第五章 知の宝庫・ベゼルフォード ㈠
ハイゼン王国の最高学府といえば、王立学院を上げる者が多い。だが、王立学院の創立まで遡れば、学院が貴族子息の交流の場として造られたと知ることになるだろう。
では、真の最高学府とはどこだろうか。その答えは、王都の南東の外れにあるベゼルフォード地区に行きつく。
荘厳なベゼルフォード大聖堂を取り巻くように、城館が砦のように囲むそこはベゼルフォード大学として知られている、王国の知の探究者が集う学び舎だ。地下に張り巡らされた巨大な書庫はいつでも、知の探究者を飲み込もうと扉を開いて待っている。
*
友人の研究室から差し込む昼日は、暖かな温もりを運んできていた。
のんきに湯気の立つマグカップを両手で持って、お茶を飲む赤毛のモーリスは、禁書から現れたベルガーと契約してからというもの、身なりが整い始めた。
レイヴンはダークグレーのラウンジスーツに身を包み、椅子に腰かけて友人の姿を見た。
「レイヴン様。傷口を冷やすとよろしいかと」
そっとベルガーから差し出された、白い濡れたハンカチを受け取ると礼を言って、口元にあてた。傷口にしみる痛みに、思わず顔をしかめ、押し当てたハンカチを見ると、小さな血の斑点が残る。
「それにしても、ヘイグウッド伯爵も酷いものだね。いきなり、殴るなんて」
のんきにモーリスが、マグカップを書き物机に置きながら言う。
「そんなことはない。私がすべて悪いのだから」
チェッカーボーンから乗った汽車の中で、禁書管理官のリリアを拉致された日、記憶がまばらなレイヴンはマークとモーリスに支えられて屋敷に帰った。
翌日も終日眠りにつき、気が付いたのは倒れてから二日後のことだった。起き上がってもふらつく体を心配した使用人たちに寝ているように促されて、その日は休んだ。そして、今日、早朝、ヘイグスウッド伯爵のタウンハウスへ向かい、リリアの拉致の件を報告すると有無を言わさず頬を殴られたのだった。
「確かに、悪手だったと思うよ。あの場合は、修道院で匿うという手が最善だったと思う。でも、それもこの結果があってこそ導き出された答えだよ」
「だが、しかし、結果は最悪だ」
再びハンカチを当てると、傷口に冷たさが沁みる。
「それでも、君のおかげで有益な情報が手に入ったじゃないか」
モーリスは机の上のメモをぱらぱらと捲る。起きた日に、使用人に連絡させてモーリスを屋敷へ呼び、今までの状況を話した。友人は静かに話を聞き、自分が疑問に思ったことに口を挟む以外は、レイヴンの話を黙って聞いてくれた。
「大きな情報としては、シスターが禁書を見つける道具を持っているということ。これは大きな収穫だよ。この道具があれば闇雲に禁書を探す手間が省ける」
「だが、それもリリアさんとともに奪われてしまった」
「それもそうだけど、そう悲観しなくてもいいさ。まだ、重要なことがあるよ。もう一つの禁書が、この国あるというのも大きな情報だよ」
リリアは修道院を出る際に、もう一冊禁書があると言った。それも、地図を見るからにローゼンガルドの自領の辺りだった。
「その情報もどこまで当てになるものだか。第一、そんな話は聞いたことはない」
「それを言うなら、ベルガーの禁書ですら噂になっていないよ。出所は、だいたい分かったけれどね」
モールスは王国の簡易地図を広げた。主要な都市と、河川や山しか描かれていない。
「かつて、ハイゼンを襲った災厄は、この東部地域から広がったと言われている」
学者の人差し指が、東部の工業地帯の一角を指した。
「バーンズさんの話だと、ベルガーの禁書はこの辺りの屋敷で買い取った本の中に含まれていたということだから」
工業地帯から少し西に逸れた地域を、指で円を描くようになぞる。
「ここから導き出した答えは、僕が普段講演会で話している仮説と同じだよ」
モーリスの時折行う、後援者向けの講演会は人気を博している。真面目な歴史講義もあるが、時折、研究資料から逸れた野史をテーマに講演を行うことがある。メルブラウン家の三姉妹の話もそれだ。
「歴史を動かした事件を辿れば、禁書にたどり着く可能性がある」
そう言った友人の目は、真っ直ぐとレイヴンの眼を見つめる。
「その事件は、簡単に知れる話なのか? 学院の図書室で借りれる本とかでも」
レイヴンの質問に、友人は首を横に振る。
「それは難しいだろうね。歴史というものは、後世に残るには誰かが書かなければいけない。その場合、誰が後世に残すために記すのかわかる?」
授業のような友人の言葉に、レイヴンは思考を巡らす。お茶のお替りと、新しい濡れたハンカチを差し出したベルガーに、礼を告げる。
「書記官かな」
「正解だけれど。それは書いた人だよね。それを命じるのは誰かということだけれど、歴史は必ず勝者が書くものさ。その場合、都合の良い話が作られる。それが歴史学の本質なのだけれど、突き詰めて研究をする場合には、野史を含めた二次的な資料と照らし合わせて矛盾点を解いていく必要がある」
「では、その、事件の二次資料が手に入ればいいわけだな」
