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君だけに恋を囁く  作者: 煙々茸
君恋 第四章
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 ……――。


(え~~~~っとお?)

 これはどういう状況だろうか。

 俺はベッドから上体を起こして辺りを見回した。

 直ぐ近くに窓、そして対面には扉が一つと嵌め込み式のクローゼットがある。

 他にはベッドの傍にサイドテーブルが一つあるだけで、余計な物は一切置かれていない。

 ホテル?  ――にしては、殺風景過ぎる。

 病院? ――って雰囲気とも違う。

(……ここ何処!?)

 漸く回り始めた頭で考える。

(昨日は確か……そうだ! 榊さんが店に来て、帰ろうとした辺りから記憶が……)

 徐に、俺は自分の服に視線を落とす。

(……え……。誰の服だよコレは!?)

 仕事が終わって直ぐに着替えたが、こんなラフなTシャツを着た覚えはない。

 気になるのは、もちろん下……――。

 恐る恐る布団の中を覗く。

(……良かった。下は俺のだ)

 ホッと安堵したのも束の間、 閉ざされていた扉が音を立てたことで体が強張った。

「……、起きたのか。調子はどうだ?」

「さ、榊……さん?」

 入って来たのは榊さんだったのだが、眼鏡を掛けていなかったから、一瞬疑ってしまった。

 一応知った顔で安心したが、相手がこの人で心の底から安心していいものかと不安も生じた。

「不思議そうな顔だな。昨日のこと、覚えてないのか?」

「……はい。途中から記憶が飛んでしまっていて……」

 持ってきたトレーをサイドテーブルに置いた榊さんが、俺のいるベッドに腰を下ろした。

「ここは俺の寝室だ。昨日、店でお前が倒れたから運び込んだ」

「え……」

「少し熱もあったから上だけ着替えさせた。お前の服は洗濯機にかけてある。帰る頃には乾いているだろうから安心しろ」

「……」

「他に質問は?」

 問われて、咄嗟にふるふると首を振る。

 今のこの状況を理解するには事足りる説明だった。

(……そっか)

 なんとなくだが、思い出してきた。

 意識が途切れる寸前、傍で名前を呼んだのが誰だったのか。

(必死な声……だったな……。この人でもあんなに慌てるのかって、今思えばスゲェ新鮮な一面だったかも。――なんて言ったら悪いか、さすがに)

 心配と面倒をかけて申し訳ない気持ちが湧いて来たことも確かだ。

 ここはちゃんと謝って、お礼を言うべきだろう。

 そう思って口を開きかけた時だ――。

「なんであんな無茶をした?」

「……え?」

 榊さんが裸眼の目を細め、低い声で言った。

 眼鏡を掛けていないからか、いつも以上に細められた目は凄味が増している。

「連勤にフルタイム。この多忙で暑い時期に、そんな無理をして倒れないとでも思ったのか?」

「っ……どうして知ってるんですか?」

 これは訊くまでもないことだ。

 スタッフの誰かに聞いたのだろう。

 榊さんも俺の心中を知った上で、敢えてここでは名前は出さなかったようだ。

「今回のことは、雪乃が酷く心配していた。優一は限界まで無理が出来てしまう子だから、ここが自分の限界だって分かっていても無意識に気付かない振りをしてしまうんだ、と」

 俺は驚きに大きくした目を、静かに伏せながら思った――。

(俺より俺の事知ってるんだな、あの人は……。まあ、それは昔っからだけど)

「――って、いつまで俺を子供扱いするつもりなんだか……」

 俺は榊さんから顔を逸らし、窓の外に視線を移して呟いた。

 そして、榊さんがいる位置でベッドが軋んだ。

「お前が自分の限界をちゃんと認識するまで、じゃあないのか」

 立ち上がった彼は、サイドテーブルに置いたトレーからグラスに入った水を俺に差し出した。

「まずは、元気になることだ。今日明日はシフト入れてないんだろ?」

「誰から聞いたんですか? それ」

 榊さんの言葉に肩を竦め、グラスを受け取る。

「……片山さんからだ」

(――ってことは、この人に連勤のこと教えたのも片山さんってことか)

 知ったからといって、もちろん責める気はない。

 片山さんが心配して教えたのだろうということは、十分に理解しているからだ。

(責められる立場でもないしな……)

