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ハイゼン王国記 ~禁書を携える者たち~  作者: 烏丸 九郎
第四章 レイヴンの過ち
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第四章 レイヴンの過ち ㈢

 チェッカーボーン駅に降り立つ乗客は少なく、駅舎も近隣の駅舎よりは大きいというほどの規模でしかない。ホームから改札口までの道のりも短く、駅員が一人だけ常駐するだけで、汽車が来ていない時間は人気がない。


 ルーシーは薄い水色のドレスに、白いエプロンを着てベンチに座った。膝に置いたバスケットには新聞紙に包んだ焼き菓子が入っている。ルーシーのいる孤児院ではある程度の年齢の子供は外での仕事を任される。バスケットに入っている焼き菓子は孤児院で早朝から焼いたものだ。これを売って、孤児院の生計の足しにしている。


 前まではモーリーパーク駅で売り子をしていたが、チェッカーボーン駅に配置換えされてからは売り上げがさっぱりだった。モーリーパークのように、乗換駅で人の行き来があればどうにかなるが、元々乗客が少ないチェッカーボーン駅ではどう頑張っても売り上げは伸びない。


「このままだと、また、ごはん抜きとかになっちゃうのかなぁ」


 売り上げがノルマに達していないと、孤児院の晩御飯は取り上げられてしまう。自分だけならまだしも、同郷の小さな子たちまで巻き込んでしまうので、ルーシーは必死だった。


 汽車の汽笛の音が鳴り響いてきた。車輪の振動が地面から伝わり、ルーシーはベンチから腰を上げた。


 遠くに見える蒸気を上げる汽車がどんどんと近づいてくる。モーリーパーク駅で止まる汽車の中でも一番古い車両は、調子が悪いとよく止まる。そのため、この路線では大幅に遅れて汽車がやってくることは日常茶飯事だった。


