03.少女の名前
見て見ぬ振りもできず、ガイは彼女を手助けすることにした。
吹いているのは、大した風ではない。その風を操り、紙を少女の方へと向かうようにする。
「え? あれ……?」
今まで、紙と風に遊ばれていた少女。それが、急に紙が自分の手元へ向かって来るのを見て、少女は不思議そうな表情になる。
それから我に返り、慌てて戻って来た紙をつかんだ。自分に都合よく風が吹くなんて、という疑問は後回し。
全てが戻って来てほっとした少女は、ふいにガイの方を向く。しっかり、二人の目が合った。
「あ、あの……もしかして、今のはあなたが?」
そのまま何でもない態度で去るつもりだったが、思ったより早く振り返られてしまった。見付かっては、無視できない。
「まぁ、な。余計だったか?」
「い、いえっ。ありがとうございましたっ」
少女は、深々と頭を下げた。
が、身体を曲げると同時に、持っていた別の紙の束が腕からすり抜けて、ばさばさっと地面に落ちる。
何てお約束な奴……。
笑い話で聞くことはあっても、現実にやらかす人間がいるとは思わなかった。いっそ、感心する。
少女の方はと言えば「あーっ」と悲鳴を上げながら、慌てて落とした紙を拾い集める。
関わってしまった以上、今更ここで見なかったことにもできない。何と言っても、目の前で起きたことだ。
仕方なく、ガイはそちらへ歩み寄った。
相手は十二、三歳くらいだろうか。背も低いし、幼い顔立ちをしている。魔法を習い始めて間がない、といったところか。
あきれて「何やってるんだよ」という一言も出そうになったが、あまりきつい言い方をして泣かれても面倒なので、黙っておいた。
今は、風もない。魔法を使う程のことでもないので、ガイは手早く周囲に散らばった紙を拾い集める。
彼の隣で同じように紙を拾っていた少女だが「ありがとうございます」と言ってから、その手の動きが止まった。
視線に気付いたガイがそちらを見ると、少女は黒く丸い目を大きく見開いてガイの方を見ている。
何かあるのかと後ろを見たガイだが、特に何もない。なので、彼女の視線はやはり自分に向けられたものだ、と確信した。
「何?」
「あの……あの、あなた、ガイルード?」
「みんなはだいたい、ガイって呼ぶけどな」
本名には違いないが、あまり呼ばれ慣れない。ガイルードと呼ばれるのは、改まった席の時くらいだ。
「ほっ、ほんとに黒の竜っ?」
セレカティアにいれば「竜」のことは知っているだろう。仮にもセレカティアで魔法使いを目指しているのに知らないとなれば、それは少々問題有り。
離れている時にはすぐわからなくても、こうして近くにいれば「まさか、この人は」となる。
ただ、普段はあまりに遠い存在。こんなに間近で会うなど想像していなかった人間にとっては、いきなり(でもないが)そばにいると認識すれば、呆然となったり言葉が詰まってしまったりもする。
今は放課後。ガイは仕事で外にいることが多いので、明るい時間帯に修学部の生徒と顔を合わすことがあまりない。
そんな事情もあって、少女がびっくりするのも当然だった。
ガイにすれば、こういう反応をする人間は多いので、特に珍しいとも感じていない。
「ほら、何の書類か知らないけど、また落として汚すなよ」
拾い集めた紙を、ガイは少女に渡す。彼女は頬を紅潮させながら、ガイの手から紙を受け取った。
魔法使いの見習いであれば、竜と呼ばれる魔法使いは尊敬と憧れの対象だし、その点を横に置いたとしても「竜の三兄弟」はみんな、女性に騒がれる容姿をしているのだ。
「あ……ありがとうございますっ」
「っと……おいおい」
礼を言うのはいいが、お辞儀をしてまた手元の書類がすべり落ちそうになり、ぎりぎりのところでガイが受け止めた。さすがに、小さくため息が出る。
「少しは学習してくれよ」
「ご、ごめんなさい」
竜の呼び名を持つ魔法使いを前にして、何度もどじをやらかしてしまい、少女はさっきとは違う意味で頬を赤くする。
「目的地へ着くまでに、何枚かなくなってしまいそうだな」
