第二の事件簿 Episode 2 「友達」
「今日はいっぱい遊びましょう!」
「だから、なんでそんなに気合い入ってるの?リナ」
「いいじゃないですか!」
何かを誤魔化すように、リナが先を歩く。
ミサキは苦笑しながら後を追った。
その時だった。
「きゃっ!」
通りの角から、一人の少女が飛び出してきた。
「わっ!」
避けきれず、リナとぶつかる。
二人は揃って尻もちをついた。
「ご、ごめんなさい!」
少女は慌てて立ち上がった。
「大丈夫ですか?」
「私は平気です」
リナも立とうとして――
「痛っ」
顔をしかめた。
「リナ?」
ミサキが駆け寄る。
転んだ拍子に擦ったのだろう。
リナの膝から、うっすら血が滲んでいる。
「これくらい大丈夫ですよ」
「でも――」
「じっとして」
少女がリナの前にしゃがみ込んだ。
そっと傷口へ両手をかざす。
淡い金色の光が、手のひらから溢れた。
「……え?」
ミサキが息を呑む。
光がリナの膝を優しく包み込む。
やがて光が消えると――
「傷が……」
さっきまであった擦り傷が、綺麗に消えていた。
リナが何度も膝を触る。
「痛くない……」
「よかった」
少女がほっとしたように笑う。
「これが……魔法?」
ミサキが尋ねた。
「神聖魔法です」
「神聖魔法……」
「傷を癒やす魔法なの」
少女は少し照れたように笑った。
「まだ勉強中だけど」
「十分すごいと思う」
ミサキは素直に感心した。
「本当にありがとうございます!」
リナが勢いよく頭を下げる。
「でも、ぶつかったのは私だから」
「私も前を見てませんでした!」
二人は顔を見合わせる。
そして、同時に笑った。
「そういえば、お名前は?」
リナに尋ねられ、少女は一瞬だけ迷った。
エリシア。
そう名乗れば、気付かれるかもしれない。
この時間が終わってしまうかもしれない。
「……エリー」
少女は微笑んだ。
「エリーって呼んで」
嘘ではない。
家族から、幼い頃からそう呼ばれてきた名前だった。
「エリー!」
リナが嬉しそうに繰り返す。
「私はリナです。それで、こっちが――」
「ミサキ」
ミサキが笑う。
「よろしく、エリー」
「よろしく、ミサキ。リナ」
王女でもない。
殿下でもない。
ただのエリー。
久しぶりにそう呼ばれたことが、なんだか嬉しかった。
「ねぇ、エリー」
リナが少しだけ身を乗り出した。
「もし、時間があるなら一緒に露店巡りでもしない?」
にこっと笑う。
「この先に、美味しいお店があるの」
「一緒に……?」
エリーは思わず聞き返した。
あまりにも自然な誘いだった。
どこの誰なのかも知らない自分を。
身分も、家柄も関係なく。
ただ、エリーとして。
「うん」
リナが当たり前のように頷く。
「せっかく会ったんだし!」
エリーは少しだけ俯いた。
城へ戻れば、こんな誘われ方をすることはないだろう。
――最後に、もう少しくらい。
「……行きたい」
顔を上げる。
「私も、一緒に行っていい?」
「もちろん!」
リナが笑った。
「じゃあ決まりですね!」
ミサキも笑う。
「案内役が暴走しないように、私もついていくよ」
「暴走なんてしません!」
三人は顔を見合わせて笑った。
◇
「おいしい……!」
焼きリンゴを一口食べたエリーの目が輝いた。
「でしょ!」
なぜかリナが得意げだ。
「蜂蜜をたっぷりかけるのがいいんですよ!」
「テレジアにも甘いものはたくさんあったけど、これは初めて」
「テレジア?」
ミサキが聞き返した。
エリーが少し意外そうな顔をする。
「知らない?」
「うん。初めて聞いた」
「ミサキ、テレジアを知らないんですか?」
リナまで驚いている。
「そんなに有名なの?」
「有名も何も、テレジア聖国ですよ」
リナが説明する。
「神聖魔法で知られる国です」
「神聖魔法……」
ミサキは先ほどの光を思い出した。
「じゃあ、さっきの?」
「うん」
エリーが頷く。
「テレジアで三年間、神聖魔法を学んでいたの」
「三年も?」
「まだまだだけどね」
「いや」
ミサキはリナの膝を見る。
傷跡ひとつない。
「十分すごいと思う」
エリーは少し照れたように笑った。
「ミサキって、本当に遠いところから来たんですね」
リナが言う。
「テレジアを知らないなんて」
「まあ……かなり遠いかな」
「どのくらい?」
エリーが尋ねる。
「ものすごーく遠いところ」
「何それ」
エリーが笑う。
「説明すると長くなるの」
「怪しいですねぇ」
リナまで乗ってくる。
「ちょっと、リナ」
三人の笑い声が市場に溶けていった。
◇
それから三人は露店を巡った。
香辛料を売る店。
色鮮やかな布を並べた店。
職人が作った小さな装飾品。
