第三章 王都の殺人鬼 ㈡
王都の東側、王位学院よりも東に一本の川がある。この川より東側は、前女王時代の建物が多く残っている。だが、それは歴史的に保存されているというよりも、建て替えるほどの価値がないためにそのままにされている。
川に沿うように大通りが一本ある。馬車が通る唯一の道だ。その脇から逸れて、迷路のような路地を進んだ先に安宿が乱立している場所があり、そこがこの街の主要産業の一つが盛んな場所だ。
*
今日の大通りは騒がしく、路地の中のこの部屋にまでも喧騒が聞こえてくる。
「今日は騒がしいな」
ガラス窓は旧式のもので表面がぼこぼこしている。建付けが悪く、外の湿った風が部屋に入り込んでくる。
「貴族院の議会が開かれたからよ。今晩は、議員様方が大入りだから忙しいのよ」
ガラス窓に映るベッドには、シーツを体に巻き付けて酒を煽る、娼婦の姿が見えた。
赤茶色の髪の女は、シーツを下すと、全裸のままで後ろに立ち、手慣れた仕草で体に抱き着いてきた。
「あんたはいい男だよ」
窓に映る自分の体には、左の鎖骨のあたりに黒薔薇の刺青が彫ってある。そこから蔓のように赤い古傷が体に巻き付くように伸びている。女は、その古傷を細い人差し指で撫でていく。
「名前を聞いてもいいかい?」
「デルカモンド。俺のことは、みんなデルと呼んでいる」
「デル」
耳元で女の色っぽいささやきが聞こえた。
デルカモンドは、傷を触る女の腕をつかんだ。細い骨ばった腕で、蝋燭の明りでもわかるほど血色が悪く、青筋が目立つ。
「何? また、やろうっていうの?」
女の声が頭の中で響く。
「あんたなら、もう一回でもただでいいよ。いい男だもの」
ガラスに映る不鮮明な自分の姿を見る。肩まで届く、波打った灰色の髪。黄色の眼。透き通るような白い肌。一目見た者は、その美しさに魅了される。
デルが、自分の容姿に価値があることに気づいたのは、幼少期のことだった。孤児の集団の中で自分だけに、周りの大人たちが優しく接してくる姿を見たときに見た目の重要さを知った。
「そうだな。もう一回しようぜ。ただし、もっと楽しいところで」
「ああ、いいよ」
女が服を着だした。デルも、シャツを着て、黒革のコートを羽織る。
着古した臙脂色のドレスを着た女が、デルの腕に自分の腕を絡ましてきた。
「外でやるのね。いいわよ」
カウンターに、宿代よりも多くの金を置くと、すっと手が出てきて金をつかんでいった。部屋が空いたことを、しわがれた声が知らせると、待っていた男女の一組が階段を上がっていった。
人一人が通れるぐらいのドアを開けて外へ出ると、雨上がりの湿った空気が体にまとわりついてきた。
安宿が立ち並ぶ、小さな通りを歩いていると、遠くから馬蹄の響きが聞こえてきた。
「こっちへ行こうか」
デルは、宿の隙間に伸びる路地に女を引いていくと、女はおぼつかない足取りで笑い声をあげながらついてきた。
「あんた。いい趣味してるよ」
建物の隙間の少し広い空間には、樽や木箱が乱雑に積み込んである。
女を木箱に座らせると、デルは女の顎に手を添える。
「さあ、口を開けてごらん」
デルは安宿から漏れる明りで照らされた、女の色白い顔を見ながら言った。酩酊したように頭をふらふらとさせた女は、口を開けた。むき出しになった黄色く汚れた歯に、デルは硬貨を当てた。
「噛んでごらん」
女は素直に硬貨を噛んだ。
「今から楽しいことをするから、終わるまでこれを噛んだままだったら、もう二枚あげるよ」
女が硬貨を噛みしめる力を強めたのがわかった。
「じゃあ、始めようか」
デルが女の頬を指の背で撫でる。
「楽しみはこれからだ!」
女の耳元で小さく叫ぶと、デルは女の腹にナイフを突き刺した。抜いて、刺してを繰り返すと、女の体がガタガタと震えだし、開いた口から女のうめき声が聞こえた。頭を抱え込むように手を伸ばすと、女が咳き込みだした。どうやら硬貨が喉に詰まったようだ。
「苦しいだろう? 今、楽にしてやるからな」
デルは苦悶の表情の女の顔に口づけをすると、首にナイフを押し当てて、真横に一気に引いた。生暖かい鮮血が手にかかる。
女の体を支えている力を抜くと、肉塊となった体が木箱から崩れ落ちた。
*
デルは革のコートに着いた血を女のドレスで拭いた。黒革のコートに着いた血はどんなに拭いても取れない。染み込んだ血は、このコートを赤く染めるどころか、時間が経つごとに黒く染まっていく。
女の死体から流れ出る血が、路地の石畳の隙間に流れ込んで黒く染め上げていく。
路地から出てくると、男女が連れ立って歩く姿が目に付いた。だが、その二人の目はデルをとらえない。闇の中に溶け込むように、黒革のコートに身を包んだ男の姿に気づく者はいない。
安宿から漏れ出る明りの元、デルは石畳の床の上でステップを踏んだ。
タン! タッタッ! タッタン!
足をそろえて立ち、灰色の髪を耳にかき上げて、首を捻る。何度やっても、自分のステップはリズムが揃わない。
再び歩き始めて、路地から出ると川沿いの通りに出た。ここまでくると、等間隔に立ちガス灯の明りが足元を照らす。
川向うよりは質は落ちるが、飲み屋もあり、一見すると普通の街並みが広がるが、ここに来る人間は限られる。労働者か、日暮らしの浮浪者、ならず者に、素行の悪い下っ端の貴族たち。どれもこれもが、社会からあふれた者たちだった。
デルはガス灯の明りを避けるように、通りの端を歩いていると、馬車の走る音が近づいてきた。
歩みを早めると、馬車の速度は上がり、緩めると遅くなる。不審に思って馬車を見上げると、見知った顔が見えて立ち止まる。
夜中にこの通りを走る馬車が止まることはない。馬車を止めることは、死に近づく危険な行為だと知っているからだ。
「デルカモンド・ダンシュリー」
人に命令することになれた威圧的な声が響く。
「私の与えた名は気にいっているか? デル?」
少し開かれた馬車の隙間から聞こえる声は、デルに答えを求めない。
鈍い音とともに、デルの足元に布袋が投げつけられた。
「これを持って、チェッカーボーンへ行ってこい」
デルは袋を拾う。硬貨のぶつかる音と、札束の紙がこすれ合う音がした。
「邪魔だと思ったら、始末してこい」
扉は音を立てて締まり、デルの返事を求めなかった。
デルが袋を手に持ち歩き始めると、馬車はこの場から逃げるように速度を速めて走っていった。
川の向こう、王都の西側に目を向けると漏れ出る街灯の明りが曇った夜空を照らし出していた。




