第三の事件簿 Episode 6 隠された真実
「ハロルド……?」
エドガーの声が、静まり返った広間に響いた。
瑠璃色の光に囲まれた男は、何も答えない。
ただ、自分の周囲を舞う蛍を見つめていた。
「な、なんなんです……これは」
ようやく絞り出した声は、わずかに震えていた。
「どうして、俺のところに……」
招待客たちがざわめき始める。
「庭師だろう?」
「まさか、あの男が……?」
「では、アルヴェイン卿を?」
「待って」
ミサキが声を上げた。
視線が集まる。
「まだ、この人が犯人だと決まったわけじゃありません」
瑠璃蛍が反応した。
それは、ハロルドのどこかに血が付着している可能性を示している。
でも、それだけだ。
庭師なら、仕事中に怪我をした可能性だってある。
これだけで人殺しだと決めつけることはできない。
「レオン」
「ああ」
レオンが一歩前へ出た。
その目が、ハロルドを捉える。
「ハロルド」
「……はい」
「確認したいことがある」
ハロルドが唾を飲み込む。
「アルヴェイン殿が広間を退出したあと、お前は彼に会ったか?」
一瞬。
ほんの一瞬だけ、ハロルドの視線が揺れた。
「……いいえ」
レオンの瞳が鋭くなる。
「会っていません」
沈黙。
そして。
「嘘だ」
ハロルドの顔が強張った。
広間がどよめく。
レオンはハロルドから目を逸らさない。
「お前は、アルヴェイン殿に会ったな?」
「…………」
「答えろ」
ハロルドの拳が強く握られる。
「……俺は」
声が震えた。
レオンが問う。
「お前が、アルヴェイン殿を殺したのか?」
その瞬間。
ハロルドの顔から、すべての力が抜けた。
「……殺すつもりじゃなかった」
ミサキの目が見開かれる。
「殺すつもりなんて……なかったんだ……」
震える声が、静まり返った広間に落ちる。
「ただ……突き飛ばしただけだった」
誰も声を発しなかった。
「倒れて……頭を打って……血が……」
レオンが低い声で尋ねる。
「アルヴェイン殿はどこだ」
ハロルドは答えない。
「ハロルド」
「…………」
「どこへ運んだ」
長い沈黙のあと。
ハロルドが、力なく呟いた。
「……俺の小屋です」
*
夜の庭を、いくつもの灯りが進んでいた。
先頭を歩くのはレオン。
その後ろを、ミサキとエドガーが続く。
そして騎士に挟まれたハロルド。
広間の客たちは、その場に残されていた。
フィオナもマーサに預けられている。
庭の奥。
昼間には気にも留めなかった場所に、小さな建物があった。
庭師が道具を保管し、休憩にも使う小屋。
ハロルドが足を止める。
「……ここです」
レオンが扉を開けた。
土。
草。
肥料。
庭仕事に使う道具。
鼻をつく独特の匂いが漂っている。
「どこだ」
ハロルドは、小屋の奥を指した。
大きな布が掛けられている。
レオンが近づき、その布を掴む。
ミサキは無意識に息を止めた。
布が取り払われた。
「……っ」
そこに。
ヴィクトル・アルヴェインが横たわっていた。
目を閉じたまま。
動かない。
「旦那様……」
エドガーが駆け寄ろうとする。
レオンが腕を伸ばして制した。
「待て」
レオンがゆっくりと近づき、ヴィクトルの状態を確認する。
やがて。
静かに首を振った。
エドガーが目を伏せる。
ミサキも言葉が出なかった。
分かっていた。
部屋に残された血を見たときから。
最悪の可能性は考えていた。
それでも。
実際に目の前にすると、胸の奥が重く沈む。
フィオナの顔が浮かんだ。
――お父さま、見つけて。
見つけた。
でも。
こんな形で見つけたかったわけじゃない。
「……どうして」
ミサキが呟いた。
ハロルドが顔を上げる。
「どうして、こんなことに?」
しばらく。
ハロルドは何も答えなかった。
やがて、絞り出すように口を開く。
「……俺には、想う人がいました」
ミサキは黙って、その先を待った。
