第二の事件簿 Episode 3 守れなかった騎士
リーヴェルの賑わいが、少しずつ遠ざかっていく。
エリシアは、レオンの少し後ろを歩いていた。
「……怒ってる?」
後ろから、小さな声が飛んでくる。
「怒っております」
「やっぱり」
「当然です」
レオンは振り返らずに答えた。
「殿下がお姿を消されたことで、護衛隊がどれほど慌てたと思っているのですか」
「ごめんなさい」
「私に謝ることではありません」
「じゃあ、誰に?」
「皆にです」
「……はい」
素直な返事だった。
レオンは小さく息を吐いた。
「でも」
エリシアが呟く。
「楽しかったの」
レオンが少しだけ振り返る。
「ミサキとリナですか?」
「うん」
エリシアは嬉しそうに笑った。
「久しぶりに、普通に名前で呼ばれた」
その言葉に、レオンは何も返さなかった。
第三王女エリシア・ソラリス。
生まれた時から、その身分と共に生きてきた少女。
王女であることは彼女を守る。
同時に、彼女を縛るものでもあるのだろう。
「また会えるかな」
「殿下が勝手に抜け出さなければ」
「もうしないってば」
「本当ですか?」
「……たぶん」
「殿下」
「冗談!」
エリシアが笑う。
レオンは呆れながらも、ほんの少し表情を緩めた。
護衛隊との合流地点は、もう近い。
町外れの街道を抜ければ、王都から迎えに来ている騎士たちと合流できる。
「戻ったら、いっぱい怒られるかな」
「覚悟はなさった方がよろしいかと」
「お母様にも?」
「王妃陛下には確実に」
「お父様は?」
「陛下は……王妃陛下より先に殿下を庇われるのでは」
「やっぱり」
エリシアが嬉しそうに笑った。
その時だった。
レオンの足が止まる。
「……?」
「どうしたの?」
返事はない。
レオンの右手が、静かに剣の柄へ伸びた。
風が木々を揺らす。
街道には人影がない。
鳥の声。
葉の擦れる音。
遠くから聞こえる町のざわめき。
それだけだ。
だが――。
「殿下」
レオンの声が変わった。
「私の後ろへ」
「え?」
「早く」
エリシアが一歩下がる。
次の瞬間。
ヒュン――。
風を切る音。
レオンが剣を抜いた。
甲高い金属音。
飛んできた短剣が弾かれ、石畳の上を転がる。
「レオン!」
「お下がりください!」
街道脇の木陰から、黒い影が飛び出した。
一人。
二人。
三人。
反対側からも姿を現す。
気付けば、六人。
黒い布で顔を覆い、暗色の装備に身を包んだ男たちが、二人を囲んでいた。
レオンはエリシアを背に庇う。
「何者だ」
返事はない。
「目的は殿下か」
男たちは答えない。
ただ、一斉に武器を構えた。
それだけで十分だった。
「……来い」
一人目が踏み込む。
速い。
上段。
剣を振り下ろす――。
いや。
途中で横薙ぎへ変えるつもりだ。
レオンの瞳が、僅かに光る。
《真眼》。
剣そのものを見るのではない。
その剣を振るう人間の意図を見る。
男が軌道を変えるより早く、レオンの剣が動いた。
ガキン!
「なっ――」
剣が弾かれる。
返す刃。
男が地面へ倒れた。
間髪入れず、二人目。
背後から斬りかかる。
レオンは振り返らない。
半歩だけ身体をずらした。
刃が鼻先を通り過ぎる。
腕を取り、体勢を崩す。
剣の柄を叩き込む。
二人目が崩れ落ちた。
「レオン!」
「そこを動かないでください!」
エリシアを背に置いたまま、次の男を見る。
三人目。
正面からの突き。
だが、その視線はレオンを見ていない。
――殿下。
レオンが踏み込む。
「させるか!」
一撃。
二撃。
三撃。
男の剣が宙を舞う。
続けざまの蹴りが胸へ入り、三人目が地面を転がった。
エリシアが息を呑む。
わずかな時間で、三人。
それでも黒ずくめたちは退かない。
左右から同時に迫る。
レオンは一人の剣を受け、もう一人の刃をかわす。
反撃。
だが、深追いはしない。
エリシアから離れない。
敵を倒すことよりも、彼女を守ること。
それだけを考える。
――その時だった。
背後。
足音。
レオンが振り返る。
黒ずくめの男が、すでに剣を振り上げていた。
「くっ!」
反射的に剣を合わせる。
ガキン――!
