episode10 嫉妬
なんとか無理矢理涙は抑え込んだけど鼻水だけはずっとジュルジュルなままだった。もう鼻水は仕方ないからと諦め、やっと着いた諒の家のドアの前に立ち、深く深呼吸をする。笑顔でみんなに会わないと。
「いたっ、」
顔を上げようとしたときに頭に強い衝撃が走る。
「え?…茜!?ごめん!ぶつけちゃった?」
優の声が頭上から聞こえる。私インターホン押したっけ。覚えてない。
「いや、だいじょう…」
大丈夫と笑顔で言おうと優を見れば必死に抑え込んだ涙が不意に溢れる。
「え、そんな痛かった!?ごめんね!?」
慌てる優に、違うと言いつつも止まらない涙。笑顔で会うって決めたの誰だよ。もう無理そうでただひたすら泣きじゃくる。
「諒!やっぱりまた上がる!」
優が家の中にそう声をかけると諒がひょこっと出てきて私を見てギョッとする。優に半ば介護されながら家の中に入ると、そこにいるのは優と諒の2人だけだった。
「小羽たちは丁度さっき先に帰っちゃって…俺も帰ろうとしてたんだけど…」
あぁ、いきなりドアが開いたのはそういうことか。インターホン押した覚えなかったもん。心の中で返事はするのに涙が止まらないものだから頷くことしかできない。
とりあえず座りな?と優がその場に座らせてくれて、2人も同じように私の近くに座って私が泣き止むのを待ってくれた。
「どうしたの?あんなに沢山泣いて。せっかくのメイクも落ちちゃってるよ」
ようやく泣き終わった私にティッシュを渡しながらそう言う優。諒は前もこんなことがあったと言う。私と怜さんが付き合う前、確かに1度お世話になった。
「今日怜さんとデートだったんじゃないの?」
「うん…」
「何でここに来てんの?」
2人にデート中のことからさっきのことまで長々と話す。話している間、2人は何も言わずに聞いてくれた。
「本当は笑顔でみんなと会うつもりで…ごめん…」
「いいんだよ。そんなに気遣わなきゃいけない仲じゃないし」
「ありがとう…」
「でも、そっかぁ…怜さんの元カノ…」
「凄く綺麗で優しそうな人だったの。怜さんが好きになるのも納得で」
うんうんと頷きながら聞いてくれる優とは違い、諒はただ黙って聞いているだけだった。
「やっぱり私みたいなのが相手にされるわけないよね。分かってたんだけど…」
「でも、今付き合ってるのは茜なんだから。告白したのだって怜さんじゃん。これは酷いよ」
そう言って私に同情してくれる優に、やっぱりここに来て良かったと思った。
「茜はどうするの?」
「…分からない。別れた方がいいのかもしれないけど別れたくないし。その前に話さきゃいけないけど…怜さんに会いたくない。また余計なこと言っちゃいそうで」
「…普通でしょ」
今まで無言だった諒がようやく口を開く。
「そんな風になったら聞きたくないこと聞いて、言いたくないこと言うの普通でしょ。むしろ全然大人な方じゃない?変にヒステリックになったりしないで落ち着く為に今日は離れる決断して。子供な自分が嫌だって言ってたけど、十分大人な行動してるよ」
「うん。俺もそう思う。もっと怒ったって普通だよ」
「そうかな…」
「落ち着いたらちゃんと話せばいいんじゃない。怜さんがどう思ってるのか、ちゃんと本人の口から聞かない限りは分からないし」
「…そうだよね。でも怖い。怜さんの口から直接真希さんのことが好きって聞くのが…凄く怖い」
「そう言われたら思いっきりビンタして別れて来いよ」
「そうだよ。怜さんとはいえ、茜は俺たちの大事な友達なんだから傷付けたら容赦しないよ」
「…ありがとう」
「ごめんね、俺そろそろ帰らなきゃ。明日朝から生徒会の仕事あって早くてさ…茜、家まで送って行こうか?」
「大丈夫だよ。家反対だから遠いし。それにゆっくり休まないと」
「俺は大丈夫だよ?」
「ううん、平気。ありがとね」
「そっか…じゃあ、俺はそろそろ」
立ち上がった優を玄関まで見送る。ごめんねと謝ると優が元気出すんだよ、と頭を撫でてくれた。優が家を出るとシーンと静まり返る。
「私いつ帰ろう」
「どうせまだ帰らないでしょ」
「んー…」
「もう泊まっていけば」
「え、諒からとか珍しい」
「1人になったらまた泣くんでしょ。病まれた方がだるいし」
ちょっと嫌味な言い方をするけど、口下手で全然素直じゃない諒なりの優しさ。きっと心配してくれていること、私には分かる。
「じゃあ、泊まろっかな。ありがとう」
「うん」
「怜さんに連絡した方がいいのかな…」
「した方がいいんじゃないの。付き合ってるんだし」
「だよね…」
少し気まずいけど、これは付き合っている以上仕方がないことだ。やましいことがあるわけじゃないしただ伝えればいいだけ。怜さんとのトーク画面を開く。
”今日諒の家に泊まります”
数分後、珍しく早くに返事が来た。
”みんなで?”
