第二章 チェッカーボーン修道院 ㈤
カナレン司祭が青年たちに対面して座ると、リリアはドアを静かに閉めて、司祭の後ろにある簡素な椅子に座った。
「遠路はるばる王都から、お越しとか。それで、ご用向きは何でしたかな。生憎と、私は聖都からの来た者ですので、ここらの事情には詳しくないのですが」
話を切り出した司祭は、作り笑いの笑みを浮かべているだろう、いつもの不機嫌さを隠した砕けた口調だ。
「はい。存じ上げております。私はレイヴン・クロード。王都で出版社に勤めております。こちらは王立学院のモーリス・レイモンド教授です。実は私たちは、今度出版する教授の本の下調べであることについて行き詰っておりまして、見識のある司祭様に助言をいただければと、ここまで参ったわけです」
金髪の青年はレイヴンと名乗り、隣の赤毛の青年をモーリスと紹介した。
「私でお力になれることでしたら、ご協力したいのですが、私どもは教皇庁からようやくと出てきた身ですので、世俗のことには疎く、力になれかどうか」
司祭は言葉を濁す。露骨に態度には出していないが、ここまでの付き合いで司祭がこの話を早く打ち切りたいと思っていることは明白だ。
「司祭は、教皇庁の奥深くにかつて存在した禁書についてはご存じではないですか? 禁書管理局というものがあるという噂も聞いているのですが、そちらについてもご存じないでしょうか?」
赤毛のモーリスが口を開いて出した言葉に、一同が沈黙した。隣に座るレイヴンがにやっと笑いながら、肘でつついているのが見えた。
「禁書というのは、人間創造の折に、神が封印したとされる、原初の悪。すなわち人の心と体に悪しき行いをする力を禁書のことですかな? それと、禁書を管理するものがいると?」
「そうですとも。それについての司祭様の見解をぜひ聞きたいと思いまして」
「そうですな。それについては信仰にかかわることですので何ともお返事できかねます。世の中には、神の力を恐れぬ方々も多くございます。特に、王国などでは真の信仰から離れている者も多くいると聞きます。面白半分で、話題にするようなことではございません。そのようなことを本にしたいなど、神がお許しになるかどうか」
肘掛に乗せている司祭の人差し指が小刻みに動いていた。心のうちのいらだちを隠すことがなく、目の前の人物への敬意も薄れたのだろう。
「そうですか。残念です」
モーリスが沈んだ声で言った。
「では、これでどうでしょうか。私共の、気持ち程度で申し訳ないのですが」
隣のレイヴンが上着の内側に手を差し伸べると、三人の間の机の上へ高額紙幣が置かれた。
「これは、賄賂ですかな?」
司祭のねっとりとした声での問いに、レイヴンはかぶりを振る。
「いえ、教会の活動にお役に立てればという気持ちの寄付として、お受け取りください。活動に必要でしたら、もうわずかばかりのお気持ちも示せると思いますよ」
司祭が後ろを振り返り、リリアに目配せをしてきた。リリアはその無言の命令を受けて、机の上の紙幣を手に持ち、元の位置に戻った。
「禁書についてですか。あれは、信仰の形ではないので信徒にも、ましては私ですら見たことがありません。聖典の中に存在する神秘の存在ですよ」
「ええ。経典には、教会の深くに沈め、人々へ干渉とならぬように、神の力で封印したと書かれています。ですが、かつて聖都が東方の騎馬民族の襲撃を受けたときに奪われ、それ以降は見つかっていないという記述を見たことがありますが、それについてはどうでしょうか」
教授の鋭い追跡に、司祭は焦っているようだ。
騎馬民族の襲撃による話は、管理局ができる前の話だ。その後、騎馬民族から聖都を奪還した教会が散り散りになった禁書を取り戻そうと、管理局をつくり、世界各地へ人を派遣して禁書を求めた。
「そのようですな。ですが、禁書については門外不出の話ですので、巷で言われる話をうのみにされては困りますよ」
司祭は話をはぐらかした。彼が禁書管理局に来たのは数年前のことだ、まともに禁書の話をするには彼には知識不足な点が多い。
「司祭は禁書管理局の方ではないのですか?」
二人のやり取りを聞いていたレイヴンが、驚きの声を上げる。
「クロードさん。私は、聖都よりこの度、教皇猊下より各地への宣教の旅に出るように申し渡された身ですよ。禁書管理局というのは、巷の面白がる連中が言っている戯言にすぎませんよ」
司祭は窓の外をおもむろに見つめて、まだ何か言い足りなそうな様子のレイヴンに向けて言った。
「この空の様子では、天気が崩れるかもしれません。王都にお帰りになるなら早く出た方がいいでしょう。ここの列車はよく止まりますからね。ああ、チェッカーボーンの町に泊まるなら、私がご紹介いたしましょうか?」
小さなガラス窓の向こうは、いつものチェッカーボーンの曇り空だ。だが、時折流れる黒い雲で、司祭の言葉が妙に信頼できる。
二人は顔を見合わせると、立ち上がった。
「今日は、もう帰ります。また、何か思い出したことがあれば、こちらにご連絡いただいてもいいですか?」
レイブンがメモと、その下に紙幣を重ねた手を出すと、司祭がまた目配せをしてきた。リリアは、レイヴンから二つの紙を受け取ると、立ち上がりかけた司祭の後ろに下がった。
「お力になれず、申し訳ない。シスター、お見送りを」
リリアは頷き、ドアを開けると廊下側に立つ。
「いえ、急に来てしまい、こちらこそ申し訳ありませんでした。今後のご予定は? いつまでこちらに滞在されるのですか?」
「神の御心のままに、と申し上げておきましょうか」
そんな司祭とレイヴンのやり取りが聞こえてきて、教授と出版社の青年の二人が廊下に出てくると、シスターは頭を下げた。
「そういえば、あなたも聖都から、こちらに?」
頭を上げると、赤毛を搔きながら訪ねる教授の姿があった。
「ええ。リリアと申します」
「シスター・リリア。お名前は、かつての奪還した聖都の荒れ果てた人々の心を癒したとされる、聖女リリアーヌからの由来ですか?」
「はい。そうです。よくご存じですね」
リリアの言葉に、教授は照れくさそうに頭を下げる。
「歴史学者なもので、つい。失礼をいたしました」
「では、失礼」
二人の青年は、軽い挨拶とともに修道院を去っていった。
司祭の待つ部屋に戻ったリリアは、受け取った寄付金を出すように言われ司祭に差し出した。
「こちらの連絡先は、いりませんか」
寄付金の紙幣をポケットに突っ込む姿を見ながらリリアがというと、司祭はそっけなく言った。
「捨てておけ。二度と会うものか!」
不機嫌さを取り戻りもどした司祭は、ドアを乱暴に閉めると、大きな足音を立てて廊下を歩いて行った。
リリアはメモに書かれた連絡先を一瞥すると、修道着にそっとしまった。