友人の学者は大きくうなずく。
「資料を集めるのか。途方もないな」
リリアの安全を考えると悠長なことは言っていられない。さらに、今朝のアデルの様子から察するに、王太子廃嫡の問題をこじらせておく時間もない。敵対する相手側が、禁書という武器を手にすれば、アデルと行動を共にする自分も破滅の道を歩むのは明らかだ。
「レイヴン。君は真面目に考えすぎだよ。頭を解きほぐすんだ。自分の手にないのなら、ある場所に行けばいいのさ」
ハンカチで傷口を抑えるレイヴンに、椅子から立ち上がったモーリスは、ベルガーに出かける支度をするように命じた。
「いざ、知識の殿堂、ベゼルフォード大学の書庫へ行こうじゃないか」
意気揚々と拳を握る友人に、レイヴンは見上げて、生返事を返すしかできなかった。
*
ベゼルフォード大学へ向かうのなら、直通の乗合馬車が便利だが、レイヴンは今日一日を有効に使いたいと思い、マークの運転する自動車で向かうことにした。大学の近くには時間をつぶせるようなカフェや、公園などがあり、自分たちが大学内で資料を探していてもマークの時間つぶしもできる。
王都の喧騒から少し離れた、南東の郊外にあるベゼルフォード大学の広大な敷地の前に自動車を止めてもらうと、レイヴンはマークに手間賃を渡した。他の使用人には内緒だと仄めかすと、笑顔でうなずいた。
マークが自動車を走らせて行くのを見守り、レイヴンは隣に立つモーリスとともに、ベゼルフォード大学の荘厳な建物に目をやる。中央に見える尖塔を持つ大聖堂を中心に、いくつもの城館が連なり、まるで一つの城のようだ。
「実際に、ここは城だったからね。それも、ミリアス聖教会の修道士が住んでいた城塞都市の一部さ。今では宗教色も薄れて、大聖堂は国教会所属の物になったけれど、中のステンドグラスや、彫刻は国教会にはない見事なものだよ」
歩きながらのモーリスの解説に、レイヴンは頷きながらも、彼が手に持つ菓子箱の包みに目が行く。
ここに来る前に、王都でも指折りの高級菓子店に寄ってほしいと言われ、自動車で乗り付けると、レイヴンはモーリスに連れられて店内に入った。居並ぶ客たちに交じって、モーリスは粛々と注文をして、貝殻の形をかたどったマドレーヌを選ぶと、後ろを振り返り必要経費だからと、支払いを求めてきた。
「それにしても、百二十ペリンもする菓子が手土産として必要とは、君も気を遣うほどの人物なのか?」
友人がベゼルフォード大学にいる知り合いに頼めば、書庫を閲覧できると言ったが、閲覧を頼むにしては手土産の度が過ぎている。
「これは、先生の大好物だからね。持っていくと喜んでもらえるんだよ。おいしい紅茶と一緒に出してくれてね。思わず、歴史学の話が止まらなくなるんだ」
とびっきりの笑顔で言う姿に、レイヴンは思わずため息をついた。
この大学に、友人と同じ変わり者がいて、これから会うことになると思うと、頭を抱えたくなる。
どのような人物なのかと、頭の中で想像をしながら、大学の門にたどり着くと、モーリスは守衛に挨拶をしに行った。見知った顔なのか、軽く話し込んでから、戻ってくると、再び歩き出す。
今度は、目の前の城館に入ると、広々とした四角いカウンターの中で事務作業をしている職員に声をかける。
「フェミルトン教授をお願いします。モーリス・レイモンドです」
「お約束は?」
「してあります」
「少々お待ちください」
職員とモーリスの事務的なやり取りの跡、事務員がモーリスの来訪の確認のために席を外すと、モーリスは手慣れた様子で、カウンターに置かれた来訪者名簿にサインする。レイヴンも、促されてサインをすると、職員が戻ってきて、研究室に直接行くように指示される。
「ありがとう」
モーリスが礼を述べて、建物を出たので、レイヴンも続いた。
前を歩くモーリスはくたびれたこげ茶の革の肩掛け鞄を襷掛けにしている。その中には、一緒に同行を申し出たベルガーが禁書の中に入り込み鞄に収められている。持ち歩けるのは便利だと笑いながら言う友人に、レイヴンはそのオカルト的な状況が不気味に思わないかと言いたくもなったが、彼の性格からすると、この状況も興味深い観察の対象なのだろうと思った。
中央の大聖堂をぐるりと半周して、ちょうど裏側に当たる位置までくると、蔦の絡まった石造りの城館の前に立った。
「ここだよ」
「これは……」
建物を見上げて、レイヴンは思わず声を失った。他の建物よりも古いのが一目でわかる。石組みに絡まりながら伸びる蔦は、互いに絡まり合いながらも建物を包み込むようにして、この城館の外観の美しさに一役買っている。屋根の見事な薄紅色は、往年の日焼けでところどころ色が違うものの、歴史ある貴族の邸宅に引けを取らない見事な造りをしている。
「すごいでしょ」
「ああ。見事なものだ」
二人で建物を見上げながら、レイヴンは自分の感想が声にならないのをもどかしく思った。
「まぁ、驚くのはこれからだと思うんだけれどね」
モーリスはそう言うと、さっそうと城館の扉を開けて中に入っていった。




