第三の事件簿 Episode 1 夜会への誘い
エリシア王女の誘拐事件から、およそ一か月が過ぎた。
宿場町リーヴェルには、すっかりいつもの日常が戻っていた。
昼時を過ぎた宿屋では、遅めの食事を取る旅人がちらほらと残っている。
「ミサキー! そっちのお皿お願い!」
「はーい!」
リナの声に返事をして、ミサキは空いた皿を抱えた。
この世界に来たばかりの頃は、何もかもが分からなかった。
料理の名前も、食器の置き場所も、この町の常識さえも。
それが今では、誰に何を頼まれるでもなく身体が動く。
空いた皿を厨房へ運び、新しい料理を受け取って戻る。
「お待たせしました」
「ありがとう、ミサキちゃん」
常連客から当たり前のように名前を呼ばれることにも、もう慣れた。
そんなミサキの耳に、入口の扉が開く音が届いた。
「いらっしゃいま――」
振り返ったミサキは、途中で言葉を止めた。
見慣れた騎士服。
腰に下げられた剣。
そして相変わらず、少し近寄りがたいほど真面目そうな顔。
「レオン」
レオン・ヴァルハルトが店内へ入ってきた。
「あっ、レオンさん!」
ミサキより先にリナが駆け寄る。
「久しぶりですね!」
「そうか?」
「そうですよ。前はもっと来てたじゃないですか」
「任務があった」
「はいはい。騎士様はお忙しいんですね」
リナが頬を膨らませる。
レオンはどう返していいのか分からないらしく、わずかに眉を寄せた。
その様子がおかしくて、ミサキは笑った。
「それで? 今日はご飯?」
「いや」
レオンの視線がミサキへ向く。
「ミサキに話がある」
「私?」
「ああ」
いつもの表情だった。
だが、わざわざ自分を訪ねてきたとなれば、ただの世間話ではないだろう。
「……事件?」
ミサキが声を落とす。
「まだ事件と決まったわけではない」
その答えだけで、嫌な予感がした。
「奥で話す?」
「ああ」
二人は宿屋の奥にある小さなテーブルへ移った。
ミサキが向かいに座ると、レオンは周囲に人がいないことを確認してから口を開いた。
「オスカーの件は覚えているな」
ミサキの表情から笑みが消えた。
忘れるはずがない。
エリシアを誘拐した男。
そしてレオンと同じ騎士でありながら、月欠けの紋章を持つ者たちから接触を受けていた人物。
「あのあとも騎士団で調査を続けていた」
「月欠けの組織を?」
「ああ」
レオンは小さく頷く。
「オスカーの証言だけでは、組織の全容までは掴めなかった。だが、奴が接触していた人物や金の流れを洗った結果、一人の貴族が浮かび上がった」
「貴族……」
「ヴィクトル・アルヴェイン」
聞いたことのない名前だった。
「有名な人?」
「王都ではそれなりにな。アルヴェイン家は古くから続く貴族だ。ヴィクトル自身も王都の社交界では顔が広い」
「その人が、月欠けと?」
「可能性がある、という段階だ」
レオンは慎重に言葉を選んだ。
「決定的な証拠はない。だから騎士団として表立って動くこともできない」
「もし違ったら大問題だもんね」
「ああ。それに、本当に繋がっているなら、こちらが動いた時点で証拠を消される可能性もある」
ミサキは腕を組んだ。
「じゃあ、どうするの?」
「数日後、アルヴェイン家で夜会が開かれる」
「夜会?」
「王都を中心に、多くの貴族や有力者が招かれている。俺にも招待状が届いた」
「へえ……」
そこまで聞いて、ミサキは首を傾げた。
「それなら、ちょうどいいじゃない。レオンが行って調べてくれば」
「そのつもりだ」
「じゃあ、頑張って」
「そこで、お前に頼みがある」
「…………」
なんとなく。
本当になんとなくだが。
ものすごく嫌な予感がした。
「何?」
「一緒に来てほしい」
「……どこに?」
「夜会だ」
ミサキは瞬きをした。
「…………はい?」
「だから、夜会に――」
「聞こえてる!」
思わず声が大きくなり、ミサキは慌てて口を押さえた。
厨房の方からリナが顔を出す。
「どうしたのー?」
「なんでもない!」
「そう?」
リナの顔が引っ込む。
ミサキは声を潜めた。
「なんで私が夜会に行くのよ」
「俺一人では動きにくい」
「騎士なんだから普通に参加すればいいじゃない」
「参加するだけならな」
レオンは淡々と答えた。
「俺がアルヴェインを探っていることが知られている可能性もある。そんな俺が一人で屋敷の中を動き回れば、不審に思われる」
「だから私?」
「ああ」
「でも私、貴族でもなんでもないよ?」
「俺の連れということにすれば問題ない」
「連れ……」
なんだろう。
その言葉だけ聞くと、妙に引っかかる。
「それに」
レオンが続けた。
「お前の目を借りたい」
ミサキはレオンを見る。
「私の?」
「《科捜研》だ」
その言葉で、冗談ではないことが分かった。
「もし屋敷の中に月欠けへ繋がる何かが残されていたとしても、《真眼》では見つけられない」
レオンの能力は、人の言葉や意思から真偽を見抜く。
だが、そこに残された物そのものが何を意味するのかまでは教えてくれない。
「でも、お前なら見つけられるかもしれない」
ミサキは少しだけ目を見開いた。
以前なら、事件に首を突っ込む自分をレオンが止めることの方が多かった。
それが今は――。
レオンの方から、自分の力を必要としている。
「……分かった」
「来てくれるか?」
「うん」
ミサキは頷いた。
「月欠けのこと、私も気になるし。それに、エリーをあんな目に遭わせた人たちでしょ。放っておけない」
「助かる」
珍しく素直な言葉が返ってきた。
ミサキは笑う。
「でも、夜会かぁ……」
どんな場所なのだろう。
映画やドラマでなら見たことがある。
煌びやかな衣装。
豪華な料理。
優雅に踊る男女。
――待て。
ミサキの笑顔が固まった。
「レオン」
「なんだ?」
「夜会って……何着ていくの?」
「ドレスだろう」
当然のように答えられた。
「持ってないけど」
「…………」
レオンが黙る。
「私、この世界に来たときの服しか持ってなかったの知ってるよね?」
「……ああ」
「宿屋で働く服はエマさんたちに用意してもらったけど、ドレスなんて持ってないよ」
「…………」
どうやら、そこまで考えていなかったらしい。
「もしかして」
ミサキは目を細めた。
「何も考えずに誘った?」
「必要だとは思っていた」
「今の間は何?」
そのときだった。
「ドレス?」
二人の横から声がした。
ぎくり、とミサキの肩が跳ねる。
いつの間に来たのか。
リナが目を輝かせて立っていた。
「ミサキ、ドレス着るの?」
「いや、これは――」
「夜会!?」
「ちょっと、リナ、声!」
「誰と!?」
リナの視線が動く。
ミサキ。
レオン。
もう一度、ミサキ。
そして――。
ぱあっと顔が輝いた。
「レオンさんと!?」
「だから声が大きいって!」
宿屋中に、リナの声が響き渡った。




