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証拠は嘘をつかない。異世界科捜研の事件簿  作者: 猫ネコユズキ


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第三の事件簿 Episode 2 瑠璃蛍


「……落ち着かない」


馬車の座席に座ったまま、ミサキは何度目か分からないため息をついた。


膝の上には、普段なら絶対に身につけることのない華やかなドレスの裾。


少し身体を動かすだけで、柔らかな布がさらりと揺れる。


向かいにはレオンが座っていた。


こちらはいつもより正装らしい服装をしているものの、本人はいたって平然としている。


「さっきから何を気にしている」


「だって、こんな格好したことないんだもん」


ミサキは自分のドレスを見下ろした。


――あのあとが大変だったのだ。


「絶対これ! ミサキにはこっちが似合うって!」


そう言って大騒ぎを始めたリナに、


「でも、夜会なら少し落ち着いた方がいいんじゃない?」


いつの間にかエマまで加わった。


あれがいい。


これは違う。


髪は上げた方がいい。


いや、少し下ろした方がいい。


本人の意見など、途中からほとんど聞かれていなかった気がする。


結局、あれこれ試された末に今の姿へ落ち着いた。


出発前にはリナから、


「絶対レオンさんに感想聞いてね!」


とまで念を押された。


そこまで思い出して、ミサキは向かいを見る。


レオンは窓の外を眺めていた。


「……ねえ」


「なんだ?」


「何かないの?」


レオンがこちらを見る。


「何がだ?」


「いや……だから」


ミサキは自分の格好を示すように両手を少し広げた。


レオンの視線がドレスへ向く。


それから再びミサキの顔へ戻った。


「問題ない」


「問題ないって何よ」


「夜会に出ても不自然ではない」


「そういうこと聞いてないんだけど」


「では何を――」


そこまで言って、ようやく気づいたらしい。


レオンが黙った。


「……似合っている」


「遅い」


「聞かれなければ分からん」


「普通は聞かれなくても言うの」


「そういうものなのか?」


「そういうものです」


まったく。


ミサキは呆れながら窓の外へ顔を向けた。


けれど、ほんの少しだけ頬が熱い。


それを誤魔化すように外を眺めていると、やがて景色が変わった。


大きな門。


その向こうに、広大な庭園と屋敷が見えてくる。


「……すごい」


思わず声が漏れた。


「アルヴェイン邸だ」


馬車は門を抜け、ゆっくりと屋敷へ近づいていった。


*


馬車を降りたミサキが最初に目を奪われたのは、屋敷そのものではなかった。


「わあ……」


庭だった。


色とりどりの花が咲き、その間を綺麗に整えられた小道が伸びている。


植木の形まで丁寧に整えられ、どこを見ても手入れが行き届いていた。


その中に、見覚えのある白い花を見つける。


「あ……月雫草」


思わず名前が口から出た。


エリシアの誘拐事件で、彼女を見つけるための手掛かりになった花だ。


種にある小さな棘が衣服に付着し、犯人たちの通った場所を教えてくれた。


あの事件がなければ、きっと今も名前すら知らなかっただろう。


「知ってるの?」


突然、すぐ近くから声がした。


「え?」


振り向く。


そこにいたのは、小さな女の子だった。


まだ五、六歳くらいだろうか。


上等な服を着た少女が、嬉しそうにミサキを見上げている。


「このお花、好き?」


「うん。知ってるよ。月雫草でしょ?」


「正解!」


少女はぱっと笑った。


「こっちにもいっぱいあるよ!」


花壇の前へしゃがみ込み、白い花を指さす。


「ハロルドが育ててるの!」


「ハロルド?」


「うちのお庭のお世話をしてる人。お花のこと、なんでも知ってるんだよ」


「へえ、庭師さんなんだ」


「うん!」


少女は月雫草の隣に咲く花を指さした。


