始まりの事件 Episode 1 森の中の異邦人
「……本当に、困った人ね」
私は昔から、そう言われることが多かった。
面倒事に首を突っ込む。
損な性格をしている。
でも――。
目の前で誰かが困っているのに、見なかったことにするなんて。
私にはできなかった。
それが、榊原未咲という人間だった。
◇ ◇ ◇
二十八歳。
どこにでもいる普通のOL。
朝起きて、満員電車に揺られて、仕事をして、疲れて帰る。
そんな毎日。
特別な才能があるわけでもない。
運動が得意なわけでもない。
ただ一つ、人より少し夢中になれるものがあった。
科学捜査を題材にした推理ドラマ。
わずかな証拠。
小さな違和感。
誰も気づかなかった痕跡。
それらを積み重ねて、隠された真実へ辿り着く。
そんな姿に、私は何度も憧れた。
「証拠は嘘をつかない」
ドラマの中のその言葉が、私は好きだった。
◇ ◇ ◇
その日も、いつもと変わらない夜のはずだった。
仕事を終え、駅から自宅へ向かう。
明日は朝から会議。
帰ったらお風呂に入って、録画していたドラマを見よう。
そんなことを考えながら歩いていた。
その時。
「……やめてください」
小さな声が聞こえた。
足が止まる。
暗い路地の奥。
そこには、制服姿の女の子がいた。
高校生くらいだろうか。
おそらく、バイト帰り。
鞄を抱え、不安そうな顔で立っている。
その前には、一人の男。
「財布を出せよ」
少女の顔が青ざめる。
一瞬、迷った。
関わらない方がいい。
警察に連絡するべきだ。
頭では分かっていた。
でも――。
「その辺にしておいたら?」
気づいた時には、声をかけていた。
男が振り返る。
「……なんだ、お前」
怖い。
足が震える。
それでも私は少女の前に立った。
「大丈夫だから」
自分でも不思議だった。
どうしてこんなことをしているのか。
でも。
怯えている人を見て、何もしない自分の方が嫌だった。
男が一歩近づく。
「危ない!」
少女の叫び声。
次の瞬間。
強い衝撃。
身体が揺れた。
何が起きたのか、理解できなかった。
力が抜けていく。
遠くで誰かが叫んでいる。
薄れていく意識の中。
私は、考えていた。
もっとドラマの主人公みたいに。
証拠を集めて。
真実を見つけて。
誰かを救える人になりたかったな。
そう思った瞬間。
世界が暗くなった。
◇ ◇ ◇
『転生を確認しました』
「……え?」
目を開ける。
そこには、知らない空が広がっていた。
青い空。
揺れる木々。
聞いたことのない鳥の声。
「……ここ、どこ?」
身体を起こす。
痛みはない。
けれど、頭の中は混乱していた。
最後の記憶。
あの夜。
私は死んだはずだった。
『前世の記憶を維持します』
『異世界への適応を開始します』
『固有スキルは条件達成後に解放されます』
「ちょっと待って……」
私は周囲を見回した。
「異世界転生って、本当にあるの?」
返事はない。
ただ、森の静けさだけが残った。
◇ ◇ ◇
私は自分の姿を見る。
紺色のジャケットにスカート。
白のブラウス、パンプス。
完全に仕事帰りのOL姿。
「……せめて靴だけでも何とかならなかったのかな」
思わず呟く。
でも、文句を言っている場合ではない。
生きるためには、動くしかない。
◇ ◇ ◇
どれくらい歩いただろう。
喉は渇き、足は痛い。
「異世界転生って……」
「もっとこう、神様から説明があったり、便利な能力をもらったりするものじゃないの?」
もちろん返事はない。
その時。
遠くから、人の声が聞こえた。
「……誰かいる?」
私は木の陰から慎重に覗く。
そこには数人の黒ずくめの男たちがいた。
そして、黒ずくめの男たちに隠れて姿までは確認できないが、向かいにいる誰かが何かを渡しているようだ。
「これが約束の品だ」
黒ずくめの男が箱を受け取る。
「確かに受け取った」
「これで……」
その先の会話は、風に消える。
でも、一つだけ聞こえた。
「王国へ届く前に、処理しろ」
胸がざわつく。
何の話なのか分からない。
誰が、何を渡しているのかも分からない。
でも。
見てはいけないものを見ている。
そう感じた。
その瞬間。
足元の枝を踏む。
――パキッ。
「誰だ!」
しまった。
私は走った。
◇ ◇ ◇
森の中を必死に駆ける。
後ろから声が聞こえる。
追われている。
「なんで……」
「私、異世界初日なんだけど……!」
前を見る。
木々が途切れる。
その先にあったのは――。
崖。
「嘘……」
足が滑る。
身体が宙に浮く。
落ちていく瞬間。
私は思った。
もう一度、生きる機会をもらったなら。
今度こそ。
誰かを救える人になりたい。
そして。
意識は途切れた。
◇ ◇ ◇
「……大丈夫ですか?」
温かい声が聞こえた。
目を開ける。
木でできた天井。
柔らかな布団。
「ここ……」
「よかった!」
少女が顔を覗き込む。
「気がついたんですね」
「あなたは……?」
「私はリナです」
少女は安心したように笑った。
「森の近くで倒れていたところを、お父さんが見つけたんです」
「ここは、宿場町リーヴェルにある宿屋です」
そこへ、大きな体の男性が入ってくる。
「目が覚めたのか!」
優しそうな顔。
「俺はアルド。この宿屋の主人だ」
続いて女性も顔を覗かせる。
「私はエマです」
「怪我はない? 本当に心配したのよ」
私は慌てて頭を下げる。
「助けていただいて、ありがとうございます」
「私は……榊原未咲です」
「ミサキさんね」
リナが笑う。
その笑顔を見て。
少しだけ。
この世界でも、生きていけるかもしれない。
そう思った。
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