重い衝撃。
確かな手応えが、腕へ伝わった。
男は止まらない。
二撃目。
レオンが受け流す。
三撃目。
かわす。
速い。
だが、捌けないほどではない。
レオンが踏み込み、反撃へ移ろうとした――
その瞬間。
「きゃっ!」
エリシアの声。
「殿下!」
レオンが振り返る。
黒ずくめの一人が、エリシアの腕を掴んでいた。
「離せ!」
踏み込む。
だが、別の男がレオンの前へ割って入る。
剣。
受ける。
弾く。
「レオン!」
「殿下!」
エリシアの身体が抱え上げられる。
そのまま森へ。
「待て!」
追う。
もう一人が道を塞ぐ。
「邪魔をするな!」
レオンの剣が男の武器を弾き飛ばす。
さらに一歩。
だが。
数秒。
ほんの数秒だった。
エリシアを抱えた黒ずくめは、すでに木々の間へ入っている。
「殿下!」
レオンも森へ駆け込んだ。
枝を払い、木々の間を走る。
右。
左。
姿が見えない。
「くそっ!」
立ち止まる。
どちらだ。
どちらへ向かった。
足跡は複数。
森の中で散っている。
その時。
遠くから馬蹄の音が響いた。
一つではない。
複数。
護衛隊だ。
あと少し。
本当に、あと少し早ければ――。
◇
「レオン!」
「何があった!」
「殿下はどこだ!」
王都からの護衛騎士たちが次々と馬を降りる。
レオンは答えなかった。
街道へ戻った彼の視線は、地面へ向けられていた。
倒れている黒ずくめ。
一人。
二人。
三人。
間違いない。
自分が倒した三人だ。
そして。
森へ逃げた者たち。
エリシアを連れ去った一人。
退路を作った二人。
三人。
「…………」
レオンの眉が寄った。
六人。
最初に確認した人数と一致する。
なのに。
何かがおかしい。
「……待て」
戦闘を頭の中で辿る。
最初に現れた六人。
一人目を倒した。
二人目。
三人目。
その後、残った者たちが同時に仕掛けてきた。
そして――。
背後。
剣を振り下ろしてきた男。
レオンの表情が変わった。
「……一人、多い」
「何?」
近くの騎士が聞き返す。
レオンは答えない。
自分の剣を見る。
確かに受けた。
刃と刃がぶつかった。
腕には、あの重い衝撃の感覚まで残っている。
見間違いではない。
幻覚でもない。
実体のある人間だった。
――だが。
七人目は、どこへ消えた?
「……どういうことだ」
レオンが呟く。
「レオン!」
鋭い声が飛んだ。
レオンが顔を上げる。
一人の騎士が、馬から降りたところだった。
よく手入れされた鎧。
整った顔立ち。
堂々とした歩き方。
その表情には、隠そうともしない苛立ちが浮かんでいる。
「リーヴェルの街の治安はどうなっているのだ、レオン」
男は倒れている黒ずくめたちを一瞥した。
「王女殿下の帰還予定など、一部の者しか知らんぞ」
レオンの目が細くなる。
「分かっている」
「分かっている?」
男が鼻で笑う。
「その結果がこれか」
一歩、近づく。
「貴様がついていながら、殿下を攫われたというのか?」
「……」
「騎士学校の頃から変わらんな」
男の口元が歪む。
「何でも一人で出来ると思っている」
「今は昔話をしている場合ではない」
「昔話?」
男はレオンを真っ直ぐ見た。
「同期として忠告しているんだよ、レオン」
二人の視線がぶつかる。
レオンは、この男をよく知っていた。
オスカー・ベルグレイヴ。
騎士学校時代から競い合ってきた同期。
剣の腕も。
性格も。
そして――。
オスカーが持つスキルも。
◇
王立騎士学校。
訓練場を取り囲む生徒たちの声が響いていた。
「始め!」
教官の声と同時に、二人が地面を蹴る。
レオン・ヴァルハルト。
そして、オスカー・ベルグレイヴ。
木剣と木剣がぶつかる。
乾いた音が訓練場に響いた。
一撃。
二撃。
互いに譲らない。
「相変わらずだな、レオン!」
オスカーが笑う。
「お前もな」
レオンが木剣を構え直す。
次の瞬間。
オスカーの姿が揺らいだ。
「出た!」
周囲から声が上がる。
「オスカーの《幻影》だ!」
レオンの前に、二人のオスカーが立っていた。
顔。
服装。
手にした木剣。
何もかも同じ。
「さて」
二人のオスカーが同時に笑う。
「どっちが本物か分かるか?」
二人が同時に走り出す。
左右。
挟み込むようにレオンへ迫った。
レオンの瞳が僅かに光る。
《真眼》。
右のオスカーからは、明確な攻撃の意図が伝わってくる。
左からは――何もない。
左のオスカーが木剣を振り下ろした。
レオンは避けない。
「おい!」
見ていた生徒が声を上げる。
木剣がレオンの肩へ――
そのまま、すり抜けた。
「なっ……!」
オスカーの表情が変わる。
レオンは右へ踏み込んだ。
木剣を弾く。
体勢を崩したオスカーの喉元へ、レオンの木剣が突きつけられた。
「そこまで!」
教官の声が響く。
「勝者、レオン・ヴァルハルト!」
周囲から歓声が上がった。
オスカーは木剣を下ろす。
「……またか」
「《幻影》は厄介だ」
レオンが言った。
「見た目だけでは、本物と区別がつかない」
「なら、どうして迷わなかった」
「幻影には意図がない」
レオンは答える。
「俺の《真眼》なら、本物を見つけられる」
そして、悪気もなく続けた。
「それに、幻影には実体がない。攻撃も受け止めることもできない。本人さえ見つければ対処できる」
「…………」
オスカーは黙った。
「やっぱりヴァルハルトはすげえな!」
「《幻影》が全然通じてないじゃないか」
周囲の声が聞こえる。
オスカーは木剣を強く握り締めた。
◇
――《幻影》。
実体を持たない、偽りの姿を作り出す力。
レオンは、その性質をよく知っている。
だからこそ。
先ほどの七人目と、目の前のオスカーが結びつくことはなかった。
あの剣には――
確かな重さがあったのだから。
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