第四章 レイヴンの過ち ㈥
王宮の玄関を出ると、アデルは車寄せに着いた自分の馬車に乗り込んだ。使用人にドアを開けてもらい、六人掛けの馬車の中に入ると、見知った顔の先客がいた。
「ウェイン。来ていたのか」
フロックコートに身を包んだ義弟の姿があった。
「はい。姉上との面会ですよ。義兄上は、姉上にお会いにならなかったのですか?」
アデルはかぶりを振るう。
「カレンシアには会わなかった。あれも、王妃様のお世話で忙しいだろうからな」
アデルの妻のカレンシアは、ユーリウスの結婚問題が発生してから世間の風当たりが強まった頃に、心労で倒れた王妃ナシリアの看病のために側仕えとして王宮に詰めていた。
今ではハイゼン王国に編入されたワーデンブルク公国の公女として生まれ、ジョアンの元に嫁いできた彼女を支えたのは、カレンシアだった。王太子妃候補としての教育も受けた彼女はナシリアの良き相談相手として日々を接した。長い年月を経た二人は、今ではジョアンとアデルのような友情が芽生えたのか、頻繁に会うような間柄だった。
「姉上も同じように言っていました。国難に対処する義兄上の妨げになるから会うのは控えていると。本当に夫婦で考えが同じだ」
ウェインの一言に、アデルは軽く笑う。
カレンシアと最後に言葉を交わしたのは何か月も前のことだ。あの時は、ここまで長く問題が続くとは考えていなかった。
「義兄上は本日、陛下に謁見なさっとか?」
「ああ。陛下に王太子の問題を何とかしろと言われてしまった」
「何とかって……」
言いよどむ義弟から視線をずらし、外見る。ちょうど王宮の中洲から伸びる橋に差し掛かったところだ。馬車の車輪が固い石組みの橋の振動を伝えてくる。
ウェインが言葉に詰まるのも仕方のないことだ。この問題を解決できる人物は限られている。当事者のユーリウス。それと、国王のジョアンだ。だが、その二人はこの問題にうまく対処しているとはいいがたい。互いに、妥協点を探すのか、重要な決断を下させば解決できる道を示そうともしていない。
「ウェイン。私の考えを聞いてくれるか」
「ええ。勿論です」
「ハーディーの案に乗ろうと思う」
アデルの一言に、ウェインの目は大きく見開き、口がわずかに開いたまま表情が止まる。
「優しいだけの王太子では、将来のハイゼンは任せられない。ユーリーがこの問題を解決できないと言うのならば、それまでの能力しかないということだ。我々が生きるためには強い王が必要なのだ」
「では、リリィにはその才覚があるというのですか!」
ウェインの声は上ずっている。彼が、甥夫婦のことを気にかけていることは知っている。王族から降嫁してきたリリィが安寧な静かな暮らしを送れるように心配っている姿を何度も見てきた。
「足りなければ、我々が補えばよい。幸い、リリィ王女には施政者としての才覚がある。学院時代の冷静な姿を見れば、その片鱗に誰もが気付いたことだろう。それに、彼女はモーリス・レイモンドとも親しいと聞く。あの変人とうまく付き合える度胸があるのだ。どのようなことにも動じないだろうよ」
「それは、そうですが……」
顔を俯けるウェインに、アデルはさらに言葉を浴びせる。
「近しい議員からも、言われていることだ。リリィ王太子擁立のためならば、命がけで動くという貴族の連中もいるという。ユーリウスの近しい、古参の没落した家の面々の復権や、モールデン伯爵のような新興勢力の増長を快く思わない者たちだ。きっと、我々の力になってくれる」
「それが、義兄上の決めたことなのですね」
「そうだ」
ゆっくりと吐いた、その一言はこれからのアデルたちの運命を決める言葉としては短かった。
「いいでしょう。私も、義兄上と命運を共に致します。ですか、これだけは約束してください」
「何だ?」
「アルバートとリリィの夫婦を、絶対に悲しませない。不幸にしないということです」
「当たり前のことだ。私も、そんなことは望んでいないさ」
アデルの決意に満ちた一言で、馬車の中は沈黙に包まれた。
静かに協力を誓った二人の男を乗せた馬車は、ベルンデンの市街地に入ると、王都にあるヘイグスウッド邸へ向かった。