 汽車がホームに止まり、乗客が降りてきた。


 ルーシーは、乗客の顔をつぶさに見ていく。ここ最近で見知った顔や、見るからに手持ちの少なそうな客に声をかけても、掛ける労力だけ無駄というものだ。 

 次の汽車まで待とうと、もう一度ベンチへ腰かけて、バスケットを膝にのせる。今日もはずれの日の予感がしてきた。


「少し訪ねたいが、いいか」


 バスケットに顔を落としていると、不意に声をかけられて顔を上げた。


 質の良い黒のコートに、シルクハットをかぶった貴族の青年が立っていた。シルクハットからこぼれた一筋の金髪の髪が、目元にかかり、整った容姿と相まって色気を感じる。


「声、聞こえたかな?」


 思わず見惚れていると、青年がもう一度、声をかけてくる。響きのよい低い声と、上流階級の濁りの無い発音だ。


「あ、はい。何でしょうか」


 反射的にベンチから飛び立つと、青年の前に直立不動で立つ。


「そんなにかしこまらなくていいよ。それよりも、一つ訪ねたいのだけれど」

「何でしょうか」


 青年は駅前の真っ直ぐな道を指さす。


「チェッカーボーン修道院へ行く乗合馬車は、いつ頃来るかな?」


 チェッカーボーン駅で降りる客は、町へ行くか、周辺の村へ行く者がほとんどで、修道院へ行くような者は少ない。ミリアス聖教会の修道院へ向かう国教会信徒はいないからだ。


「修道院へ直接行く馬車は、もうすぐ来ると思います。日曜以外ではお客が少ないから減便しているんです」

「そうかい。ありがとう。ところで、そのバスケットの中の包みは焼き菓子かな?」

「ええ。そうです」


 ルーシーの控えめな声に、青年は微笑んで言う。


「じゃあ、その焼き菓子をいただこうか」

「いえ、とんでもないです。貴族様のお口には合わないような粗末なものですので」


「そんなことはないと思うよ。前に食べたときは、とてもおいしかったのだからね」

「え⁉」


 貴族の青年がこの焼き菓子を食べるような機会があるのだろうか。そう自問したが、青年の顔をしばらく見ているうちに、記憶の中で青年の顔が思い出された。


「もしかして、モーリーパークで以前、お会いしましたか?」


 青年は少し遠目をして首を捻る。


 もしかして、間違いだろうか。 


 失礼があったのなら、すぐに謝らないといけないと、謝罪の言葉を口にしようとしたとき、青年が何かを思い出したように、顔を輝かせた。


「あの時の、子か!」

「ええ……はい。あの時は失礼しました」


 十ペリンで焼き菓子を売ってしまったことを、今更謝罪しても仕方がないが、ルーシーは気のよさそうな青年を騙してしまったことに罪悪感を感じた。 


「いや。あの時のことはいいんだ。それだけ美味しかったのだから。もし、よければもう一度買わせてもらってもいいかな?」

「はい。どうぞ。一つ、三ペリンです」


 ルーシーが焼き菓子の包みを一つバスケットから取り出して、青年に手渡すと、青年は十ペリン硬貨を出してきた。


 手の上に乗せられた硬貨を見つめていると、青年の温かみのある声が聞こえる


「それは、お菓子と、馬車のことを教えてもらった情報料だよ。受けっとってもらって構わない」

「ありがとう……ございます……」


 ルーシーは驚きを隠せず、ぼそりと礼の言葉を言うと、青年は帽子を軽く上げて頭を下げた。


 ちょうど、駅前に修道院行きの乗合馬車がやって来た。青年が、馬車に乗り込むと、馬車は土煙を上げて修道院の方角へ向かっていった。


 ルーシーは、青年の着けていた品の良い爽やかなコロンの香りが残る中、土煙を上げる馬車を見送った。


 *


 青年を見送ってから三回、汽車は止まったが、焼き菓子は思ったように売れなかった。四本目の汽車の到着を待っている時に、ルーシーはポケットの中に入れた売り上げを数えた。ぎりぎり、ノルマに達成するかもしれない。あと一つでも売れれば、きっと取りまとめ役のダンは許してくれるかもしれない。


 遠くから汽車の音と、蒸気が見えてきた。


 ルーシーはベンチから立ち上がると、ホームの近くへ寄った。見慣れた駅員が、改札口に待機するため駅舎の窓口に顔を見せる。


 汽車の車輪が止まる甲高い音と、乗客が降りてくる足音が響く。格好を見るからに、今回の乗客たちの中には、いいお客はいそうにない。


「おい。少し聞きたいことがある」


あきらめて、ベンチへ座ろうとしたとき、後ろから若い男の声がした。甘ったるい香水の香りが、振り返って男の方を見ると濃くなる。


黒革のコートを着て、黒いブーツが駅舎の床に当たるたびに、固い音を響かせる。目深にかぶった黒革のトップハットは、艶やかなコートとは違い、使い古してくたびれているのか光沢がない。


「何か用ですか?」


 もしかすると、今日のお客になるかもしれないかという淡い期待とともに、男に返事をする。

 男は腰をかがめて、ルーシーに顔を近づける。香水の香りが一段と濃くなる。


「チェッカーボーン修道院へ行きたいのだが、乗合馬車はいつごろ来るんだ?」


 貴族の青年も修道院へ行く乗合馬車を使った。

 今日は、修道院で何かあるのだろうか?

 そんな疑問がよぎるが、男に訊く勇気はなかった。


 波打つ灰色の髪が、風でなびいて、時折ルーシーの頬にかかる。それは、こそばゆいと同時に不快さをもたらす。


「修道院行きの馬車は、日曜以外は数が少ないの。もうすぐ、来ると思うのだけれど」


 駅舎の時計を見ながら言う。


「そうか。それは、どうも。ところで、こいつは何だ?」


 男はゆっくりと生暖かい吐息を漏らしながら、バスケットの中身を指さした。

 これは、焼き菓子を買ってくれるかもしれない。

 そう思い、ルーシーは売り子の笑顔で、バスケットから焼き菓子の包みを一つ取り出して言う。


「焼き菓子よ。お一つ、三ペリン。どうですか?」


 男は一瞬、呼吸を止めると、目深に被ったトップハットを軽く持ち上げる。男の黄色の瞳が見える。この辺りでは見かけない、色の白い肌はまるで病人のような白さだ。


「そうだね。一つ、もらおうかな。情報賃だ」


 男はコートのポケットから十ペリン硬貨を取り出すと、ルーシーの目の前に差し出した。


「ごめんなさい。お釣りがないの」

「いいんだよ。そんなの」


 男の吐息が顔にかかる。甘ったるい香水の香りが鼻を覆う。

 乗合馬車の馬の嘶きと、車輪が止まる音が聞こえた。


「お駄賃だ」


 男はそう言って、ルーシーのドレスの胸元に硬貨を置いた。

 ひんやりとした硬貨は、ルーシーのドレスの胸元へ滑っていった。

 男はコートを翻して、乗合馬車の方へ向かった。


 言葉にできないほどの気持ち悪さと、恐怖で、バスケットを落としてしまった。落としたバスケットと、中からこぼれた焼き菓子が駅舎に散らばった。


「大丈夫か!」


 乗客が去った改札口から、駅員がかけてきた。


「うん。でも、お菓子が……」


 散らばった焼き菓子の包みを拾ってバスケットに入れていると、馬に鞭打つ音と、乗合馬車の車輪が土埃を上げる姿が目に入った。


「気を付けるんだよ。つい先日、チェッカーボーン修道院の司祭が殺されたばかりなんだ。こんな田舎でも、殺人事件が起きるような世の中になった。危なそうな奴には近づかないことだ」

「うん。わかった」


 駅員の忠告を聞き流しながら、ルーシーは、仲間の少女たちが言っていたことを思い出した。


 新聞ではチェッカーボーンの殺人は、王都の殺人鬼がやったのではないか、という論調で書かれていた。


 そのことを思い出したルーシーは、甘ったるい香水の残り香のする駅舎から出て、ベンチに座ると、呆然と目の前の草むらを見つめた。


 胸元に落ちた硬貨が、だんだんと温まっていくのを感じた。

  


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