第二章 チェッカーボーン修道院 ㈡
一等車の個室に入ると、モーリスは買ってきた新聞を読み始めた。
両手いっぱい伸ばして広げた新聞は、王都では有名な新聞社のものだった。レイヴンは、朝食の席で数部の新聞を読むため、一つ一つの記事を記憶してはいないが、この新聞はユーリウス王太子が、建国時からの騎士由来の貴族を集めて、今までの労をねぎらったという記事が載っていたと記憶している。
汽笛の音が聞こえ、車軸の回る振動と線路を進む揺れが重なり合いながら、列車は動き出した。
レイヴンはベルンデン中央駅のホームから移り行く景色を見ながら、モーリスの買った菓子の袋を片手にし、無意識に伸びる手が菓子をつまみ、口の中の甘さが消え切らないのを楽しんでいた。
「ねえ、そのお菓子、取っといてよ」
「わかってる」
最後の一つとして、二つを指先でつかむと、モーリスに菓子の袋を渡した。友人のインクで汚れた指先が菓子の袋に触れる。
「だいぶ食べたね」
「懐かしくってつい。もっと買ってくればよかったじゃないか」
「そんなこと言うなよ。これだって、十五ペリンするんだよ。僕のなけなしの財産をはたいて買ったんだ。そう言うなら、自分で買えばいいじゃないか」
「買い方を知らないんだ。学院の時は君にいつも頼んでいただろ。量り売りなんてどれだけ買えばいいのかがわからない」
「まあ、難しく考えることはないよ。その瓶ごとくださいっていえば、店の人は悪く思わないからさ」
「さすがにそれは……」
レイヴンが苦笑いをすると、モーリスはその顔を見てご機嫌な様子でジャケットの裾で手を拭いてお菓子をつまんだ。
「そんなに食べたいなら。マークじゃなくても、他の使用人に頼めばいいだろ?」
「それもそうだが、アリシアが嫁いだ時に、そんな菓子が好物だと知れたら恥ずかしいだろ」
王都と郊外を隔てる大きな川に差し掛かると、鉄橋の骨組みが目まぐるしく光を遮るたび、ガラス窓に映る自分の顔はぼんやりと赤くなっているように見えた。
「アリシア王女との結婚で秘密を持つなんて君らしくないね。あれだけの大恋愛の末の結婚なんだ。気になることは話し合わないと、後々苦しくなるよ。まあ、独り身の僕が言う資格はないけどさ」
友人の助言はありがたくもあり、そうしたいと願うものだ。
ジョアン国王の三人目の子である、アリシア王女とは王立学院で出会った。王族の出席した夜会でも顔を見たことはあったが、声をかけたのは学院が最初だった。
太陽のように明るく、人への接し方に隔たりの無い明るい子だというのが第一印象だった。それから、自然と目で追うようになり、学院を卒業し、一度領地へ帰るときに、交際を申し出た。王族と交際を申し出ようなどと、大胆なことをしたものだと、父親は笑ったが、周囲の目は何か裏があるのではないかという探りの目が多かった。
特に、婚約者として候補の噂があった貴族からは嫌がらせも受けたし、変な噂が社交界に流れた時期もあった。しかし、アリシアを想うレイヴンの気持ちは揺らぐことがなく、国王の許しを得て婚約までに至った。そして、ついに来年には結婚式を挙げる段取りまでついている。
「アリシアは許してくれると思うか? 嫌われるんじゃないだろうか?」
思わずつぶやいた言葉。それを聞いた友人はお菓子の粉がついた指を舐りながら言った。
「アリシア王女が干し肉をかじるのが好きだったら、君は幻滅するの?」
その質問に、レイヴンの頭の中で干し肉を必死にかじり、咀嚼している婚約者の滑稽な姿が浮かんだ。
「いや。嫌いになんてならないさ。なんか、親近感がわく」
「そうだろ。君たちはそんな仲なんだ。気にすることなく、いろいろと話し合うべきだよ」
モーリスは新聞を折りたたみ、座席に置くと再び口を開く。
「貴族の結婚ですら思惑があるのに、王族との結婚で裏がないのなんて珍しいことだよ。あのリリィですら、アルバートとの結婚が純真な愛ゆえのことだったとしても、ヘイグスウッド伯爵の権勢を強める布石にしか周囲は見ないんだから。気にすることはないさ」
リリィ王女と、ヘイグスウッド伯爵の長男アルバートの結婚は学院卒業より三年ほどたってからのことだった。結婚式に参列したときに、モーリスは場違いに拍手を大きくして結婚衣装を身にまとうリリィ王女を笑わせていた。
「僕は今回のユーリウスの件は何か裏があるんじゃないかって邪推してしまうんだ」
「例えば、ユーリウスが婚約者候補を袖にしてまで、エレノール・モリウェンとの結婚に走るには、それが彼にとって得策になりえると言うのかい?」
「どうだろうね。それはユーリウスではなくて第三者が有利になるということも含むかもしれないけれど」
「だが、ユーリウスは新聞のインタビューに、真実の愛を見つけた。国境を越え、民族の壁を乗り越えた恋は永遠に失われることはないとまで言ったんだぞ。そこに裏があるなんて、真実味がない話だ」
「恋は盲目というからね。同じように、恋して視界がはっきりしない君には想像もできないかもしれないけれど」
「そうであったらいいがな」
ユーリウスの接点は王立学院の時以来では、社交の場以外はない。彼とは親しいわけでもなければ、少し馬が合わないという点で、積極的に会いたい人物でもない。
アリシアと結婚すれば、将来は義理の兄になる人物だが、それでも親しくなるような話題を考えると頭が痛くなる。それに比べてリリィやアルバートなどとは些細な会話でも話の輪が広がり、楽しい茶会になることがある。
「レイヴン。僕は少し眠るから、モーリーパークに着いたら起こしてよ。残りのお菓子あげるから」
友人はくしゃくしゃに丸めたお菓子の紙袋を渡してくると、座席に深く座り込んで目をつむった。静かな寝息がすぐに聞こえてきた。今日の日のために、彼が学者としての仕事を切り詰めてやってきたというのは、朝であった時に大きなあくびと、目元のくまで割っていた。
「ああ、わかったよ」
友人の耳には聞こえぬ返事を返して、レイヴンは車窓を見つめた。王都の建物がひしめき合った風景はすでになく。無限に広がっていそうな草原と、まばらに立つ民家、ゆっくりと走る馬車が目についた。




