第一章 歴史学者モーリス ㈤
雑多な足音とともにやってきた客人を、ウェインから紹介を受けたアデルは、彼の全身を一瞥した。
くせ毛の赤髪に、知的な瞳を輝かせ、来ている既製服のチェック柄のジャケット。見るからに一流の学者からは程遠い、田舎の三流学者のような姿の男が、この国の指折りの学府の学者だというのにはにわかに信じることができなかった。
ソファに腰かけて対面すると、使用人が給仕した紅茶をカップを持って飲むしぐさ。隣に座るローゼンガルドの若当主が、慌てたようにソーサーを持ち上げて渡すところを見るに、上流の出ではないのだろうことが構い見える。
「レイモンド教授は南部のどちらの出身かな?」
アデルの問いに目を丸くして、ソーサーに乗せたカップを音を立てて机に置いた学者は、襟元のタイに指をひっかけてほぐすと口を開いた。
「トレンドン子爵領の村です。実家は小麦農家でして、子爵の援助で学院まで進みました。今でも、援助はいただいていますよ。それに隣に座るレイヴンからは、御父上の時から今でも、あと、それから――」
「私も少額だが、援助させてもらってるよ。教授」
「ああ、そうでした。カルパティエン侯爵は昨年の講演会でお会いしてから、いろいろとお世話になっております」
にこやかかに微笑む学者と、それを見て同じように笑みを浮かべる義弟の姿。
「お前たち。知り合いだったのか」
義弟の方を見て、驚きを殺して静かに問う。
「ええ。以前、義兄上にも申しませんでしたか、面白い歴史学の講義をする学者がいると」
「聞いたような気がする。だから、彼を私に推薦したのか?」
「ええ、もちろん。彼の人柄もそうですが、あの話にも興味をひかれましてね」
「何の話だ?」
「義兄上も興味ある、あの話ですよ。ああ、ちょうどいいから軽く、あの講演会の話をしてくれないかな、教授。メルブラウン家の三姉妹に出てくる青年の話だよ」
「ああ、それですか。あれは、野史をまとめたので、学会では話せませんが、ああいった娯楽の場ではちょうどよかったみたいですしね」
「そうそう。あの話を聞いて、僕は確信したよ。義兄上に薦めるならレイモンド教授が一番だとね」
ウェインは静かに言った。無感情の視線がアデルを見つめてきた。
「では、最初に、この時代の歴史背景からご説明させていただきますね」
口を開いたモーリス・レイモンド教授の話をアデルは静かに聞き入った。
*
メルブラン家の三姉妹の話は、ハイゼン王国から海を挟んで東側の大陸にある現在のルーフェニア共和国になる前のルーフェン王国を含めた小国の乱立をしていた時代の数百年前の話だ。
小国の一つ、ファルザノ公国の中でも屈指の名家であり公国の金庫番ともいわれた資産家のメルブラン家には男子がおらず、三姉妹の娘が将来婿を取り家を継ぐ予定だった。
三姉妹は美しく有名で、フェルザノ公の末の息子が婿に入るのではないかというのが世間の声としてあった。メルブラン家当主も、そのように話を進めていたが、とうの三姉妹は誰がフェルザノ公の息子と結婚するのかというので、意見が割れた。
フェルザノ公の息子は端正な顔立ちをしていたが、三姉妹は誰もが自分にはもっと上の男がふさわしいと考えたのだ。
そこに、ある日行き倒れの青年がメルブラウン家で保護される。泥で汚れた顔を綺麗に洗われると、そこにはこの世のものとは思えない美しい顔が現れた。その姿に一目ぼれした三姉妹は、父である当主にこの青年と結婚したいと申し出た。
父は最初は身元の分からない青年を訝しんで反対したが、青年の洗練された立ち振る舞いや、周辺諸国の言葉を流暢に話すなど、教養の高さを見ると、この結婚に賛成した。
しかし、そこで問題が起きた。誰が、この青年と結婚するのかということだ。
父は誰と結婚したいかと、青年に問うと、青年は一番美しい女性と結婚したいと言った。それを聞いた三姉妹は、宝石にドレスにと、自分を着飾る物を買い集めた。豪華なドレスに、希少な宝石使った装飾品で着飾った姉妹は誰もが遜色なく、国中の誰もが美しいと称えた。
ところが、青年は目に見える美しさではなく、内面の美しさを求めた。清貧を美徳と説く、ミリアス聖教会の教えを褒めたたえた青年の言葉に三姉妹は考えを巡らせた。
次の日には身に着けていたドレスや宝石を換金し、教会や貧しい人々に寄付をした。その姿を見ても、青年は誰も選ばなかった。そこで、姉妹たちは次々に家にある金目の物を寄付していったが、青年は結婚相手を選ぶことはなかった。
結局、姉妹たちは競うように家の財産を使ってしまい、メルブラン家は没落してしまう。
そのころには、青年の姿はメルブラン家どころか公国にもなかった。公国の金庫番と呼ばれる家が没落したことにより、公国はルーフェン王国に侵略を許してしまった。
*
一つの寓話として語られるこの話を聞き、アデルは喉をごくりと鳴らした。
「教授。この時に話した仮説を、また聞かせてくれるかな。ほら二面的に見た話のこと」
「ええ。もちろんです」
言葉の出ないアデルに代わり、ウェインが学者に説明を求めた。
「第一に、この青年の正体が敵国。つまりはルーフェン王国のスパイだったという話が定説です。これは一級の資料にもありますが、ルーフェン王国は勢力としては小さなものでした。フェルザノ公国とは比べ物にならないほどの弱さです、ですので、金庫番であるメルブラウン家の没落を促すように手引きした。同時期の資料に、ルーフェン王国の財政事情がこの時に急によくなり、一帯に支配を及ぼしていることからもうなずける説です」
「そうだったね。そして、僕が興味を持ったのはもう一つの方さ」
ウェインは話をうまく促す。自分とは違い、聞き上手な義弟に目配せする。彼も、ここからが本番だと視線で答えてきた。
「実は民間伝承の一部に、今でいうミリアス聖教会の司祭が、美しい悪魔をフェルザノ公の地で問い詰めた。彼は煙のように姿をくらますと、そこには一冊の本を抱えた青年が馬で逃げた。というものがあります」
煙のように姿をくらました。その響きにアデルは、息が止まるほどの驚きを覚えた。
「そう、それがなんだと、教授は言ったのだっけ」
驚きで固まるアデルに、続きを聞かせるようにウェインは学者に話を促した。
「ああ、確か、聖教会に伝わる人外の悪を封印した、人が触れてはならない禁書というものの可能性があると話しましたね」
禁書。
その言葉が出たとき、アデルは思わず立ち上がった。
「禁書だと! その見解に相違ないか! 確かにあるのだな」
今まで静かに話しを聞いていた、貴族院の重鎮が感情をこめて怒鳴り散らす様に、三人はあっけにとられた。
しかし、そんな表情で見つめられても、アデルには気もならなかったのだ。
禁書こそ、アデル・リーデンの悩みを解決できる言葉だったからだ。




