第十八話 父子相食む
山崎の夜明けは、立ち込める霧と共に訪れた。
霧の向こう側に、整然と居並ぶ数万の軍勢――足利尊氏の本隊が、静かな威圧感を放っている。
「……多門。準備はよいか」
漆黒の甲冑に身を包んだ直冬が、愛馬を寄せてきた。
傍らに立つ結もまた、乱れた髪を男らしく結い直し、晒をきつく締め直して、多門としての仮面を再び被っている。昨夜、直冬の腕の中で女として声を漏らしていた面影は、その鋭い眼光には微塵も残っていない。
「いつでも。……あの男を討ち、楠木の、そして貴殿の積年の因縁を断つだけだ」
その時、敵陣の奥から一騎の伝令が駆けてきた。
「若君、尊氏公より最後のご慈悲にございます! 『多門という小倅を差し出し、京の土を二度と踏まぬと誓うならば、一命だけは助けてやる』と!」
直冬の頬が、怒りと嘲笑で歪んだ。
「……はは、慈悲だと? 相変わらず、あの男は俺を何も見ていない。多門をただの『玩具』だと思い込み、それを取り上げれば俺が屈服すると信じている」
直冬は太刀を抜き放ち、それを天にかざした。
「石堂の密告を信じ、実の息子を腑抜けと断じた罰だ……。父上! 貴様が『不浄』と切り捨てたこの俺が、貴様の喉元を食い破る様を、特等席で見せてやる!」
直冬の咆哮と共に、全軍が地を揺らして突撃を開始した。
結もまた、直冬の影として戦場を駆ける。
数に勝る尊氏軍を、直冬の狂気じみた指揮と、結の苛烈な刃が切り崩していく。
返り血で鎧を濡らしながら進む二人の姿は、地獄から這い出してきた番いの鬼のようであった。
ついに、敵陣の中央。
白傘の下に鎮座する、あの男が見えた。足利尊氏。
尊氏は、突っ込んでくる直冬と多門を、まるで羽虫でも見るような、どこか悲しげで冷淡な瞳で見つめていた。
「直冬よ。また、そうして私を困らせるのか」
聞こえはしない、その一言が、直冬の理性を焼き切った。
「黙れぇ! 俺を、俺として一度も見たことのないその眼を、今ここで抉り出してやる!」
直冬の刃が、尊氏の守護を打ち破り、その首筋へと肉薄する。
だが、尊氏の傍らに控えていた精鋭たちが一斉に二人を包囲した。
「多門! 俺が道を拓く、貴様はあいつを……父上を討て!」
直冬が盾となり、結を尊氏の懐へと押し出した。
結は、宙を舞うような跳躍で、尊氏の眼前に着地する。
一族を滅ぼし、今また一人の男を狂わせている、絶対的な権力者。
結の白刃が、尊氏の喉元へ向けて真っ直ぐに突き出された。




