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ハイゼン王国記 ~禁書を携える者たち~  作者: 烏丸 九郎
第四章 レイヴンの過ち
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第四章 レイヴンの過ち ㈠

 エルドラ女王治世下における、義務教育制度の確立は、ハイゼン王国民が充実した情報と娯楽を享受する要因となった。識字率の向上は、新聞というメディアを爆発的に成長させ、小説という形の娯楽は国民生活の一部に溶け込んだ。


 だが、無垢な国民は活字が与えてくれるものが、すべて正しいのだと信じて疑わなかった。その純粋な心を利用した陰の権力者は、今日も闇の中で情報という名のパズルを整えている。


 *


 ガス灯に照らされた王都の夜は、見た目に反して暗部が多い。東の貧民街は路地のいたるところで犯罪が起き、中央駅の喧騒から一区画でも歩けば、喧騒から外れた静けさが明りからこぼれた影と混ざり合い、不気味な暗闇を作り出す。


 黒革のコートを着込んだデルカモンド・ダンシュリーは、王都の高級住宅街の通りを歩いていた。ガス灯が照らし出す明りを避け、壁際の闇に沿って歩く。コツコツと、石畳の通りにこだまする靴音だけが彼の存在を示す。


 周りの邸宅よりもひときわ大きな囲いの脇道に入ると、デルは慣れた手つきで裏口の錠を開けて中に入る。使用人も寝静まり、屋敷の明りも落とされている。使用人の通用口の錠も静かに開けると、キッチンへ向かった。机に置かれた明日の食材の中から、闇に慣れた目で林檎を見つけると、ナイフで突き刺して口元に運ぶ。咀嚼音がキッチンに響くが、誰も起きる様子はない。


 デルは屋敷の中を迷うことなく目的の部屋まで歩いて行った。階段に敷かれた絨毯に足が沈み込む感覚、廊下を何回曲がればいいのか。そのすべてが頭の中に刻み込まれて、体に染み込んでいる。


 目的の部屋の前に立つと、中からこもった声が聞こえる。聞きなれた主の声と、他に二人分の声がする。出直すべきか迷うこともなく、デルはノックする。


「入れ」


 威厳に満ちた高圧的な声がした。


 ドアを開けて部屋に入ると、暖炉の赤々とした光に照らされる三人の姿があった。椅子に座りこちらに背を向けている主の姿と、その両脇に彫像のようにそろう初見の男たちの姿がある。


「そこに座れ。デル」


 木製の簡易な椅子が一脚置いてあり、デルはそこに座った。


「モールデン伯爵。この者は何者ですかな?」


 主の左側のソファに座る男が言った。ひょろりとした痩せた男で、白髪と口髭以外は特徴がない。


「ポレス伯爵。こいつは私のかわいい飼い犬だ。なんでも、仕事をこなしてくれる忠犬だよ」

「ほう。それはそれは」


 ポレス伯爵は、モールデン伯爵のその一言で、顔をこわばらせる。


「これは、ぜひとも紹介願いたいですな」


 ポレス伯爵に対面するように座る男が言った。黒髪で口髭を生やし、モノクルを掛けた男は片手で杖を握っている。


「ヨーゼン男爵。あなたが、どんなに欲しがっても、これは贈れませんな」

「そんな、滅相もない。私は、伯爵に従うしか能のない男です。伯爵のものを欲しがるなどと、はしたない行いができましょうか」


 焦ったように早口で弁明する。


「まぁ、いいでしょう。今度、東方から仕入れた花瓶などを見られてはいかかでしょうかな。男爵の目利きは目を見張るものがあるので、期待していますよ」

「それは、恐れ多い」


 杖を握り、ヨーゼン男爵は頭を下げる。その姿は、物語に登場する悪役の宰相を思い起こさせる。


「ところで、チェッカーボーンはどうだった? デル」


 モールデン伯爵の一言で、二人の視線はデルに向けられる。貴族二人の視線を向けられても、デルにとっては恐れることはない。これよりも怖い眼を向けられたことがあるからだ。


「ああ。司祭の方は始末した。肝心なのはシスターの方だ」


 カナレン司祭は、結局のところ役には立たない男だった。必要とする情報を持つそぶりを示し、金だけせしめていた。あの夜、モールデン伯爵からカナレン司祭の使い道を探るように言付かったデルは、そう答えを出し殺害したのだ。