誰がいるかなんて気にしてどうするの。怜さんがそんな気持ちになるのなんて真希さんだけでしょ。
”みんな帰ったから諒しかいません”
すぐに既読がつく。しばらく返事を待っていると電話がきた。なんで電話?今は話したくないのに…。でも、無視したら勘違いされるよね。
「ごめん、ちょっと電話してくる」
「うん」
諒の家を出て玄関前に座ると、深呼吸をして中々鳴り止まない電話に出た。
「…もしもし」
「今諒の家にいるのか」
「…はい」
「…」
「…なんの電話ですか?」
こんな冷たい言い方したいわけじゃないのに。怜さんが言ってくれるまで待たなきゃ。
「いや…」
「…何もないなら切りますね」
頭では分かっていても、それとは裏腹な行動に出てしまう。
「ちゃんと話したい」
おやすみなさいと言いかけたとき、怜さんがそう言う。ちゃんと気持ちを言ってくれた。なのに…
「私は話したくない」
「…」
「…今は、今だけは…怜さんのこと嫌いです」
こんなこと言ってどうしたいんだろう。何を言ってほしいんだろう。怜さんを傷付けるだけなのに。本当は大好きなくせに。私、こんな性格悪かったっけ。
「…迎え行く」
「来てほしくない。さっき言ったじゃないですか。一緒にいたくないって」
「…ごめん」
「何が?謝られたいわけじゃない。謝ってほしくない」
落ち着かないと…。私、全然冷静じゃない。こんな感情初めてでどうしたらいいか分からない。
「今日は諒の家にいます」
「駄目だ」
「なんで?」
「…嫌だから」
本当は嬉しいのに。怜さんが私相手にそう思っていることがとんでもなく嬉しいのに。どうしても真希さんの存在がチラついて、その度に汚い感情が芽生えて、どんどんどんどん嫌な奴になっていく。
「…真希さんのことが好きなくせに」
「それは違う」
「違くない。好きなのは私だって、そう言ってくれなかったじゃないですか」
「それは…」
「怜さんが他の女の人をあんな風に見つめるのも、他の女の人のことを考えるのも嫌」
「…」
「…こんなんじゃなかった。怜さんと出会う前はこんなんじゃなかった。私だけがいいなんて感情、知らなかったのに」
今までだって本気で恋愛をしていたはずなのに。嫉妬やヤキモチだってあったのに。ここまで汚くて醜い感情は知らなかった。”私以外の女の人”が嫌だなんて、そんなの知らなかった。
「…怜さんは私にとって凄く特別な存在だけど、怜さんにとっての私は…そうじゃない」
自分で言っていて泣きそうになる。なんて哀れなんだろう。
「怜さんの特別は真希さんでしょ?」
「…」
「…ほら、何も言わない」
「違う、」
「何が違うの?違う違うって…それだけしか言ってくれない。大事なことは何も言ってくれない!」
「俺は本当に、」
「聞きたくない!」
「頼むからちゃんと話そう」
「無理だよ。分かるでしょ?今は余裕が無い。こんな状態で話し合うなんてできないですよ」
「…じゃあ、話さなくていいからせめて俺のとこ来い。迎えに行くから」
「嫌だ。会いたくない」
怜さんが人の気持ちで遊ぶような人じゃないことなんて分かってるのに。信じてるはずなのに…今はどうしても怜さんに捨てられることが怖い。期待して信じて、あとで傷付くことが怖い。
「諒とは何も無いから心配することないです。友達だし、ただ寝るだけだから」
「分からないだろ。何も無いかは」
「…何かあっても関心なんかないくせに」
「…ちゃんと話すから。戻ってこい」
こんなに酷いことばっかり言うのに。こんなに意地を張ってるのに。なんで怒らないの?怒ってよ。もういいって。知らないって。その方が苦しくならないのに。怜さんの優しさが辛い。
「…今は諒と一緒にいたい」
今はただ何も言わずに普通にいてくれる諒といた方が気が楽。もう何も考えたくないから。もう今日は疲れたから。
「…15分くらいで着くから」
そう言って電話が切れた。
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怜さんが迎えに来ることを諒に伝えると「分かった」と、それ以上何かを聞いてくることはなかった。怜さんが着くまで一言も交わさずに家を出た。目の前に止まっているもう見慣れてしまった車。いつもなら凄く嬉しくてドキドキするのに今は不安でしかない。黙って車に乗り込むと怜さんが私を見る。私は目を合わさなかった。きっと泣いてしまうから。目を見てしまったら、好きで仕方ないのに思ってもないことを言ってしまいそうで怖かった。