 榊さんもそう思って今名前を出したのだろう。

 溶けて小さくなった氷ごと、水を口の中に流し込んだ。

「優一。お前は今日一日ここから出るな」

「――っ!? ゴホゴホッ。……は、はい?」

 不意打ち過ぎるセリフに水を噴き出す寸前でなんとか飲み込んだ。

「俺はこれから仕事だ。本当なら休んでお前を監視したいところだが、フェア明けでそうもいかない」

「看病じゃなくて監視って……」

「お前の事だ、誰かが見ていないとまた無理をするだろ」

「しませんって!」

 言いながら空になったグラスを突き返す。

 それを受け取った榊さんは、今度はお粥の入った器に持ち替えた。

「いいから、お前は俺が帰るまでここに居ろ。帰ってきたら店まで送ってやる。車、店に置いてあるんだろ」

 差し出されたお粥を渋々受け取る。

 正直、腹は減っていた。

(榊さんが料理って、想像つかないな。作れたことに吃驚だ)

 苦手意識が癖になっているせいか、どうしても素直に受け取れない。

「……頂きます」

 ――ぱくっ。

(……! うん、味は悪くない)

 無言のままひたすらお粥を口に運ぶ。

 ベッドの淵に再度腰かけた榊さんも、無言のまま眺めていた。

(そんな見られてると……さすがに恥ずかしいんだけどな……)

 そう思いながらも食は進み、あっという間に平らげた。

「ごちそうさまでした。――あ、俺洗っとくので、榊さんは仕事に行って下さい」

 ベッドから身を乗り出してサイドテーブルに器を置く。

「――え、ちょッ……榊さん…!?」

 突然、浮かした腰を抱き込まれ、強い力に引っ張られた俺の体は、ベッドの上に仰向けに転がった。

 そして、起き上がる隙さえ与えられずに大きな手が俺の腕を掴んで、ベッドに縫い止めた。

「――良かった……」

 見下ろして来る榊さんの呟きに、俺は食って掛かる。

「全然良くない! いきなり何なんですか!?」

 睨みつけても、榊さんの表情は変わらなかった。

(なんで、そんな顔するんだよっ。そんな……安心しきった顔……)

「雪乃だけじゃない」

「……?」

「もちろん、昨日店に行ったのは雪乃に言われたことも理由の一つだが、お前のことをずっと心配していたのは俺も同じだ。そのことを昨日ちゃんと伝えたかった」

「榊、さん……?」

「最初は雪乃に言われたことをお前に会うための口実に使った。お前は、俺が何言っても逃げようとするだろうからな」

(否定は、できねぇよな……)

「昨日、優一が倒れた時、正直気が動転した。もっと早く来てやれていればって、悔しかったんだ」

 榊さんの、安心しきった顔が僅かに歪む。

 その悔しさの滲んだ顔から、目を背けることが出来なかった。

 こうやって、俺の中に入ってくる。

 着実に――……。

(こんな顔にさせてんの……俺、なんだよな。――初めて見た)

 気がつくと、互いの唇が触れ合っていた。

 本当にゆっくりした動作で、キスされるという認識すらできないまま、受け入れていた。

(薄くて、冷たいんだな……。――ってえ! 違うだろうが!!)

「っ……さ、榊さん!」

 身を強引に捩ってキスから逃れた。

 榊さんは俺を一度ギュッと抱きしめてから、どこか名残惜しそうに身を離した。

「熱も無さそうだし、優一が元気になって良かった」

 ふと見せた榊さんの優しい言葉と……笑顔。

 ――ドキッ。

(いやいやいや、ドキッてなんだよ! 卑怯だろっ、そんな顔……っ)

 下がった熱が再発しそうで、今度こそ俺は思い切り顔を背けた。

「じゃあ、俺が帰るまで、いい子にしてるんだぞ」

「あ、あんたまで子供扱いすんな!」

 ガバッと身を起こし、枕を掴んでブン投げるも、

 パタンと閉まった扉に阻まれて虚しく床に落ちた。

「はあ……。なんか疲れた」

 気が抜けて、ポフッとベッドに舞い戻る。

 と、同時に鼻腔をくすぐったのは、さっき一番近くで嗅いだのと同じニオイだ。

(……そういえば、あの人昨日何処で寝たんだろ……)

 俺は窓の方へ寝返りを打ち、差し込む朝日に目を細めた。

(こんなに、甘い匂いしてたっけ。実際、知らないことだらけなんだな――)

 告白されるまで、俺のことなんか嫌いなんだと思っていた。

 俺も、苦手意識しかなかった。

 でも、それはただの思い込みで、見ようと思えば違う部分も見えてくるのかもしれない。

 でも……、

「そんなすんなり出来るわけねぇじゃん……」

 ポツリと零した口を、咄嗟に手で押さえた。

(あークソっっ。ヤなこと思い出した!)

 今頃になって、あの人と触れてしまった感覚が浮上してきた。

 火照る顔を両手で押さえ、ガバッとベッドから起き上がる。

(とにかく今は体を動かそう。迷惑かけたお詫びくらいは、しておかないとな)

 無理矢理思考を切りかえて、サイドテーブルに置きっ放しになっているトレーを持って静かに寝室を後にした。



【第四章/終】


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