↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ハイゼン王国記 ~禁書を携える者たち~  作者: 烏丸 九郎
第二章 チェッカーボーン修道院
16/32

第二章 チェッカーボーン修道院 ㈧

 いつからこの暗闇にいるかはわからない。この中では、時間は無限に続き、空間の闇はどこまでも続いている。


 主亡き後、この中に再び入ることになった。それは、連綿と続く宿命なので好きも嫌いもない。ただ、無意味な時間が過ぎるように思う。時間という概念すらこの中にいれば、意味のない考え方だ。


 主を亡くしたときはいつも思うことがある。人に仕え、突き放されるのを繰り返すことに意味はあるのかということだ。自分という存在が、この世界にとって邪悪なものであることは、ここまでの時間で分かったことだ。ある者は恐れの目で見つめ、違うものは喜色を浮かべて命ずる。


 命令に背いたことはなく、背くという考えもない。自己の考えを抱くことを教えてくれたのは、最近の主だった。人として生きていくための礼儀作法、人であればどのように行動するのか。その主に最後に教えてもらったのは主を失うという悲しみという名の感情だった。


 闇に薄く光が差してきた。これは契約者が現れたことを意味する。新しい主はどのような人間なのか。それだけが、頭によぎる。


「あ、痛い! ちくしょう。指切っちゃったよ」


 間延びした声。今までの主とは違い、高圧的な雰囲気はない。


「しまった! ノートに血がこぼれた!」


 その声とともに、体中に熱が駆け巡るのを感じた。久しぶりの感覚だ。それも、前よりも体の中を早く駆け巡っているような気がする。この熱を、体は飢えていたのだ。


「拭かなきゃって……、あれ? 血が吸い込まれている」


 足りない。これだけでは、体の飢えは満たせない。

 頭の中で人の言葉を念じる。それだけで、文字となって新たな契約者へと伝わるのだ。


「ほう。カナン文字が浮き出てきたね。実に興味深い」


 声の主は、その文字がわかるようだった。前回の契約では、この文字を理解してもらうまでに時間がかかったように思う。


「僕の名前は、モーリス・レイモンド。カナン文字で書くのは初めてだけれど、合ってるはずだ」


 体に熱がみなぎり、四肢に力がみなぎってきた。指を動かすことができる。両手を組めば、やわらかい肉の感触が伝わる。そして、体の温かみを感じる。


「おいおい、何か煙が出てきたぞ!」


 視界が白い靄に包まれた。いつもになく濃い白は、だんだんと薄まり消えていった。 

 目を開けてみる、長い暗闇のせいで、淡い光なのに日光のように鋭く眼を焼いてくる。痛みをこらえて、ぼんやりとかすむ新しい主の姿をみた。

 赤い髪の主。今まで出会った中で、もっとも感情を読み取れないまなざしを向けられる。驚きでも、畏怖の感情でもない、新鮮な感情だ。

 再びこの世界に足をついた。


「人? なのかな?」


 新しい主の眼にある感情は、かつて感じたことのあるものだと思いだした。前の契約者の娘と初めて会った時の、興味が惹かれるという感情だ。


「我が主よ。我が主の命尽きるときまで、終生違わぬ忠誠をここに」


 ひざを折り、胸に手を当て、幾度も行ってきた人間らしい動作で、主に跪いた。


「うん。よろしく」


 顔をあげると、目の前の主はきょとんとした顔をしていた。手に持つ不格好に皮をむかれた林檎と、反対の手の人差し指は血で赤く染まっていた。


「我が主。早速ですが命じていただけますか?」


 何人もの契約者は、跪いたときに、命令を下す。ここまで無心な契約者は初めてのことだ。


「そうだね。どうしようか」


 林檎を置き、近くにあった布で指の血を拭う主の姿。それを、横目に周囲を見渡すと、淡い光の中で本や服が散乱しているのが目に見えた。戦場のような風景だが、主の様子をから考えると、ここは争いとは無縁の場所なのだろう。


「我が主。差し出がましいのですが、この場を綺麗にする許可をいただいてもよろしいでしょうか?」


 思わずついて出た言葉は、前の契約者の元で過ごした日々に染みついた行動ゆえのことだ。


「いいよ。ぜひ頼むよ。ところで、何と呼べばいいのかな?」

「ベルガー。そうお呼び下さい」

「ほぉう。じゃあ、ベルガー君。よろしく頼むよ」


 ベルガーは頷くと、立ち上がり、新しい主のための最初の使命に着手した。


 *


 リリアは修道院の、自室で横になっていた。今夜は雨が降っているため、月夜の明りもなく、小さな窓から差し込むのは外の闇しかない。目を開けていると、暗闇になれた眼が部屋の片隅の小さな書き物机と椅子を映し出す。


 今日出会った二人は、禁書のことを知っているようなそぶりだった。最初に尋ねて来た時から禁書管理局の管理官だということは知っていたようだった。禁書についての知識があることは予想ができた。


 さらに、赤毛の学者の知識量はリリアと同じくらいありそうな気がした。あの様子では、カナレン司祭があのまま話を続けたら、押し負けて余計なことを口にするかもしれなかった。負け惜しみの強い司祭でなければ、あのように話を折ることはなかっただろう。


「モーリス・レイモンド」


 修道着に入ったメモには数字が書かれていた。電話番号なのはわかるが、修道院の電話は院長の部屋にしかない。誰にも気づかれず、彼らに連絡を取ることは難しい。


 でも、もう一度話してみたい。


 リリアが禁書管理官を拝命してからの知識は、教会では不要の知識だった。そんな知識を得るくらいなら、聖典の一節を暗唱できるようになった方が有意義だとさえ思ったことがある。だが、あの人なら、この無駄な知識を共有できるかもしれない。


 胸元に手を添えるとペンダントの固い感触があった。


 不安や寂しさを覚えると、この硬さが恋しくて何度も手を重ねてしまう。今日もそうだった。夜がこんなにも寂しいものだとは気づかなかった。


 何もない天井を見上げると、蝋燭の明りのようなぼんやりとしたいびつな丸が見えた。


「何? これ?」


 思わず静寂を破る声を出してしまい、口を手で覆うと、光は大きくなった。

 胸元をみると、服が透けて青く光っていた。ペンダントが光っているのだ。


 ペンダントを取り出してみると、取り付けられた小さな水滴のような形をした水晶が、海のように青く輝いていた。


 この光は何だろうか。そんな疑問は一瞬のうちに解けた。


 禁書の力がよみがえったのだ。誰かが、禁書の力を使ったか、契約をしたのだ。


 かつては禁書管理官が持っていたという水晶のペンダントは、今ではリリアの持つ一つしか残っていない。長い年月を経るうちに、道具としての価値を失った水晶は、装飾品に加工されたり、悪意あるものに粉々に砕かれたりして失われたという。


 最後の持ち主だった、禁書管理官の老修道士の言葉を思い出した。彼は病床に就くと、天に召される前に、このペンダントをリリアに託した。そして、由来や道具としての価値を初めて教えてくれたのだ。


「このペンダントが光ったということは、禁書があるということ」


 つぶやいた言葉は、響くことなく、自分の耳に返ってくる。


 カナレン司祭に相談すべきだろうかと、頭をよぎった。だが、彼ならば、このペンダントを持っていたことを秘密にしていたことに対して怒ることだろう。そして、召し上げてしまうかもしれない。それだけは、断じて許してはいけない。


「これは、私が預かったものだもの」


 シスターは水晶を握りしめ、その青い光を手の中に収めた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。