■ 13
召喚状に応じてルカが密かに登城したのは、王宮生活八日目の夜のことであった。
彼の装いからは、つい先刻、王都に戻ったばかりであることが見て取れる。手には大きなボストンバッグを一つ、肩にひっかけた外套は少々くたびれていた。
ひっそりとした国王居住区の一室は人払いがされ、誰も中の様子を窺うことはできない。
「国王陛下におかれましては――」
「堅苦しいのはよしてくれ。私もこの格好だしね」
畏まるルカを遮り自分の向かいのソファ席を勧めるジルは、黒いガウン姿だ。ガウンの下には、もちろん裾を折ったパジャマを着ている。リンリンはジルの懐、ガウンの中に隠れていてルカからは見えない。
「恐れ入ります。陛下、この度はようやく『番』様を迎えられたとのこと。心よりお祝い申し上げます」
ルカが何も知らずに祝いを述べた直後、凄まじい威圧が室内に充溢し、すぐに消えた。
(ふんぎゃ!)
リンリンの毛は逆立っている。そっとガウンの隙間から顔を覗かせ兄の様子を窺う。ルカは青くなりながらもその威圧に耐えていた。
「ごめん、リリ。驚かせるつもりじゃなかったんだ」
ジルは、リンリンの背中を安心させるようになで、懐から出して腕に抱き直す。
それを見たルカの目がカッと見開いた。
兄は妹の獣化時の姿を知っているし、見分けがつく。
しっかり者で聡い兄は、召喚の理由が妹のせいだと素早く察しをつけたようだ。
しかも、初っ端から強烈な脅しを食らって、いい話ではないのは明らかである。
(ヤバイ!)
これは絶対ルカ兄さんに叱られるやつだ、とリンリンは覚悟した。
「なあ、ルカ。三年前、君たちから庇護を求めておきながら、なぜ隠しごとをしたんだ? それほど私が信用できなかったのかな。残念だよ」
「陛下に隠しごとなど……」
「最近出回ってる魔女の万能薬は、妹君が作ったの? ローザに後継者がいるなんて、聞いていないけれど」
身に覚えがないというルカだったが、妹のことに話が及ぶとサッと顔色が変わった。
「確かに秘薬は妹が作りました。しかし、当時の彼女は後継者ではなく、庇護の対象は母ローザだけでした。隠したつもりはないのです」
「報告の必要はなかったと?」
ジルの目は鋭い。
「少なくとも当時はそう判断しました」
一度言葉を切ると、改めてルカはキリリと顔を引きしめた。そして、堂々と国王を正視する。
竜人を前に、これができる度胸のある獣人は少ない。伊達に危険を承知で「魔女の万能薬」を取り扱っているわけではないのだ。
「陛下、後継として育てたとしても、後継者になれるかどうかはまた別の話しです。作り方を覚えても、作れるようになるとは限らないのです。秘薬のレシピだけなら私も知っているし、ほかの魔女や魔術師の中にも知る者はいるでしょう。だけど私には作れない。たとえ作れるようになっても、ある日突然、作れなくなることもあり得ます。あの秘薬は特殊なんです。魔女の血、魔力量、清純な心、どれか一つ欠けても発動しない繊細な魔術のようなものです。特に清純さは、子どもの頃は無垢であっても、時が経てば俗世に染まってしまう。妹はまだ幼く不安定でした。そんな者を後継者だとは報告できません。ましてやあちら側に存在を知られたわけでもないのに。最近なのですよ。妹が母のローザと比べても遜色ない能才を発揮できるようになったのは」
ルカは毅然と言い切った。
一方で、リンリンは二人の会話についていけない。
兄に秘薬のレシピを伝授されていることなど初耳だし、ジルに魔女の秘薬についてペラペラしゃべっていることに驚く。
(えっ、なんの話? ルカ兄さんとジル様は知り合いなの? 三年前って何? 庇護? お母さんが行方不明なのと関係あるの?)
