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雑貨フロアを少しばかり横切って、カフェフロアの脇にある厨房の扉を押し開く。
「木村さん、お疲れ様です」
コックコート姿の彼に声を掛けると、見た目とは裏腹に繊細な手つきでカップケーキにトッピングをあしらっている木村さんが、その手を止めてちらりとこっちへ視線を寄こした。
「ああ、店長。お疲れ様です。今日はなかなかの売れ行きですよー」
そう告げてからまたカップケーキに視線を落とす木村さんに「そうですか」と微笑み返す。
売れ行きが良いのは、多分小笠原が出ていたせいだろう。
女性客に人気のある彼がシフトに入っている日はすこぶる売れ行きがいい。
まあ奴を褒めると調子に乗って良からぬ方へエスカレートしそうだから変に褒めた事は一度もないが。
「あれ? 店長が居るってことは、僕は休憩に入っていいんですか?」
背後から声が掛かって振り向くと、ほんわかとした雰囲気の少しばかり(?)童顔で大きな丸い瞳がこっちを見上げていた。
男の俺でもコイツは可愛い部類に入るだろうと思う。
「あぁ、お疲れさん。時間的に客も引いて来ただろうから、先に休憩に入っちまってくれ」
「はい。じゃあちょっと外出て来ますね。――木村さーん、僕休憩入りますねー!」
「はいよー。いってらっしゃい」
俺の後ろで作業を続ける木村へヒョコッと顔を覗かせて言葉を交わしてから、日野潔はパタパタと厨房を出て行った。
腕時計を見ると一時十五分前を告げていた。
カフェフロア開放時間は雑貨フロアより一時間遅い十一時からで、ランチタイムを終えて1時には一旦閉めるシステムになっている。
シフトはA帯とP帯の二つに分けており、A帯の九時半から出て来ている日野が一番に休憩に入れるというわけだ。――三十分早いのは店を開ける準備時間を取るため。
俺は厨房の布巾を一つ持ち出してテラスへ向かった。
「いらっしゃいませ」
食事をしながらお喋りを楽しんでいる女性客に接客用のセリフを投げかけて、近くのテーブルを持ってきた布巾で手際よく拭く。
今居る客が帰ったらカフェフロアを閉じる予定だ。
「あ! 店長さん、店長さん!」
声のした方を振り向くと、少し離れたテーブルからこっちに手を振っている二十代半ばといったところの女性客ふたりと目が合った。
俺は手にしていた布巾をひっくり返して綺麗な面を外に向けてから、その女性客の待つテーブルへ歩を進めた。
「いらっしゃいませ。お呼びでしょうか?」
軽めのお辞儀をしてから尋ねると、待ってましたと言わんばかりにキャーッと声を上げられ、体がビクリと後方へ跳ねた。
この手には何度も遭遇しているが、全く慣れない。
慣れたくもないが……。
「彼女に誘われて初めて来たんですけどぉ。今日はもう会えないかと思っちゃいましたよ」
彼女というのは向かいに座る友人のことだろう。
「ね? カッコイイでしょー? ――私もこの前友達に教えてもらってこっそり何度か来てるんですけど、なかなか声掛けられなくってッ」
後半の言葉は俺に投げ掛けられたもので、正直どう返せばいいのか悩む。
あの小笠原なら卒なく返すのだろうが、俺にそんな技術はない。
それでも笑顔を絶やさずにいる自分を褒めてやりたい。
「そうですか。いつもご来店ありがとうございます」
定番文句しか出て来ない自分を叱咤してやりたい。
己を持ち上げたり落としたりしている間も、彼女たちの会話は続く。
「英さんって言うんですね! なんだかそれっぽーい!」
それっぽいとはどういう意味だろうか。
胸につけているネームプレートを見つめながらはしゃぐ彼女達に心中で溜息を零した。
女の会話を理解する日がいつか来るのだろうか……。
いや、それ以前に出来る気がしない。
「あの、彼女は?」
「……はい?」
「恋人とかいらっしゃいます?」
(とかってなんだ?)
恋人って言っている以上濁す必要があるのだろうか。
考えられるとしたら、照れ隠しのつもりで付け加えたもの。
下からじっくりと、ねっとりと? 見上げてくる瞳。
(これが小笠原が言っていた熱い視線ってやつか)
四つの目を避けるように俺は一歩後ろへ引く。
「今は仕事が楽しいので、恋人は作る気ないんですよ。あなた方のようにいつも足を運んで下さるお客様なら随時募集中ですが」
微笑みながら半分冗談めいた口調でそう告げると、彼女たちからハァという熱い吐息のようなものが発せられた。
気を害した様子は見られないから、きっとこのまま離れても大丈夫だろう。
「他にご用がなければ失礼します」
また軽めのお辞儀をして、残りのテーブルを拭きに足早に離れた。
本当なら、もしかしたら、少し前に恋人が出来ていたかもしれない。
望みはやっぱり薄かったし、案の定実りはしなかったが……。
俺はここのオーナーに恋をしていた。
名前は神条雪乃といって、幼馴染でもある。
女みたいな名前だが、歴とした男で俺より四つも年上だ。
幼い頃は雪にぃと呼んで懐いていた記憶がある。
そう呼ばなくなったのは、自分の気持ちに気付いた頃からだった。
俺は高校、神条さんは大学に上がって環境も変わったせいか会う機会が減り、離れる時間が増えたことで相手の存在の大きさを思い知った。