「これもハロルドが植えたの。わたしが好きって言ったら、いっぱいにしてくれたんだよ」


「優しい人なんだね」


「うん。ハロルド、だいすき!」


その言葉に、ミサキは思わず笑った。


「フィオナ様」


別の声がした。


屋敷の方から、一人の女性がこちらへ歩いてくる。


「もうすぐお客様がお揃いになります。あまり遠くへ行かれては困ります」


「マーサ!」


少女――フィオナは少しだけ頬を膨らませた。


「遠くじゃないもん」


「お屋敷の中にいらっしゃらなければ、私にとっては遠くです」


きっぱりと言われ、フィオナが口を尖らせる。


ミサキは思わず笑った。


女性はミサキたちへ向き直ると、丁寧に頭を下げた。


「失礼いたしました。アルヴェイン家で副執事を務めております、マーサと申します」


「ミサキです。こちらは――」


「レオン・ヴァルハルトだ」


レオンが名乗る。


マーサは改めて一礼した。


「お待ちしておりました。執事長のエドガーが中で皆様をお迎えしております」


「ねえ、ミサキ!」


いつの間にか名前を覚えたらしいフィオナが、ミサキの袖を軽く引く。


「こっちも見て!」


「フィオナ様」


「ちょっとだけ!」


フィオナが庭の奥を指さした。


その先で、一人の男が植木の手入れをしていた。


「ハロルドー!」


少女が大きく手を振る。


男が作業の手を止めた。


こちらを見て、穏やかに笑う。


そして軽く手を振り返した。


「あの人がハロルド?」


「うん!」


「本当にお庭が好きなんだね」


「ずーっとお庭にいるよ」


フィオナは自慢するように胸を張った。


「フィオナ様。今度こそ参りますよ」


「はーい」


マーサに促され、フィオナが屋敷へ向かう。


途中で振り返ると、


「ミサキ、またあとでね!」


と手を振った。


ミサキも手を振り返す。


「元気な子だね」


「ああ」


レオンと二人、フィオナたちの後を追った。


*


夜会が始まる頃には、アルヴェイン邸の雰囲気はすっかり変わっていた。


広間には多くの招待客が集まり、楽団の奏でる音楽が響いている。


煌びやかな衣装。


談笑する貴族たち。


次々と運ばれる料理と酒。


ミサキにとっては、何もかもが初めて見る光景だった。


「……すごいね」


「あまりきょろきょろするな」


「だって初めてなんだから仕方ないでしょ」


「目立つぞ」


「誰のせいで来たと思ってるの」


小声で言い返しながらも、ミサキは周囲へ視線を走らせる。


遊びに来たわけではない。


目的は、この屋敷の主人。


ヴィクトル・アルヴェイン。


そして――月欠け。


広間の中央では、ヴィクトルが招待客と談笑していた。


年齢は四十代ほどだろうか。


柔らかな物腰で客と言葉を交わし、ときおり楽しそうに笑っている。


その少し離れた場所には、セシリア・ノールの姿もあった。


事前にレオンから聞いている。


亡き妻アデラインを失った後、ヴィクトルが関係を持つようになった女性。


現在は彼の妾として、この屋敷で暮らしている。


「……普通の人に見える」


ミサキが呟く。


「見ただけで分かるなら苦労はしない」


「それもそうね」


今のところ、月欠けへ繋がるものは何もない。


しばらくすると、ヴィクトルが一人の客との会話を終えた。


近くにいたエドガーを手招きする。


「エドガー」


「はい、旦那様」


「少し部屋へ戻る」


「かしこまりました」


「締めの挨拶までには戻る。何かあればマーサと対応してくれ」


「承知いたしました」


短いやり取りを交わすと、ヴィクトルは広間を出ていった。


ミサキはその姿を何気なく目で追った。


「ヴィクトルさん、行っちゃった」


「主人だからな。夜会の最中でも用事はあるだろう」


「そういうもの?」


「珍しくはない」


「ふーん」


それ以上気にすることもなく、ミサキは再び広間へ目を向けた。


それから少し経った頃。


慣れない雰囲気に疲れてきたミサキは、庭へ出ることにした。


夜の庭は、昼間とはまた違った美しさを見せていた。


屋敷から漏れる明かり。


