第八話 囚われの雛
石堂が去った後も、軍陣に漂う不穏な熱気は引かなかった。
降りしきる小雨の中、直冬に引きずられるようにして連れ戻された天幕には、重苦しい沈黙が満ちている。
多門――結は、石堂に掴まれた肩を無意識に押さえた。
男の野卑な指先が食い込んだ感覚が、いまも衣の上から消えない。
「……何をしている」
直冬が、具足を外しながら背後で言った。
その声は低く、苛立ちを隠していない。
「……足利の若君ともあろうお方が、口を挟まれるな。石堂殿の振る舞いも、貴殿の物言いも、私の誇りを踏みにじることに変わりはない」
結は、多門としての強気を崩さずに言い返した。
だが、直冬は鼻で笑い、無造作に結との距離を詰める。
「誇り、か。石堂に組み敷かれそうになっていた小倅が、よく言う」
「それは……」
「貴様が女であると、奴が気づくのは時間の問題だ。そうなれば、石堂だけではない。この陣を囲む数多の飢えた狼どもが、一斉に貴様に牙を剥くぞ」
直冬の大きな手が、結の顎を強引に掬い上げた。
濡れた黒髪が頬に張り付き、結の瞳には屈辱と怒りの火が灯っている。
「奴らに貴様を渡せば、待っているのは地獄だ。……それが嫌なら、俺という檻の中で大人しくしていろ。指図は受けぬと言ったはずだ」
「……貴殿は私を守っているつもりか。それとも、単に自分の玩具が傷つくのを嫌っているだけか」
「どちらでも良い。結果は同じだ」
直冬は結を突き放すように離すと、天幕の奥に置かれた簡素な寝所を指し示した。
「今宵から、貴様はここで眠れ。小姓の役目だ。俺の傍らで、夜通し不寝番を申し付ける」
結は息を呑んだ。
これまでは天幕の隅に控えさせていたものを、枕元に置くという。
それは外部の目から遠ざけるための処置か、あるいは、さらなる侵食の予兆か。
闇の中で、直冬の視線が結の全身を縛り付けていた。
「……断る。私は楠木の将だ。敵将と同じ床を並べるなど、死んでも御免だ」
「死ぬことは許さぬと、何度言わせる」
直冬の瞳に、昏い炎が揺らめいた。
彼は抗う結の腕を掴み、力任せに引き寄せる。
「貴様には選ぶ権利などない。俺が生きろと言えば生き、ここに居ろと言えば居るのだ。……多門という名を捨てたくなければ、俺の言に従え」
結は、掴まれた腕の痛みに顔を歪めた。
だが、それ以上に彼女を打ちのめしたのは、直冬の瞳の奥にある、自分と同じ「深い孤独」の影だった。
自分を支配し、弄ぶこの男もまた、何かに飢えている。
家名を捨て、父を呪い、泥濘の中を独りで歩むこの修羅は、捕虜である自分を側に置くことで、自らの傷を埋めようとしているのではないか。
(……救いようのない男だ。私も、この男も)
結は、抗う力を緩めた。
雨音だけが響く夜の帳の中、二人の影が重なり合う。
足利直冬と、楠木結。
寄り添うにはあまりに険しい運命の糸が、絡まり、解けぬほどに固く結ばれていく。