「セシリアという女性です」
エドガーの表情がわずかに変わった。
どうやら、その名前を知っているらしい。
「俺とセシリアは……付き合っていました」
ハロルドは俯いた。
「ずっと、このまま一緒にいられると思っていた」
だが。
いつからだったのか。
セシリアはヴィクトルと親しくなった。
最初は、ハロルドも深く考えていなかったという。
ヴィクトルは妻を亡くしている。
人当たりもよく、使用人にも気さくに声をかける。
セシリアと話していたところで、不思議なことではない。
「でも……少しずつ変わっていったんです」
ハロルドの声が低くなる。
「俺と会う時間が減って……話しかけても、どこか上の空で」
そして最近では。
セシリアは、ほとんどハロルドに会おうとしなくなっていた。
「旦那様と会っていることは、知っていました」
ハロルドの拳が握られる。
「だから……今夜、話をするつもりだったんです」
「ヴィクトルさんと?」
ミサキが尋ねる。
「はい」
ハロルドが頷く。
「セシリアと、もう会わないでほしいと」
レオンが静かに聞く。
「アルヴェイン殿は、何と?」
「……断られました」
ハロルドは目を伏せた。
「セシリアが誰と会うかは、彼女自身が決めることだ、と」
ミサキは何も言えなかった。
ヴィクトルの言葉は、間違っていない。
それが余計に、ハロルドには受け入れられなかったのかもしれない。
「俺は……言いました」
ハロルドの声に、少しずつ感情が滲む。
「俺たちはずっと一緒だった。俺がセシリアを一番分かってる。旦那様さえいなければ、また元に戻れるって……」
けれど。
ヴィクトルは首を横に振った。
――それを決めるのは、お前でも私でもない。
――セシリアだ。
「分かってます……」
ハロルドが唇を噛む。
「今なら、分かるんです」
でも、そのときは。
聞きたくなかった。
認めたくなかった。
自分から離れていくセシリア。
その原因を、ヴィクトルにしたかった。
「気づいたら、怒鳴っていました」
言い争いになった。
声が大きくなった。
そして。
ハロルドがヴィクトルへ詰め寄った。
ヴィクトルが、その肩を掴んだ。
「落ち着けと言われて……」
ハロルドの声が震えた。
「俺は、その手を振り払おうとして……」
突き飛ばした。
強く押すつもりなどなかった。
けれど。
ヴィクトルは体勢を崩した。
後ろへ倒れ。
家具の角へ、頭を強く打ちつけた。
「……本当に、それだけだったんです」
床に倒れたヴィクトル。
頭の下から、血が広がっていった。
「呼んでも……返事がなかった」
ハロルドは両手を見つめた。
「怖くなったんです」
誰かを呼べばよかった。
助けを求めればよかった。
けれど、そのときのハロルドにはできなかった。
自分が殺した。
捕まる。
すべてを失う。
そのことしか考えられなかった。
「血を拭きました」
ミサキの表情が変わる。
「それから、裏の通路を使って……旦那様をここまで運びました」
ヴィクトルの部屋から使用人用の通路へ。
そこから裏口を抜け。
庭を通って、この小屋まで。
「明日の朝……」
ハロルドが呟く。
「庭に埋めるつもりでした」
ミサキは庭を見る。
ハロルドは庭師だ。
朝から庭を掘っていたとしても、それだけなら誰も不思議には思わなかっただろう。
レオンがハロルドを見据える。
「事故だったとしても、その後にお前がしたことは別だ」
「……分かっています」
ハロルドは抵抗しなかった。
騎士が、その両腕を取る。
連れて行かれる直前。
ハロルドは一度だけ振り返った。
ヴィクトルを見る。
「……すみませんでした」
それが誰に向けた言葉だったのか。
ミサキには分からなかった。
ヴィクトルへなのか。
セシリアへなのか。
それとも。
これから父親の死を知らされる、小さな女の子へなのか。
夜の庭では。
瑠璃蛍が静かに舞っていた。