部外者は絶対に立ち入れないプライベート空間で、ラフで無防備な服装の国王に謁見するのは異例中の異例だ。
それは「(こちらがここまでさらけ出しているのだから)腹を割って話せ」というジルからのメッセージであり、威圧はその牽制でもある。
兄が早々に誤魔化しきれないと悟り白旗を掲げているのを、空気が読めない妹リンリンだけがわかっていなかった。
「それで、私の妹が何か?」
居住まいを正すルカの視線は、黒猫の姿をした妹に注がれている。
「お前は、また何かやらかしたんじゃないだろうな?」とその目が言っている。
やっぱりこれは説教確定だと、目が合ったリンリンは諦めの境地だ。
「彼女が私の『番』だった」
ジルが淡々と告げる。
「は?」
「リンリンが私の『番』だった」
「…………」
唐突なジルの告白に、ルカは言葉を失った。
ふぅ、とジルが脱力した。座っていた一人がけソファの背にもたれかかると同時に、張り詰めていた空気が一気に緩んだ。
「まいっちゃうよなぁ。あのとき、君たちがリンリンの存在を明かしてくれていれば、三年も前に出会えていたのにさぁ。三年だよ、三年!」
「気にするところはそこですかっ!?」
何ごとかとやきもきして駆けつけてみれば、妹を……「番」を隠していたという単なる八つ当たりとは。あまりのしょうもなさにルカの肩の力も抜けている。
「そりゃそうだよ。竜人が『番』と巡り合うのがどれだけ大変なことか。今もこうして威圧しなければ、適当に茶を濁すつもりだったはずだ」
「それは……否定しませんが……」
「これからはもっと信頼して? リンリンの家族は私にとっても家族だ」
「……はい」
魔女の秘薬がらみの呼び出しかと思いきや、実は「番」の話だったとは、兄も想定外だったに違いない。
竜族は、強者の風格で大概のことには怒らず鷹揚に構える。が、一転、「番」のこととなると、途端に狭量になる。
『竜族の『番』に手を出すのは余程のバカか、命知らずのすることだ』と言うレベッカの指摘は真実であり、過去には一国が滅んだ歴史すらあるのだ。
敵に回すと恐ろしいが、味方となればこれほど頼もしい相手はない。ルカは家族としてジルに受け入れられたことで緊張が解け、表情も和らいでいる。
「リンリンもね? もう隠しごとはなしだよ」
ジルは黒猫の頭をくしゃくしゃっとなでた。
(バレてた!)
リンリンがばつが悪そうに見上げると、ようやくジルにも笑顔が戻った。
「私にリンリンがわからないわけがないだろう? 猫の姿だって、豚の姿だってすぐにわかるよ。それに本当に自分の『番』が行方不明になっていたら、こんなところで悠長にしていられるわけがない」
そうだった。参謀マクシム・カルネも言っていたではないか。「番」の匂いは甘い、と。
猫姿だろうと、豚だろうと、虫の姿だって、きっと匂いでわかるはず。ただの猫のふりなんてジルの前では無意味だったのだ。
「じゃあ、ジル様は最初から黒猫が私だと知ってたってことですか?」
「あの日、食堂で猫姿のリンリンを見つけたときに、先祖返りなんだってことはすぐわかったんだ。普通の猫のふりをしていたみたいだったから、とりあえず部屋に連れて帰った。そのあとローザの娘だと知って、なんとなく状況は察したけど秘薬については確証がないから、ルカに話を聞いてみるまでは様子を見ようと思ってね」
「ジル様……迷惑かけてごめんなさい。アンナさんやほかの皆さんにも心配かけて、私……」
「ちょっと待った!」
しおらしく謝るリンリンを遮ったのは、目を吊り上げたルカである。
「お前が陛下の『番』だということはわかった。王宮にいることにも納得できる。だが、その行方不明ってなんだ? それから、その姿はなんだっ!」
「え? そ、そ、それは、花火を見ようと思って、えーと、えーと……」
ルカに詰め寄られ、リンリンはたじろぎながら、王宮の部屋を抜け出してからの一部始終を説明するはめになったのだった。