静かに夜の道路を走る車。怜さんの家までのルート。もう何度も通った。時間が遅いからか車通りは少なかった。あっという間に着いてしまった家にお邪魔しますと小さく言って中に入る。
「なぁ、」
「寝ますね。おやすみなさい」
怜さんの言葉に被せてそう言う。今じゃない。まだ…まだ何も覚悟ができてない。
「…分かった」
寝室に行ってベッドに潜り込むとベランダのドアが開く音が聞こえた。また煙草。怜さんの寝る前のルーティン。いつもなら追いかけて私もベランダに出るけど今日は見たくない。怜さんを見てしまうのが怖い。もう今は全部が怖くて仕方ない。
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結構時間は経ったと思う。やっとベランダから戻ってきた怜さんが静かにベッドに入ってきたのが分かった。私はといえば、ずっとベッドにいたのに寝付けなかった。外に長い時間いた怜さんから少しだけ冷気を感じる。
怜さんに背中を向けて寝るなんて初めて。引っ付いてないとこんなにも寂しい。後ろからシーツの擦れる音が聞こえて、私の背中に感じる体温と私のお腹にまわった腕。怜さんからハグしてくるなんて珍しい。いつも私ばっかりなのに。どれだけ冷たくしても優しい怜さんに胸が痛む。もう素直になりたいのになれなくて、チラつく真希さんの存在が苦しい。ほら、また涙が溢れてくる。こんなに涙脆かったっけ、私。きっと怜さんに起きてるのバレちゃった。
「茜」
すぐ近くで聞こえたその言葉に更に涙が出る。初めて名前を呼んでくれた。今までずっと”お前”だったのに。こんなときに呼んでくるなんてそんなのずるいじゃない。もう一度私の名前を呼んで今までより強く私を抱きしめる。
「好きだ」
消え入りそうな、本当に小さい声でそう言った。
「…怜さんはずるい。嫌いになれない」
「嫌いになるな」
怜さんが私の腕を掴んで向き合わせる。暗いのに目が慣れてはっきり見えてしまう怜さんの顔。
「馬鹿」
泣いてるところを見られた照れ隠しと、好きで溢れて仕方ない気持ちのやり場と、そして私を泣かせたことへの怒りをその言葉でぶつける。怜さんはやっぱり怒ることがなくて、むしろ優しいキスをする。割れ物を扱うみたいに優しく、私の頬にそっと手を添えて。腰を抱き寄せたかと思ったら怜さんが体を起こして私の上に来る。離れたと思ったらまた引っ付いて。それを何度も繰り返す。耳や頬、首や鎖骨といろんなところに優しくキスを落とす。怜さんにならいい。私の全てをあげても後悔しない。怜さんにあげたい。ずっと受けるだけだった私も怜さんの首に腕をまわした。そんな私に怜さんが目で確認をとる。それに応えるように私からキスをした。今までのとは違う、私の知らない大人なキスに変わっていく。どちらからともなくお互いの手を強く握って求める。苦しいのに辞めてほしくないと思う。もっと欲しがってほしいと。私で頭も心も体も全部いっぱいいっぱいになってほしいと。
「怜さん…好き」
「俺も」
胸が締め付けられるほど苦しい好きという感情にまた涙が溢れる。私の瞼にキスを落として、服の中に入ってきた手を受け入れる。沢山の時間をかけてやっと繋がれたそのときには感じたことないほど幸せでいっぱいだった。そのまま抱きしめ合えば更に高まる幸福度。何度もお互いの名前を呼んで、何度も見つめ合い、求め合う。私の名前を呼ぶその声も、時折聞こえる吐息も、苦しそうに、切なそうに歪むその表情も、私に触れる手や唇も全部が愛おしい。それでも頭の片隅には真希さんの存在がチラついて、どうしようもない感情に襲われる。真希さんのこともこんな風に愛していたんだろうか。真希さんはこんな怜さんの姿を何度も見てきたんだろうか。考えたくなくても考えてしまう、浮かんでしまう。
「茜、好きだ」
私もだよ、怜さん。だからそんな辛そうに私の瞳を見ないで。子供な私はまた甘えてしまいそうになるから。
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