「シスターか。厄介なことだな。金では動かないだろ」

「ああ。金じゃあ動かない尼さんさ。どうするよ?」


 デルの言葉に、モールデン伯爵たちは沈黙する。この中で、デルに命令できるのはモールデン伯爵だけだ。だが、場合によってはヨーゼン男爵という男は何かを閃くのかもしれない。じっくりと二人を観察し、デルの中ではこの二人の男の存在価値を品定めした。


「少し、考えさせてくれ」


 その一言に、ポレス伯爵は肩を動かして慌てた。


「伯爵。そんな悠長なことを言っている場合ではない。ヘイグスウッドたちは、目下のところ仲間を集め始めている。どれもこれもが有力な貴族たちだ。我々は、数では勝るが力はない。あなただけが頼りなのだぞ」


 一気にまくしたてるポレス伯爵の顔には悲壮感がにじみ出ている。


「慌てなさるな。ポレス伯爵。モールデン伯爵にも考えはあるはずだ。今、我々が考えるべきことは、王太子殿下の素晴らしい姿を世間に知らしめること。あの、建国由来の貴族たちを集めた記事は見ものでしたぞ。どの通りを見ても、民衆はユーリウス殿下を褒めておりましたとも」


「それはそうだろう。民衆というのは物語に熱くなるもの。愛し合う二人に立ちふさがる巨大な権力。王太子は優しく、旧来の家臣の窮乏を慰める。素晴らしい構図だ。この線引きで我が社の新聞は飛ぶように売れた」


 王太子の引き裂かれそうな悲哀の記事は、ここのところ王都の新聞各社が取り扱う記事の一面を占めている。デルも普段、新聞など読みそうにない娼婦たちが王太子の悲哀について話していたのを聞いたときには、思わず笑っていた。


「伯爵の策は妙計ですな」

「ヨーゼン男爵の助言あってこそだぞ。議会を動かすには大衆を動かせばよいと、男爵は言った。私は男爵の言葉に少し足しただけだ」


 満足そうに笑い声をあげるモールデン伯爵。ヨーゼン男爵は、口元を釣り上げて頷き、ポレス伯爵は引きつったように笑う。


「そこで、もう一つお言葉をよろしいでしょうか?」

「なんだ?」

「王太子殿下と新興のラシュケント共和国との会談をさせてみてはどうでしょうか? 誰もが着手していない件ですので、世間の目を集めるかと。殿下の外交術も披露できて、ますます廃嫡派の勢いをそぐことができます」


 ヨーゼン男爵の提案に、モールデン伯爵は渋い返事をする。


「ラシュケント一帯の地域は複雑な問題だ。早計に関与しては情勢次第では悪手になる」

「これは、失礼を」

「いや、いい。殿下と外国との交流の記事はいい案だ。レイニーの議員にうまく手引するように伝えよう」


 モールデン伯爵の言葉に、ヨーゼン男爵は頷く。


「だが、しかし、モールデン伯爵。議会の方はどうするのだ? このままでは膠着状態だ。グラウンベリー大主教は、王太子の件に触れないという条件で登院したまでのこと。このままでは、また膠着状態だ」


 存在感の消えかかっていたポレス伯爵は声を上げる。


「そう焦るな。何のために、今日、あいつが来ていると思っているのだ?」


 ポレス伯爵とヨーゼン男爵の視線が、再びデルに向けられる。


「現状を打破するには、大衆の声だけでは動かせん。もっと強い力が必要だ。そのために、禁書を求めているのだろう」

「だが、あれは存在が疑わしいものだ」

「なにを言うか。ポレス伯爵」


 ヨーゼン男爵の小さな怒声が部屋に響いた。


「聖都から禁書管理官が派遣された。代替わりした教皇は、本気で禁書を探しているのだぞ。すでに、各国にも禁書管理官が派遣されている。それこそが、禁書が実在している証拠ではないか。我々の第一目標は、いち早く、禁書を手に入れることではないか」


「だが、そんなことは……」


 ヨーゼン男爵の迫力に負けた、ポレス伯爵が口ごもると、モールデン伯爵が立ち上がりデルに視線を落とす。


 暖炉の明りを背にしたモールデン伯爵の顔は暗くて見えないが、長年の付き合いで伯爵が冷徹に命を下す時の、人を静かに品定めする冷たい視線を思い出した。


「デル。シスターを手に入れろ。方法は問わん」


 伯爵の低く冷たい響きの命令に、デルは頭を下げると、黒革のコートを翻して部屋を出た。


 使用人たちの寝静まる屋敷の廊下を、笑い声を上げるのを抑えて走り抜けていった。



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