*
王都のヘイグスウッド邸は、周辺の貴族のタウンハウスよりも一回り大きいが、旧来の貴族街にあるため、新しい貴族のタウンハウスよりはこじんまりとしている。
車寄せに止まった馬車から降りた二人は、開けられた玄関の扉から中に入る。書斎へ向かおうとホールの階段を登ろうとしたときに、タウンハウスの執事より、知らせを受け取った。
他者に訊かれないように耳元に小声でささやかれた報告は、アデルの顔に青筋を立てた。
アデルは急いで階段を登り、後ろを歩くウェインは、その速さにやっとのことで追いついた。
書斎に入ったアデルに続いて、ウェインが中に入ると、後ろ手でドアを閉める。
「どうされましたか」
両手を書斎机に置いて、怒りを鎮めるように肩で息をするアデルに、ウェインは歩み寄った。
「ウェイン。君はチェッカーボーンの修道院の院長と親しいのか?」
「ええ。あの修道院には援助金を出していますよ。聖教会の信徒ではありませんが」
「そうか」
アデルは深呼吸をすると、振り返りウェインを見つめた。
「院長から君の家へ電話で連絡があったそうだ。君の家の使用人は察しがいい。その伝言をこの屋敷にすぐに回してきたよ」
「何ですって⁉」
チェッカーボーンの院長からは禁書管理官を送ってからというもの、逐一様子を知らせるように頼んでいた。それ相応の寄付金を送っているからには、働きは十分なものだったが、カナレン司祭が死亡したという記事を見てからは、連絡が途絶えがちになっていた。それが、突然、連絡をよこしてきたのだ。何かあったに違いない。
「ああ。ローゼンガルドの青二才がやってくれたようだ!」
拳を書斎机に叩き込み、鈍い音が部屋の中を駆け巡る。少し血のにじんだ手で、書類をつかむと、足元にたたきつけた。紙のこすれ合う乾いた音共に、紙の束が散らばる。
「どうされたのですか?」
冷静沈着なアデルが、激昂した場面を見たことはあまりない。その中でも、目の前のアデルは今まで見たことがないほど、抑え込めない怒りを爆発させていた。
「レイヴンが、禁書管理官のシスターを王都に匿うために連れ出したそうだ」
あきらめの表情を出し、足元に散らばった書類を見下ろしてアデルは言う。
「司祭が死んだのは偶然ではない。おそらくは、禁書を狙う者の仕業だろう」
「ええ。そうでしょう。ですが、レイヴンの行動も正しいのではないでしょうか? あの場所にいるのは知られているのですし、我々の見える範囲で禁書管理官を匿うのは得策ではないでしょか」
「ああ。一理はある」
ふらつく足、書斎机の椅子に腰かけたアデルは、机に両肘をつくと頭を抱えた。
「だが、それも危険な賭けだ。禁書を狙う輩は王都にいるのだからな」
「モールデンですか?」
「ああ、最近になっていつも私に嚙みついてくる駄犬が、ついに猛犬へと成り上がったみたいだ」
アデルの苦々しい一言で、ウェインの頭の中に、貴族院の議場でアデルの意見に反論する一人の白髪の議員の顔が浮かんだ。
モールデン伯爵。
新興貴族の父親の爵位を継ぎ、今では没落した古参の貴族たちに援助をし、貴族院で頭角を現し始めた人物。最近では、ユーリウスの王位継承の正当性を説き、ユーリウスの良き理解者として、廃嫡案の反対派の筆頭だ。
「では、モールデン伯爵が動き出したということですか?」
「そう考えた方が無難だろう」
膠着した貴族院。二分された国論。一向に解決策を見いだせない王族たち。この膠着した状態を揺さぶるには、歴史の歯車を狂わせた未知の力を使うという、禁断の方法がある。その力を使えば、今の問題も、これからの問題すらも解決できるだろう。そして、将来の国王の懐刀として国政へ介入も容易になるはずだ。
「義兄上。すぐにでも、チェッカーボーンへ人をやりましょう」
ウェインの頭の中でつながった、モールデン伯爵の歪んだ欲のパズルは、生き物として感じる危機感を大いに刺激した。
「もう遅い。今からでは、間に合わないだろう。なるように任せるしかあるまい」
頭を抱えたアデルは、そう言うと静かに崩れ落ちた。
窓から差し込む光が、残酷なまでに、散らばった書類を白く照らし出していた。




