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ハイゼン王国記 ~禁書を携える者たち~  作者: 烏丸 九郎
第一章 歴史学者モーリス
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第一章 歴史学者モーリス ㈣

 マホガニーの重厚な執務机の上の書類をめくりながら、ヘイグスウッド伯爵ことアデル・リーデンは、この国の行く末に思考を巡らしていた。


 昨年の庶民院総選挙で、数回前から勢力を拡大してきた都市部の労働者を支持基盤に持つハーディー党が政権を獲得したことは、王国中に驚愕と不安を与えた。


 彼らの政策が実行されるようなことがあれば、今までのハイゼン王国の制度が崩れ、社会は混乱に巻き込まれることは明白だからだ。幸いなことに、長年レイニー党と覇権争いをしてきたリーベック党が連立内閣に入ったことで、彼らの暴走の歯止めになることが期待されている。


 アデルは、リーベック党には属していないが彼らの改革的な議会重視の政策方針には共鳴することがあり、長年、貴族院側として支えてきた。

 だが、ハーディー党との連立後はリーベック党の幹部とは距離を置くようにしていた。ハーディー党のマルケン・ジェンドリンが国王より組閣を命じられてからは、連絡を取り合うことはないに等しい。


 書類をめくり、書かれている内容を確認する。


「ふざけた真似をしてきたものだ」


 ペンを手に取り、書類へインクをにじませる。修正する箇所は多く。タイプした文字を黒く染めていく。


 ハーディー党の社会保障政策の法案が書かれており、主な財源が増税により行うこととされている。これをどう見れば、貴族院議員が賛成すると思っているのか不思議になる内容だが、この法案にもリーベック党は賛成しているのだ。貴族院で否決すれば済むのは常道だが、やみくもに否決すれば国民の声をきいた庶民院をないがしろにしたと、新聞が書き散らすのは目に見えており、世間を揺るがすユーリウス王太子の結婚問題と合わされば、どのような世論が出来上がるのは想像しやすい。

 

 最近の貴族院の仕事は、ふざけた内容の法案を骨抜きにして貴族院で審議することだが、ユーリウス王太子の廃嫡の審議が始まった途端の、聖職者議員の審議放棄で、貴族院は麻痺してしまった。議会の規則で、審議には反対賛成の両名と、中立な意見を持つ聖職者議員が登院しなければならないとされている。


 廃嫡の動議が出されたとき、聖職者議員は一斉に議場から退出した。その姿は今でも脳裏にこびりついて離れない光景だ。まさか、自分の世代で議会が機能しなくなることを経験するとは思わなかったからだ。


 さらに一枚書類をめくったとき、ノックもせずに書斎のドアが開いた。


「義兄上、失礼するよ」


 ドアを開けて顔をのぞかせたのは、義弟のウェインだった。カルパティエン侯爵、ウェイン・メイガース。妻、カレンシアの実家の現在の当主だ。


「ああ、ウェインか。ちょうどよかった。気晴らしになる」


 アデルは椅子から立ち上がると、窓辺に寄った。整えられた木々による森林を奥にして、眼下には馬車が二台止まった車寄せがある。


「そういえば、今日でしたね。レイヴンが彼を連れて来るのは」

「彼とは?」

「嫌ですね。義兄上。モーリス・レイモンド教授を連れてくるという予定ですよ」


 よく磨かれた窓ガラスに映る、自分の姿を見て ずいぶん年を取ったと感じた。後ろに撫でつけた北部人特有の黒髪には白髪が目立つ。毎朝使用人に整えられる際に、目立たないよう気を使ってもらうが、それでも隠せないものは隠せない。


「私も年を取ったものだ。息子が結婚するくらいな」

「アルバートですか。今はどちらに? こうも世話しないのでは王都には来ていないのでしょう?」


「所領にいる。リリィ王女も一緒だ。こんな時勢に王都にでも来たら、新聞の格好の餌食にされてしまうよ」

「たしかにそうですね」


 背後のウェインは、ソファに腰かけた。

 金髪を後ろに撫でつける髪型は、アデルと一緒だが、彼の場合はその外見と年齢が反比例していて若々しさが際立つ、オリーブグリーンのツィードジャケットとも似合い、今でも社交界でひそやかな人気があることも納得できる。


「義兄上は、それにもましてリリィ王女の舅だ。今の議会の立ち位置を見れば誰もが思うでしょうね。飛ぶ鳥を落とすヘイグスウッド、今度は女王にチェックメイト。いかにも新聞が喜びそう見出しになりそうだ」


 義兄のふざけた発言に、思わず頬が緩む。伯爵位を相続してから伸ばした口髭をなでながら、対面に座る。


「リリィ王女を王太子にという声はある。だが、私は反対だ。息子夫婦には静かな世界で幸せに暮らしてほしいというのが親心だ」


「そういうものですかね。僕の場合は、王太子がこのままでは国の先行きが怖いですよ。真実の愛だか知りませんけど、国教会の信徒ではない妻を娶ろうだなんて、この国の威信にかかわりますよ。主教たちが議場を去ったのは無言の同意ですよ。廃嫡へのね」


 義弟の発言に、アデルは静かに頷いた。


 大方の貴族院議員が、その瞬間に悟ったように、この国の国王と王妃が国教会の信徒でなかった時代は過去のものだ。それに、王位継承法の条文にも国教会の信徒でなければ国王と王妃にはなれないと書かれている。それだけで、ユーリウスの行為が無謀であるというのが世間の評価だ。だが、新聞は違った。真実の愛を見つけた王子として華々しく記事が書かれ、美麗な容姿も相まって一躍世論はユーリウスの味方だ。


「ユーリウス王太子廃嫡に反対なのは、落ちぶれた旧家の者たちに、レイニーの人間だけだ。彼らは、伝統にのっとり継承権一位の者が国王にならなければ国の秩序が乱れると言っている。それに、異教徒の王妃も存在した歴史を出してきていたな。確か――」


「モールデン伯爵でしたっけ。父親が叙爵したという二代目の奴ですよ。彼は、今や王太子の近しい、反対派の筆頭ですよ。それに、金持ちだ」


「ああ、我々が先祖から受け継いだような財産ではない。自らの力で得た金だな。だから、よけいに面倒だ。多くの新聞はモールデンの傘下だ。味方するのも当然だ」


 新聞の論調をみれば、ユーリウス王太子に味方する記事が目立つ。対して、王太子に反対するのはハーディー党支持者が見るような労働派の新聞がほとんどだった。それもこれも、ジェンドリン内閣が数に物を言わせて庶民院で王太子廃嫡の動議を採択し、貴族院に審議を送り付けてきたからだ。


「賛成すればハーディーの味方。反対すればモールデンの手の内に乗ったようなもの。我々にはどちらも賛同できませんね」


「ああ。まったくだ」


 両者が静かに頬を緩めたとき、静謐をやぶるように自動車のエンジン音が鳴り響いて近づいてきた。


「おや、どうやら来たようですよ」

「そのようだな。まったく自動車というものは故障も多く、ああもうるさい。陸軍省が予算をつけたがる理由がわからんよ」


 アデルの苦言を聞いて、ウェインは笑いながら立ち上がる。


「義兄上もそのうちすぐに、反対の意見を言うかもしれませんよ。世の中は進歩しているのですから」


 ドアに手をかけ、部屋を出る義弟の姿を見ながら、アデルは足を組みなおすと、上着から金の鎖をつけた懐中時計を取り出した。時間は約束の時間ぴったりだった。


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