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君だけに恋を囁く  作者: 煙々茸
君恋 第三章
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 マンションまでは車で二十分ほどの距離。

 小笠原ほどじゃないが、俺も今日は飲んだ方だったからか、気まずくなると思っていた車内は仕事や仲間の話で不思議と盛り上がった。

(片山さんとこんなに話したの、初めてかもしれないな)

 少しだけ浮足立って車から降りる。

「今日はありがとうございました」

「いえ、自分がしたくてしたことなんで、気にしないで下さい。じゃあ失礼します」

 助手席の窓から挨拶を交わし、ゆっくりと走り出す車を見送ってからマンションへ入った。

 部屋は五階。

 エレベーターを下りて直ぐの部屋だ。

 俺はカバンを漁って鍵を手に取りながら五階に降り立った。

(――……えっ)

 誰もいないはずの扉の前に、腕組みをして寄り掛かっている人影が目に留まって息を飲んだ。

「随分遅かったな。今日は試食会だと聞いていたが」

「……榊……さん? どうしてココに……」

 頭が混乱する。

 彼は俺のマンションを知らないはずだ。

 呆然と立ち尽くしている俺に、榊さんが答えた。

「雪乃から聞いた。それに、フェアに向けて店長同士話し合えと。……ま、俺にとってはそれはついでだが」

 最後の方は小声であまり聞き取れなかったが、そんなことより、あっさりとこの人に家を教えてしまうオーナーに眩暈を覚えた。

(えっとー? 俺はどうしたらいいわけ? 家に入れなきゃならないわけか…? ハハ。冗談)

 けれど、こんな遅くに玄関前に待ち構えていられたら、入れないわけにもいかず……。

(このまま追い返したら、あとが怖いし……)

「えっと……どうぞ?」

 俺は変な汗をかきながら、笑顔を無理矢理作って鍵穴に鍵を押し込んだ。

 入って直ぐに電気をつけ、少し散らかっている衣類をクローゼットに追いやってエアコンを起動させた。

「涼しくなるまでもう少し待って下さい。あ、適当に座ってていいですから」

 外と比べて閉め切っていた室内は少し蒸し暑い。

 俺は羽織っていた上着を脱いでソファーの背凭れに引っ掻けた。

 口を開かず、ただ部屋を見渡している榊さんに、少し緊張する。

(そんなに散らかってはいないと思うけど、他人に見られるのは恥ずかしいな)

 彼を横目に、俺は冷蔵庫から麦茶を取り出し、二人分用意した。

 仕事のことで尋ねてきたなら、酒じゃない方がいいはずだ。

(俺はさっきまで飲んでたわけだしな)

 自嘲が零れそうになるのを我慢して、榊さんの元へ麦茶を運ぶ。

「……そんなに珍しいですか? 俺の部屋」

 とりあえず、場の空気を和ませようと話しかけながらテーブルにグラスを置く。

「珍しいもなにも、初めて入ったからな。嬉しいなと思って」

(はい!?)

 一瞬心臓が止まるかと思った。

(そ、そうだった……。俺、この人に告白されたんだった……)

 忘れていたわけではないけれど、そうストレートに言われると改めて意識させられてしまう。

 ソファーに腰を落ち着けた彼に、俺は恐る恐る口を開く。

「あの……フェアの話、ですよね?」

 ここは無理矢理にでも話を変えてやるしかない。

 そう思ったのだが、榊さんからは思いもよらない言葉を投げかけられた。

「さっきの車、片山か?」

「――え?」

「上から見えた」

「あ、あー……はい。仕事のあと仲間内で飲みに行くことになったんですよ。それで、こんな時間になってしまって。……それが、どうかしました?」

 片山さんは古株だ。

もちろん榊さんとも面識があり、一緒に働いた仲間だ。

「彼は飲まなかったのか?」

「? ……あー、はい。明日仕事があるからって、遠慮してたみたですけど……」

 嘘ではない。が、これは理由の一つにすぎないのかもしれない。

 それに気付きながらも、俺はそう答えるしかなかった。

(まさか、好意を持たれてるなんて……この人に言えるわけねぇし……。でも、なんでそんなこと訊いてくるんだ?)