エリーは、その一つひとつに目を輝かせた。
城にも高価なものならいくらでもある。
けれど、こうして誰かと店を覗き込み、
「こっちが似合う」
「いや、そっち」
そんな話をすることの方が、ずっと楽しかった。
◇
「もうこんな時間……」
エリーが空を見上げた。
楽しい時間は、あっという間だった。
「そろそろ戻らないと」
「もう?」
リナが残念そうな顔をする。
「もう少し一緒に回りたかったです」
「私も」
エリーは少し寂しそうに笑った。
「もっと一緒にいたかった」
「また来ればいいよ」
ミサキが言った。
エリーは一瞬、答えられなかった。
――また。
城へ戻れば、今日のように自由に町を歩くことはできない。
第三王女としての生活が待っている。
それでも。
「うん」
エリーは笑った。
「また来る」
「絶対ですよ!」
リナも笑った。
その時だった。
「ミサキ」
人混みの向こうから、聞き覚えのある声がした。
「あ」
白銀の鎧。
「レオンさん!」
リナが手を振る。
レオンは二人を見つけると、足早に近づいてきた。
いつもの落ち着いた様子とは違う。
明らかに何かを探している。
「どうしたの?」
ミサキが尋ねる。
「何かあった?」
「……人を探している」
「人?」
「ああ」
「誰ですか?」
リナが尋ねた。
レオンは一瞬迷い、首を振る。
「すまない」
その表情が騎士のものへ変わった。
「任務上、詳しいことは話せない」
「そっか」
ミサキはそれ以上聞かなかった。
「見つかるといいね」
「ああ」
そう答えたレオンの視線が――
ミサキの肩越しで止まった。
「…………」
レオンが固まる。
「どうしたの?」
ミサキが振り返った。
さっきまで隣にいたはずのエリーが、いない。
「あれ?」
少し離れたところ。
人混みに紛れるように、そろり、そろりと遠ざかっていく少女がいた。
「エリー?」
リナが呼ぶ。
ぴたり。
少女の足が止まった。
ゆっくり振り返る。
「……はい?」
ぎこちない笑顔だった。
レオンの眉間に深い皺が寄る。
「――エリシア殿下」
「……あ」
エリーの笑顔が引きつった。
「見つかっちゃった」
「見つかっちゃった、ではありません!」
レオンの声が通りに響いた。
「護衛隊が総出で探しております!」
「ご、ごめんなさい」
「間もなく王都からの迎えとも合流するという時に、なぜ町を歩いておられるのです!」
「最後に、ちょっとだけ……」
「ちょっとではありません!」
ミサキとリナは、完全に置いていかれていた。
「……リナ」
「はい」
「今、殿下って言った?」
「言いました」
「エリシアって?」
「……言いました」
二人はゆっくりエリーを見る。
エリーは観念したように肩を落とした。
「……黙ってて、ごめんなさい」
レオンが深く息を吐く。
そして二人へ向き直った。
「第三王女――エリシア・ソラリス殿下だ」
「…………」
「…………」
「えええええっ!?」
二人の声が、リーヴェルの通りに響いた。
「でも!」
エリーが慌てて両手を合わせる。
「エリーっていうのは本当よ!」
「そこじゃないです!」
リナが叫ぶ。
「私、王女様に普通に焼きリンゴすすめちゃった!」
「おいしかったよ?」
「そういう問題でもないです!」
ミサキは額を押さえた。
そんな二人を見て、エリーが笑う。
つられてリナも笑った。
ミサキも、とうとう吹き出した。
レオンだけが深いため息をついている。
「……殿下」
「ごめんなさい」
「戻ります」
「はい……」
今度は素直に返事をした。
エリーは二人の前まで来る。
「リナ」
「はい」
「今日はありがとう」
「私の方こそ!」
「ミサキも」
「うん」
エリーは少しだけ寂しそうだった。
ミサキには、その理由がなんとなく分かった。
ここから先。
彼女はもう、ただのエリーではない。
第三王女エリシア・ソラリスへ戻るのだ。
だからミサキは、今までと同じように笑った。
「またね、エリー」
エリーの目が少しだけ大きくなる。
そして――
満面の笑顔になった。
「……うん!」
「またね!」
「今度は宿にも来てください!」
リナが大きく手を振る。
「焼きリンゴもまた食べよう!」
「絶対!」
エリーも何度も手を振った。
レオンに促され、少しずつ遠ざかっていく。
それでも何度も振り返る。
ミサキとリナも、その姿が見えなくなるまで手を振り続けた。
ほんの数時間。
それだけの出会いだった。
けれど三人にとっては、確かに友達になった時間だった。
そして――。
エリシアとレオンが向かう先。
王都から迎えに出た護衛隊との合流地点までは、もうそれほど遠くなかった。
あと少し。
ほんの、あと少しだった。