ガイは、軽く指を鳴らした。すると、少女の持つ書類に白い紐がかかる。
「え……」
ほんのり青白く光る紐は十字にかかり、これなら彼女が空へ放り投げても、紙がばらばらに散らばることはない。
簡単な魔法なので、無詠唱で済ませた。
「あの、これって……」
少女が戸惑ったように、ガイの顔を見る。
「それなら飛びようもないし、なくさないだろ。そのまま川にでも投げ捨てるつもりなら、別だけどな」
慌てて拾い集めようとしていたのだから、捨てる気はないはず。これなら、もう落としても安心だ。
「で、でも……これって、魔法でしょ? どうやってほどけば……」
ものすごく困った表情で、少女はガイを見ている。
「あんた、魔法を習ってるんだろ?」
「え……はい」
「一期以上、セレカティアにいる?」
「一応……」
どこかもじもじしたような様子で、少女はそれでもうなずく。
「だったら、解ける」
「だけど、竜のかけた魔法なんて、あたしには無理っ」
とんでもない、とばかりに、少女は激しく首を振る。そんな少女の様子に、ガイはあきれた。
「あのなぁ……。こんなのに、竜もへったくれもあるか。一期以上ここにいるなら、この程度の魔法くらいは簡単に解ける。これはごく初歩の魔法だぞ」
ガイは無詠唱で済ませたが、初心者でも呪文を唱えさえすればできる魔法だ。もちろん、ほどく方も。
まだ不安そうな顔の少女に背を向け、ガイは図書館へと歩き出す。
「どうしてもできないなら、誰かに頼むのもありだけど。それじゃ、この先やっていけないぜ」
少女がショックを受けたような表情になったのを視界の端に見た気がしたが、そのままガイは振り向くことなく図書館へと入った。
☆☆☆
報告書も無事に書き上げ、時計を見ればすでに夕食の時間になっていた。
「もうこんな時間か」
ガイは机に広げていた書類を素早く片付けると、職務部の棟へ戻って食堂へ足を運ぶ。
中はかなり混雑していたが、ヴィズとジンの姿を見付けてそちらのテーブルへと向かった。
「ガイ、放課後に女の子と話してただろ。あの子、リルレイアじゃないのか?」
食事も終わって雑談をしていた時、ふいにジンがそんなことを尋ねてきた。聞き覚えのない名前に、ガイは首をかしげる。
「リルレイア? さぁ、名前は聞いてないけど……って、どうしてジンがそんなこと、知ってるんだよ」
珍しく、周囲に誰もいなかった。それなのに「見られていた」とわかると、悪いことをしていなくても(むしろ、人助けだが)ちょっと焦る。
「ちょうど窓の外を見たら、中庭でお前が見えたから。修学部の学舎から、ちょうど見える位置だったからさ」
修学部で魔法を教える教師は、職務部の教育課に所属する魔法使いだ。
今日はそのうちの一人が病欠し、代理をできる者が誰もいない、という状態だった。
自習でもよかったのだが、丁度ジンの手が空いていることがわかり、急遽彼にその役が回ってきたのだ。
教師の仕事はしたことがないし、進め方もわからない。そういうことであれば「修学部時代の話や、仕事での体験談を」と言われた。
それなら、ということで「特別講習」という名の授業に。ジンは無事に、役目を遂行した。
が、授業が終わっても、しばらくは生徒達からの質問責めにあってしまう。
滅多に関わることのできない竜が、こんな近くにいるのだ。見習い魔法使い達が無関心でいられるはずがない。
特に女子が。
ようやく解放され、さっさと戻ろうと思いながら廊下からふと窓の外を見ると、ガイの姿があったのだ。
しかも、女の子が一緒。制服だから、見習い魔法使いだ。
「いい子でも見付けたのかな~、と思って。で、よく見たら、リルレイアみたいだったし」
「たまたま書類を落としたところに通りかかって、それを拾っただけだ。それより、リルレイアって誰?」
その名前に聞き覚えがあるような、ないような……。
「ライオストーンの子孫にあたる子だよ。ほら、修学部に入って来た時は、すごく話題になっていたけれど、ガイは覚えてないかい?」
「ライ……あーあ、そんなことあったっけ」
ヴィズに言われ、ガイも思い出した。





