第五章 知の宝庫・ベゼルフォード ㈢
地下書庫への道は、フェミルトン教授の研究室のある建物から、さらに時計回りに歩いて二つ目の建物にあった。
モーリスに続いて、その建物に入ったレイヴンは、広々とした室内の壁に本棚が並び立ち、上の方の本棚へ向かうための階段と通路が三段もあることに衝撃を受けた。
王立学院の図書室も学校施設としては立派なものだが、この蔵書数も見事なものだ。
「レイヴン。こっちだよ」
入口のホールから左右に広がる図書室を見回していると、カウンターで手続きをしているモーリスに声を掛けられた。
「ああ、すまない。それにしても広い図書館だ」
「そうだね。王国中の学者が、何か調べ物があればここに来るからね」
カウンターで司書と必要な手続きの書類に記入しながら、モーリスは言う。確かに、学生よりも学者風の姿の方が多いような気がする。
「では、以上で手続きは終わりになります。地下書庫は一時間ほどで消灯しますので、このオイルランプもお使いください」
司書はカウンターにオイルランプのカンテラを置く。
「ありがとう。使わせてらうよ」
モーリスは二つのカンテラを手荷物と、カウンター脇の地下書庫への扉を開いた。館内に差し込む自然光では照らされない、扉内部は薄暗い白熱灯の明りで、ぼんやりと照らされている。
モーリスはカンテラに火をともすと、レイヴンに一つ渡して、もう一つも火をともす。
「しばらく階段が続くから、気をつけてね」
「ああ」
レイヴンの返事を聞くと、モーリスは石造りの階段を下りて行った。レイヴンも続いて階段を下っていく。ところどころ、壁に取り付けられた白熱灯が、階段を照らすが、足元はカンテラで灯さないとしっかりと見えず、階段を踏み外そうものなら、奥に見える暗闇に引きずり込まれてしまいそうだ。
足が悪いフェミルトン教授が、地下書庫には同行しない理由はよく分かった。一歩一歩慎重に降りるが、教授よりも圧倒的に若いレイヴンですら、勇気がいる。対する、モーリスは通いなれた道のようにすいすいと階段を下りていき、レイヴンとの距離を開けていく。レイヴンが声を掛けようと思うほどに離れたとき、先を行くモーリスの目の前に扉が現れた。
鍵を開ける音が聞こえて、モーリスが両手で押し開けると、天井からぶら下がる白熱灯が転々と暗闇に浮かんでいた。
扉の中に入って、立っているモーリスに追いつくと、彼は扉を閉めるように言った。
「こんな広いところを二人で一時間では時間が足りないからね。助っ人が必要だよ」
肩掛け鞄を叩くモーリスに、事情を察したレイヴンは扉を内側から閉じた。
モーリスは肩掛け鞄を開けると、中から古びた黒革の表紙の本を取り出して、勢いよくパラパラとめくる。本に周囲の空気が吸い込まれるような風が生じ、白熱灯がわずかに触れ、床の埃が宙に舞った。本から、白い靄が出てきて、モーリスを包む。靄はモーリスの背丈ほどの上がると、徐々に薄まる。それとともに、二つの人影が見える。
「お呼びでしょうか。教授」
胸に手を当て膝を折る、黒い執事服を着た黒髪の禁書の住人が現れた。
「うん。ベルガー君に手伝ってもらいたい仕事があるんだ」
「何なりとお命じ下さい」
ベルガーは立ち上がると、モーリスの顔を見て、次に後ろを振り返りレイヴンを黒い眼で見つめる。
「レイヴン様もご一緒でしたか」
レイヴンは軽く頷く。
主に向き直ったベルガーに、モーリスはカンテラを渡すと奥の方を手で示した。
「あの奥にカナン語の文献があるから、その中から禁書に関する記述を見つけて欲しいんだ」
「かしこまりました」
ベルガーはカンテラを受け取ると、転々と灯る白熱灯の下を歩いていき、光の届かない横の書架の方へ曲がっていった。
「僕も、ベルガー君と共に文献を当たるから、君は、その辺の新聞の山を当たってくれないかな。シスターの話ではもう一つの禁書は、君の家の領地にあるというなら、力が使われるような事件が起きたかもしれない。そうなら――」
「そうであれば、記事になっているか」
モーリスの言葉を引き継いだ、レイヴンがそう言うと友人は頷く。
「必ず証拠があるはずだよ。もし、ないとなると新しく場所の特定を考えないといけない」
モーリスはそう言い、ベルガーの消えていった方へ向かった。
シスター・リリアが拉致されたことは、レイヴンにとっては精神的な痛手と共に、重要な手がかりと捜査手段を失ったことの痛手でもある。
シスターの捜索は、ヘイグスウッド伯爵が内務大臣に掛け合い王都の警察庁とチェッカーボーン近辺を統括する警察に捜査を依頼した。カナレン司祭の殺害と、シスター・リリアの拉致は、ミリアス神聖帝国の大使に外交問題になると言われたそうだ。司祭の件は、司祭の操行の問題が露見するのを嫌い不問に近い形で収まったが、シスターの拉致の件は解決しなければ帝国だけではなく、聖教会とも事を構えることになる。
レイヴンはカンテラの明りを頼りに、横の書架から木箱に無造作に入れられた新聞の束を見つけた。
簡易な書き物机が入り口の扉脇にあったので、そこまで木箱を運んでいくと箱の中の新聞紙の束を机に置く。
天井の白熱灯と、カンテラの明りを使い、新聞の見出しを目で追っていく。
――ルーフェン王国 武装市民が宮殿の門を破壊。
――ルーフェン王国 市民革命により、国王処刑される 王妃、王族も投獄!
