■ 9
気がついたら、リンリンは迷子になっていた。
(困ったわ。ここはどこかしら?)
よく考えたら、いや考えなくとも、今日、王宮に連れてこられたばかりで、案内などしてもらっていない。しかも、重度の方向音痴である。
こうなることなど簡単に予測できたはずなのに、防げなかった己の頭の悪さを呪いながら、リンリンは濡れた身体を引きずるように歩いていた。
なぜこのような事態に陥ったのか。
それは二時間程前に遡る。
リンリンは王宮の屋根に上って街明かりを眺めながら、絶景花火スポットを探していた。
夜に紛れる真っ黒な容姿は、こんなときには都合がよい。
それにリンリンは猫姿で歩き回るのが好きだった。人目を気にせず行動できるので、自由で開放感があるのだ。
(この辺かなぁ?)
見晴らしのいい南側の屋根の片隅に腰を落ち着けて、花火開始を待っていたそのときである。ポツリ、ポツリと雨が降り出したのは。
あ、雨だ――そう思う間もなく、空がゴロゴロと鳴り始め、急に雨脚が強くなった。
こんな天気では花火も中止になってしまうだろう。数日前から楽しみにしていたのに……。
やっぱり今日は厄日かもしれない。
リンリンはやむなく、来た道を戻りながら下へ下へと下りていった。
ザァー……。
容赦ない雨に打たれて、身体はぐっしょり濡れてしまった。
部屋に帰ったらあったかいお風呂に入ろうと考えていると、突然、白い閃光とともに雷鳴が轟いた。
ガラガラ ガシャーン!
(ぎゃんっ!!)
リンリンは驚きのあまりビクンと身を震わせ、次の瞬間、反射的に駆け出した。無我夢中で庭らしき場所を抜け、ふと我に返ると、ここがどこだかわからなくなっていたのだった。
春先の夜は冷える。
このまま戻れなかったらどうしようか、とリンリンは急に心細くなった。
どんどん夜は更けていくし、お腹も空いてきた。まだ雨は止みそうにない。
雨宿りできる場所を探してトボトボと歩く。ひたすら歩く。そのうちに食べ物のいい匂いがし始めたので、引き寄せられるように進んでいった。
もしかしたら残飯にありつけるかもしれない。王宮なのだから、きっと食事も豪華で美味しいに違いない。そんな期待でリンリンの足取りが、少しだけ軽くなる。
ようやく庇のある裏口のようなところにたどり着いた。
「あら、ニャンコちゃん!」
濡れた身体を舐めていると聞き覚えのある声がした。ごみ箱を持ったメイドのアンナが裏口から顔を覗かせたのだ。地獄に仏である。
(アンナさんっ!)
リンリンはつい声を出しそうになって、急いで口を閉じた。
動物の姿でしゃべるのは獣化した獣人だけだから、言葉を話せばバレてしまう。
兄のルカとの約束で、先祖返りのことは秘密なのだ。破るわけにはいかない。
「ニャン」
仕方なしにリンリンは、ニャンコ言葉で返事をする。
「お腹空いたんですの?」
「ニャン、ニャン」
「ちょっと、こっちで待っててね」
アンナはリンリンを裏口の中へ招き入れ、美味しそうな匂いのするほうへ歩いていった。
どうやらここは食堂のようだ。たくさんの椅子とテーブルが並んでいるが、今は使われておらずガランとしている。
奥のキッチンから、ボソボソと男の人の話し声がする。
「おう、迷いネコか。どこからやってきたんだ?」
皿を持ってのっそりと姿を現したのは、がっちりとした体格の男である。男はリンリンの前に皿を置いてから、近くの椅子に腰かけた。
続いてアンナがミルクを入れた小皿を運んできた。
「裏口のところで、小さくなっていたんですのよ」
「ずぶ濡れだな。タオルでも持ってこようか」
「あ、私がやりますわ。サムさんは、まだ仕込みの途中でしょ?」
リンリンは厚切りローストビーフの切れ端にかぶりつきながら、二人の会話に耳をそばだてる。
その結果、ここは国王居住区の職員用の食堂であり、クマ族のサムはここの料理人であること。本日は国王主催の晩餐会があり、手が回らなくなった王宮の料理長に頼まれて、サムが貴賓用の朝食の仕込みに駆り出されていることがわかった。
リンリンは自分のいるところが、居住区内だと知り安心した。
無事に帰れるかもしれない。そう思うと途端に元気が湧く。
(王宮のお料理、美味しい~!)
モグ モグッ……ハグ ハグ ハグ……ムグッ!
リンリンは勢いよくがっつきすぎて、むせてしまった。
その様子を見ていたアンナはクスクスと笑う。
「ニャンコちゃん、よかったわねぇ。晩餐会の残りものだから、いつもより豪華よぉ」
アンナはおしゃべりだけど、いい人だ。
もちろんご飯をくれたサムも、いい人だ。
リンリンは、ご馳走に弱いのだ。




