■ 12
リンリンが王宮に来てから、七日が過ぎた。
だが、まだ黒猫の姿のままだ。
幸い国王の「番」が行方不明であることは、限られた者にしか知らされていないトップシークレットであり、国王居住区のプライバシーは決して外に漏れることがない。
リンリンの捜索は水面下で続けられているのか? その辺りの事情は何も聞こえてこない。
とにかく表向きは平穏な日々を送っていた。
国王の生活は、とても規則的である。
そうでなければ使用人たちが困るからだ。彼らはシフト勤務なのだ。
ダラダラと朝寝坊なんてされたら、部屋の掃除係の予定が狂うし、食事の準備も然りである。
朝、リンリンは目が覚めると、隣で寝ているジルの顔をじっと見つめる。
昨日は眠りながら口を開けていた。
間抜けな顔でも美しいのは、容姿に恵まれた者の特権だろう。
なんとなく癪に障るので、しっぽで顔をパタパタと叩いてやった。
ジルの眉間にしわが寄り、しめしめとほくそ笑む。
しかし、そんな無防備な姿を「可愛い」とリンリンは感じ始めている。
そして今日はお腹を出している。
寝返りを打ったら布団がずれたらしい。チラリと寝巻の隙間から腹回りの肌が覗く。
(う~ん、どうしてくれようか)
試しにそっとくすぐってみる。するとジルの均整の取れた身体がビクリと動いた。
「フガッ」
無様な声を上げて瞼が開く。目が合う。トロンとしている。彼はまだ眠いようだ。
「……リ……リ……まだ早い……もう少し……あと少しだけ」
そう言って黒猫を抱き寄せ、布団の中に引き込んだ。
ジルの体温は心地がよい。一緒に寝るのにも、もう慣れてしまった。
そのうちリンリンはジルの脇の下の隙間に居場所を見つけ、うとうとと微睡み始める。
起床後、身仕度が終わると次は朝食だ。
国王の食事は、毎日定刻に用意され、専用のダイニングルームで食べる習慣だ。
今朝は、コンソメスープにチーズトースト、オムレツ、ベーコン、フルーツの盛り合わせである。
王宮の朝食メニューは、だいたい同じだ。スープとパン。卵料理にベーコンかソーセージを添えたもの。フルーツ又はサラダ。食後のコーヒー。
昨日のスープはコーンポタージュで、卵は目玉焼きだった。ジルの好みは両面焼きだ。
「リリは、なんでもよく食べるなぁ」
ジルは、膝に乗せたリンリンの口にオムレツを運ぶ。楽しそうだ。
「ニャン」
リンリンが次を催促すると、ジルはベーコンを取り分け食べさせた。ベーコンの次はリンゴだ。蜜がたくさん入っていて甘い。
「猫ってリンゴも食べるのね……」
給仕のケイトが小さく驚嘆の声を上げたのでリンリンはヒヤッとしたが、ジルは聞こえなかったのか気にする様子はなかった。
やがてジルは食後のコーヒーを、リンリンはミルクを飲み終えると執務室へ向かう。
午前中は、主に書類整理に充てられる。
ジルは報告書を読み、必要な書類にサインをして判を押す。
国王の決裁を必要とする案件は意外と多い。彼は、机の上に山積みになっているそれらを次々に処理していく。
その間、リンリンはジルの膝の上か、ソファで寝転んでいる。邪魔はしない。
初日に机の上に飛び乗ったら、書類が舞ってしまったので、かなり反省しているのだ。
たまに宰相ユーゴ・バイエや補佐官カミーユ・ルロワなどの側近たちが出入りする。
初めこそ彼らは、愛猫を連れて歩く国王の姿に瞠目していたが、すぐに慣れた。
今では国王と猫はワンセットのように扱われている。
そのうち、ジルの肩に乗ることも覚えた。
昼が近づくと、忙しさが増す。
サンドウィッチなどの軽食で昼食を済ませたあとは、大臣たちと会議だったり、謁見の予定をこなしたり、ちょっとした視察をしたりと公務は多岐にわたる。
ときには貴賓たちとの昼食会や茶会に顔を出すこともある。
祝賀行事期間中は、各国要人が一堂に会しているため、情報交換や交渉の場が多く設けられているのだ。
リンリンはジルについて回っているうちに、迷わず王宮を歩けるようになった。
つまらない会議を抜け出して散策をしていたら、屋根裏の抜け道まで発見したくらいだ。
お気に入りの場所もある。
その一つは、王宮東側のガゼボの奥にある蓮池である。池のほとりに佇むのは、愛と癒しの女神マハマーティ像だ。
足首まである長い髪と豊満な体形、優しく包み込むような慈愛の微笑みをたたえつつも静かな表情。手には蓮の花。美しい像だとリンリンは思う。
癒しの秘薬を作る魔女には、つねに清廉潔白さが求められる。
リンリンはここへ来るたびに、心が洗われるような気分になるのだ。
何度か足を運ぶうちに、同じようにこの場所にやってくる侍女らしき人間の娘がいるのに気づく。
七日のうち五回も遭遇しているのだから、かなりのものだ。
黙って祈りを捧げるその娘は、きっと信心深いのだろう。
そのほかにも屋根の上で日向ぼっこしたり、屋根裏を探検したりと退屈しないが、国王居住区の裏庭にあるハーブ園は特に素晴らしい。
(カミツレ、バジル、エストラゴン、レモングラス、セージ。あ、キンモクセイもある)
日頃、薬作りをしているリンリンには、華美な花よりハーブのほうが身近で親しみがあるのだ。
そうこうしているうちに日が暮れてゆく。
夕食は、規則正しい王宮生活において、最も変則的だ。
国王の公務の都合で、時間がずれ込むことがしょっちゅうだからだ。料理人のサムは大変だろう。
メニューはコース料理のときもあれば、家庭料理の日も多い。どうやらジルの希望が反映されているようだ。
昨日はエビグラタンとキノコのスープ、蒸し野菜にバーニャカウダソースを添えたものだったし、その前は、ハンバーグステーキとポテトフライ、サラダだった。
サムの料理はどれも美味しい。
夕食後は、残った仕事を片づけ、明日の段取りをしてやっとお風呂の時間だ。
ジルは必ずリンリンをシャンプーして、ドライヤーで毛を乾かしブラッシングまで終えてから、自分のバスタイムに移る。
誰かにリンリンの世話を任せたりしないのだ。
そして猫の世話は丁寧なのに、本人は烏の行水だ。ちゃんと身体を洗っているのか心配になる。
寝巻はタータンチェック柄のパジャマをご愛用。ジルはズボンの裾をくるぶしまで折らないと落ち着かないようだ。はっきり言って、ダサい。
しかし、そんな冴えない着こなしでもカッコイイのだから、やはり美形は得である。
この頃には、すっかり夜も更けている。
眠る前にブランデーを少しだけ嗜んで、読みかけの本のページをめくり、リンリンが大きなあくびをし始めると、ジルはようやくベッドに横になる。
「ニャン」
今日もお疲れ様――そんな気持ちを込めて一鳴きしてから、リンリンはスルリと布団に身体を滑り込ませた。
国王ジルと黒猫リリの一日は、概ねこんな感じだ。