静かに揺れる花。


そして――。


「あ……」


小さな光が飛んでいた。


ひとつ。


ふたつ。


黄色い光が、花の間をゆっくりと漂っている。


「蛍……?」


「瑠璃蛍ですよ」


不意に後ろから声がした。


ミサキが振り返る。


一人の男が立っていた。


年齢は三十代半ばほどだろうか。


整った身なり。


穏やかな表情。


けれど、その目にはどこか人を観察するような知性が宿っていた。


「瑠璃蛍?」


ミサキは、花の間を漂う小さな光へ目を戻した。


「瑠璃色って、青っぽい色ですよね?」


「ええ。その通りです」


「でも、この蛍……黄色く光ってますけど」


男が小さく笑った。


「普段は、ね」


「普段は?」


「不思議な虫でして」


男は一匹の光を目で追った。


「戦場では、この蛍が瑠璃色に変わるそうですよ」


「戦場で?」


「ええ。数百、数千もの瑠璃蛍が、青く輝きながら夜の戦場を舞う」


穏やかな声で語られる光景を想像し、ミサキは眉を寄せた。


「それって……綺麗なの?」


「それはもう。息を呑むほど幻想的だそうです」


「戦場なのに……」


「皮肉なものでしょう?」


男は微笑んだ。


「死者の魂が蛍に宿り、天へ昇っていく。そんな言い伝えの残る土地もあります」


「死者の魂……」


黄色い光が、ミサキの前をゆっくり横切った。


先ほどまでただ綺麗だと思っていた光が、少し違って見える。


「だから瑠璃蛍っていうんですか?」


「ええ」


「でも、どうして戦場だと色が変わるんです?」


男は答えなかった。


ただ、少し面白そうにミサキを見る。


「さて。どうしてでしょうね」


「知らないんですか?」


「どうでしょう」


「なんですか、それ」


思わず笑った、そのとき。


「ミサキ」


聞き慣れた声がした。


レオンが庭へ出てくる。


「こんなところにいたのか」


「ちょっと休憩。中、人が多すぎて――」


言いながら、ミサキは気づいた。


レオンの視線が、自分ではなく隣の男へ向いている。


「……マギスター殿」


男が微笑む。


「お久しぶりですね。ヴァルハルト卿」


「知り合い?」


ミサキが二人を交互に見る。


「知り合いというほどではない」


レオンが答えた。


「だが、この国で魔導を学ぶ者なら、この方の名を知らない者は少ない」


男はわずかに肩をすくめる。


「それは少々、大袈裟ですよ」


そしてミサキへ向き直った。


「申し遅れました」


胸元へ手を添え、優雅に一礼する。


「クロヴィス・マギスター。王都で魔導の研究をしております」


「ミサキです」


「ミサキ……」


クロヴィスは、その名前を確かめるように繰り返した。


「ところで」


クロヴィスは、ふとレオンへ視線を向けた。


「ヴァルハルト卿が女性を伴って夜会に現れるとは、少々意外でした」


「え?」


ミサキがクロヴィスを見る。


「こういった席に女性を伴われることは、ほとんどありませんので」


「そうなんですか?」


思わず隣のレオンへ視線を向ける。


だが、当の本人はまるで気にした様子もない。


「今回は、たまたまだ」


「……たまたま?」


ミサキの眉がぴくりと動いた。


「どういう意味よ、たまたまって」


「そのままの意味だが」


「ふーん」


「なんだ?」


「別に」


ミサキは少しだけ頬を膨らませ、レオンから顔を背けた。


そんな二人のやり取りを見ていたクロヴィスが、小さく笑う。


「……何か?」


レオンが尋ねる。


「いえ」


クロヴィスは笑みを残したまま、ゆっくり首を振った。


「実に興味深い」


「何がです?」


今度はミサキが聞いた。


「さて。何でしょうね」


「またそれ……」


ミサキは呆れたようにため息をついた。


その頭上を、一匹の瑠璃蛍がゆっくりと横切っていく。


今はまだ――。


どこにでもいる蛍と同じ、淡い黄色の光を放ちながら。

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