■ 11
執務室では、ヴィクター・ロロット以下三名が、姿勢を正し静かに王の到着を待っていた。
リンリンが風呂に入っていたので、集められてからずいぶん時間が経っていたに違いないが、誰も文句一つ言わない。
ヴィクター・ロロットは、今は犬ではなく人の姿だ。
グレーの瞳と耳に黒い髪、細身の長身。整ってはいるがこれといった特徴のない顔からは、なんの感情も読み取れない。
テオとサシャもネズミ族と思われる茶の耳と髪に黒目、中肉中背、やはり特徴のない顔。揃いの黒い軍服を着用している。
リンリンには次に彼らに会ったとき、覚えていられる自信がない。それくらいの凡庸さだった。
彼らは諜報部員である。
情報収集や潜入調査をするうえで、印象に残りにくい平凡な容姿や獣化の能力は武器になる。
特にネズミ族の先祖返りは、獣化時の小ささとすばしこさで、どこにでも潜入可能なため諜報活動に向いているのだ。
ジルは執務用の椅子に座り、ゆったりと足を組んだ。
その立ち振る舞いは王の貫禄を漂わせ、リンリンの第一印象とはまったくの別人だ。
実はすっごくデキる男なのかもしれない。
(そのうえ、優しいし……)
たったの一日でリンリンのジルに対する好感度が「変人」「変態」という最悪なものから、急上昇していた。
「先に報告から聞こうか。テオ、サシャ」
二人はジルの前に進み出る。
右側の男、テオが口を開いた。
「まず、リンリン嬢の身元についてですが、猫族、黒猫の獣人、十五歳。王都にて独り暮らし、定職には就いておりません。父親不明、母親のローザは三年前から行方不明。異父兄六名のうち五名については、それぞれ住居を転々としており、現在王都にはいません。唯一、六番目の兄であるルカが薬局を営んでおります。王都五番街『ローザ薬局』。客の評判は上々。胃腸薬や湿布薬などのほかに、オリジナルハーブティーが人気です。店番に尋ねたところ、ルカは三日前から商談のため留守にしており、戻りにはあと数日かかるとのことです」
続いて左側の男、サシャが報告する。
「リンリン嬢が愛用の鍋と匙をご入用とのことなので取りに行ったところ、部屋の中が荒らされ衣服が散乱、シーツにお掃除ロボが絡まった状態でした。ただ、金品は手つかずで、外部から侵入された形跡がないことから、物取りの仕業ではないと思われます。念のため、家に見張りを立てておきましたので、何かあれば連絡が入るかと」
サシャは、見慣れた小さな鍋と匙をジルに提出した。
リンリンは恥ずかしさのあまり、顔から火が出そうだ。
出かける前に服選びに迷い、クローゼットの服を全部ベッドの上に広げてしまったのだ。
さらに、時間に迫られてバタバタと部屋の中を走り回り、何もないところで躓いてコケた。
そして立ち上がる際、誤って咄嗟にシーツの端をつかんでしまい、ベッドの上から「なだれ」が起きた。
散乱した服で床の上は足の踏み場もなかったが、見慣れた光景だったし、急いでいたので特に気にせずそのまま家を出たのだ。
お掃除ロボは毎日定刻に作動するようにセットされている。つまり、部屋の惨状はそういうわけだった。
(か、帰ったら片づ付けるつもりだったのよっ)
リンリンが心の中で言い訳をしても誰も聞いてくれる者はいない。だが、ジルに背中をなでられ、慰められた気分になる。
「ご苦労。では引き続き家の監視を頼む。それとローザ薬局にも。ルカ宛に召喚状を用意するから、帰り次第、届けるよう手配してくれ」
「御意」
ジルが手を払うと、二人は下がっていった。
残ったのはヴィクター・ロロット一人である。
「それにしてもローザ薬局、か。あそこに年頃の娘がいるなんて、聞いたことなかったんだけどな」
ジルはポツリと呟き、考え込みながら天を仰いだ。少しの間そのままでいたが「まあ、いいか」と姿勢を元に戻した。
「ヴィクター・ロロット」
「はい」
「スピレル国の監視を強化せよ。どうも胡散臭い。今回も王女との政略結婚なんて持ちかけてきたしな。竜人に政略結婚などあり得ない。王妃になれるわけでもないし王位も世襲されないから、そんな結婚に利がないことぐらい、彼らも知っているだろうに意図がわからない。誰かに探らせるように」
「はい」
「それから、ロロ」
「はい」
ロロと気安く呼ばれて、無表情だった顔を初めてピクリと反応させる。しかし、それも一瞬のことだ。
「お前にリリの警護を命ずる」
「恐れながら陛下、リリとはどちら様でしょう?」
「ああ、ごめん。この黒猫、リリって呼んでるんだ。ロロもさっきまで一緒にいた」
「は?」
とうとうヴィクター・ロロット――ロロのポーカーフェイスが崩れた。すぐさま顔を引きしめるものの、ポカンとした間抜け面が主君の前に晒された。
「あはは、ダメだよ。諜報部員たる者いついかなるときでも平常心、だろ?」
「……はい」とロロが恥じ入る。
「リリは私が面倒を見ることにしたんだ。今、居住区は人が少ない。警備を強化したくても、表立って騎士を置くわけにいかなくてね。お前が適任だ」
「私情で『影』を動かすのですか?」
ロロは、国王直属の諜報部隊を統括する男である。プライドも高そうだ。
遠回しに非難めいた言葉を返すのは、彼の胸中が、たぶん、こうだからだ。
たかが猫一匹に警護が必要なのか? 俺はそんなに暇じゃない、と。
そりゃ、猫の警護をする暇があるなら、お気に入りのアンナと戯れていたいに決まっている。鈍いリンリンでもそれくらいの憶測はできた。
ジルにも彼の考えがわかるのか、にんまりと笑っている。
「そうだよ。だから『ロロ』に頼んでいるんじゃないか。大っぴらに国王居住区に出入りできるんだぞ。アンナと毎日一緒だ。悪い話じゃないだろう」
ジルは、個人的な頼みであることを匂わせた。
ロロの耳がピクッと動く。
「私も悪いと思っているんだ。せっかくアンナと結婚できたのに、任務が忙しすぎて夫婦の時間もろくすっぽ取れない。毎日、狼姿でこっそり妻に会いに行かなきゃならないなんてさ。リリの警護を引き受けてくれたら、夫婦で一か月間の長期休暇をプレゼントしようじゃないか。どうだ?」
もう一押しと踏んだのか、ジルは大盤振る舞いだ。
(あれっ、ロロって犬じゃなくて狼だったの? 二人が夫婦ってことは――アンナさんはロロの『番』ってことぉ!? どうりで会った瞬間、威嚇されるわけだわ)
レベッカも言っていた。「番」に対する男の態度は「皆、あんなもの」だと。
それに、狼族の「番」への溺愛ぶりは相当なものであることは誰でも知っている。
なるほど、と納得してしまうリンリンである。
鼻先にぶら下げられた人参、もといアンナを前に、ロロは急にやる気をみなぎらせた。眼光がギラリと鋭い。
「お任せください陛下。リリ殿には毛ほどの傷もつけさせません」
「では、頼んだよ」
ビシッと敬礼をしてから退室していくロロの見事な手のひら返しに、リンリンは呆然とするほかなかった。
「ロロはあれでも優秀だからね。リリは何も心配しなくていいよ」
さ、私たちも戻ろうか――ジルはサラサラと書面を一通したためると愛猫を抱えて、ゆっくりとした足取りで執務室を出たのだった。




