっとレベッカが『番の部屋』だと言って用意させたからだ」
事情を知ったジルは真っ赤だ。
通常、竜人は「番」を娶るとしばらく夫婦で部屋に引きこもる。その引きこもり期間を「蜜月」と呼び、文字どおり一歩も部屋から出ずに、二人きりでイチャイチャしながら蜜のような甘~い時間を過ごすのだ。そのため、メイドたちが気を利かせたのだろうと言う。
「はぁぁ……」
もうつき合いきれないとルカは頭を抱えている。
片やジルは落ち込んでいた。
「ああ、私は本当に愚かだな。『番』の着替え一つ満足に用意できないなんて、情けなさすぎるっ」
そして、可愛い服をすぐに作らせるからねと、挙動不審なリンリンを鎮めるべく必死に機嫌を取るのであった。
こうして謁見の長い夜は更けていった。