 前から思っていたが、本当にこの人の考えは読めない。

 すると、何を思ったのか、榊さんの表情が急に険しくなった。

「まさかとは思うが……」

「……?」

「迫られてはいないだろうな」

「え……はあ!? ちょ、あんたじゃあるまいし! 片山さんはそんなことしませんよっ」

 いろんな意味で顔が熱くなったが、そんなことに構ってはいられない。

(職場で詰め寄って告白してくるような人、あんた意外いねえっつの!)

「俺は迫った覚えはないぞ」

「はあ!? し、してきただろ! ……職場でっ」

「……あんなモノ、迫った内には入らん。納得出来ないなら、違いを教えてやろうか?」

「っ!!?」

 急に立ち上がった榊さんが、俺にゆっくり近付いてくる。

 その足取りは威圧感さえ覚え、脚が竦みそうになる。

(ちょ、本気か……?)

 俺より数センチ高い長身に、広い肩幅。

 手は思いの外大きく、熊のようだ。

 一度掴まれたらそう簡単には振り解けないだろう。

 あっという間に壁に詰め寄られ、背中が行き場を失った。

 眼鏡の向こうにある榊さんの瞳は真剣みを帯びていて、ジッと俺を睨むように捕らえて離さない。

「……あ、の……。冗談、ですよね……?」

 そんなわけないのは十分分かっている。

 けれど、そう尋ねずにはいられなかった。

 横に逃げようと体をずらすも、榊さんの大きな手が俺の顔の横をバンッと叩くように突いて行き場を阻む。

 驚いて首を竦め、咄嗟に彼の体に手を突き立てたが、あっさり一方の手に捉えられて、そのまま壁に縫いとめられてしまった。

 こんな彼は初めて見る。

 どこか怒りを含んでいるような、そんな態度に体が震えた。

(俺……何か、した……?)

 恐怖に唇が震え、瞬きさえできない。

「優一」

「っ!?」

 名前を呼ばれただけで、ビクリと肩が跳ね上がる。

「俺は優しく出来る性格じゃあない。お前が怖がっている事は分かっているが、上手くそれを消してやることができないかもしれない」

「……」

「それでも、お前の事が好きだから、触れたいとも思うし、俺だけのモノにしたいって気持ちは止められない」

 迷いのない、榊さんの真っ直ぐな瞳。

 これ以上見ていたら、吸い込まれてしまいそうだ。

 それなのに、俺は……――。

(吸い込まれてもいいって、思ってる……?)

 自分の気持ちに戸惑う。

 苦手だったはずだ。

 会いたくないって思っていたはずだ。

 いつの間にか、俺は榊さんの腕の中に居て、何故だかあやすように背中を擦られていた。

「……榊、さん……?」

「悪い。そんなつもりじゃなかったんだが……」

(何のことだ……?)

「泣かないでくれ」

「……え?」

(泣く? 誰が……?)

 そう不思議に思い、ふと気付く。

 自分の頬に、温かい何かが零れ落ちるのを……。

(なんで……?)

 俺は自分の涙に触れると、何故だが笑いが込み上げてきた。

「は……ハハ……。何で泣いてるんだろう……俺。あの、すみません。何でもないですから……」

 まともに榊さんの顔を見ることができない。

 ゆっくりと身を離した彼が、今どんな表情をしているのか俺には分からない。

「すみません。フェアの話、また後日でもいいですか? 久し振りに飲んだんで、ちょっと酔ってしまって」

 本当に酔っているのか、自分でももう分からない。

 涙の理由に戸惑う俺は、そう理由をつけるしかなかった。

 榊さんは「わかった」とだけ口にして、帰ってはくれたが……。

 俺は結局彼の顔を最後まで視界に入れることができなかった。


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