ごわごわとした固い紙質の新聞は、ルーフェニア革命を伝える古いもので、百年以上も前の記事だった。インクの掠れやにじみが目立ち、粗悪な紙質には当時の人々が回し読みでもしたのだろうか、ところどころにインクのついた指の跡が目立つ。
ざっと見たところ、この木箱には同じような年代の記事が見える。ただ、時代順に並べられているわけではなく、大雑把にまとめて入れてあるだけなので、奥の方にルーフェニア革命時期よりも新しい記事もあった。
――ハイゼン国王 アルスター 危篤 王宮に王族が召集される
――王宮内で、王太子が刺殺
――第二王子 王宮内で負傷 王太子の殺害の関与の疑惑
ルーフェニア革命よりも後の年代だが、レイヴンの祖父たちが若いくらいの時代の話だ。アルスター国王といえば、ハイゼンの歴史の中では狂王と言われ、議会を排して親政を断行しようとしたことで知られる。病で倒れた際に、当時の王太子と第二王子が王位継承の件で殺し合いをしたのは、有名な話だ。
――レンフィールド伯爵夫人 マチルダ王女 貴族院より王位継承の請願を受け、受諾する
マチルダ王女は後の、マチルダ女王であり、エルドラ女王の祖母に当たる人物だ。ただ、ここまでの新聞記事でめぼしいものはなく、レイヴンは束を木箱に仕舞い始めた。一時間後には電灯が消えてしまう。ベゼルフォード大学が寄付金で潤っているとはいえ、地下書庫に無駄な電気を簡単に使わせるほどには資金に余裕はない。
新聞紙の束を持ち上げたときに、足元に新聞紙が落ちるのが目に見えた。手で引か合ったんだろうか。レイヴンは、しゃがみこんで新聞を持つと、木箱に入れた、木箱を元の書架へ戻そうと、持ち上げたとき、目の前にさっき拾った新聞の記事の見出しが目に入り、思わず木箱を机の上に置いた。水に濡れて乾いたのだろう、ごわごわと紙面が波打ち、他の新聞の重みでつぶれて皺になっている。
――ラカンチェスターで崩落事故 王室の馬車が巻き込まれる
ラカンチェスターはローゼンガルド領と隣の領地との境にある場所だった。今では整備された道があるが、アルスター国王の時代であれば、道の整備も不確かだったかもしれない。
新聞を手に取り、記事を目で追うが、王室の馬車が巻き込まれたが、馬車には王族は乗っておらず、御者が死亡したという内容で終わっていた。
「どうだった?」
新聞に目を奪われていると、後ろから声を掛けられた。
モーリスがカンテラを下げて、膝に腕に着いた埃を払っていた。
「ああ、あまり情報はなかったな。うちの領地に関するのは、この記事ぐらいだったよ」
レイヴンはモーリスに新聞記事を渡す。
友人はそれを目で追うも、読み終わると木箱に入れた。
「ラカンチェスターの近辺は、よく事故があったらしいからね。この記事も王室の馬車じゃなければ記事にもならなかったかもしれない」
「だが、どうして空の馬車が走ったんだろうか?」
記事を読んだ時に感じた疑問を口にすると、友人は首を振る。
「それはわからないね。アルスター国王の時代は王族内の闘争が激しい時代だったから、陽動だったかもしれないよ。現に、王子同士で殺し合いをしているからね」
先ほどの記事の見出しが頭に浮かぶ。
「そうかもな」
「この時代の研究ではフェミルトン先生が一番詳しいよ。彼女の有名な論文にベゼルセレク国王の宗教改革と議会の再編というテーマのものがあるんだけれど、興味があるなら一読を進めるよ」
「宗教改革?」
「ああ、国王は議会の定則の国教会議員の――」
熱の入ったモーリスは説明を続けていたが、レイヴンは途中まで聞き流すと、曖昧に頷いて木箱を書架に戻した。
友人が一人だけ白熱灯の下で立っているので、ベルガーがまだ奥にいるのかと尋ねると、友人は鞄を叩いた。
「本の中に戻ってもらったよ。さすがに、地下書庫から出た時に、人が一人増えてたらいいわけできないよ」
モーリスは笑いながら言う。
「それもそうだな」
レイヴンはカンテラを持ち直すと、扉を開けて、モーリスが先導する階段を登っていった。
約束の時間が近づいてきて、白熱灯の淡い光が弱まっていくにつれて、カンテラを握る手に力がこもった。




