4話(噂)
あの日、ヴァロア侯爵家で勘当を言い渡されたギルバート様。
後日、父である侯爵様とともに我が家へ謝罪に訪れたことで、表向きの騒動はすべて終わりを告げました。
ですがそれからしばらくして、私の耳には信じがたい噂が届くようになりました。
「ギルバート様が、相変わらず夜会でディアナ様をエスコートなさっているそうですわ」
「ええ、まるで何事もなかったかのように堂々とした態度で……」
お茶会で令嬢たちの噂話を聞きながら、私は言いようのない切なさに胸を痛め、思わずカップを握りしめていました。
我が家との関係を台無しにし、実家を追われたはずの彼が、なぜ何事もなかったかのように社交界に顔を出しているのか。
その理由が判明したのは、まさにその日の午後のことでした。
「お嬢様、ヴァロア侯爵様がお見えになりました。旦那様と応接間でお会いになっています」
アンナからの報せを受け、お父様に呼ばれて応接間へ向かうと、そこにはすっかりやつれ切った様子のヴァロア侯爵様が頭を垂れて座っていました。
「……リリアン嬢、本当に申し訳ない」
私が入室するなり、侯爵様は絞り出すような声で謝罪の言葉を口にしました。
お父様は苦々しい表情で腕を組み、重苦しい沈黙が部屋を支配しています。
「ヴァロア侯爵様。ギルバート様の勘当は解かれたとお聞きしましたが……いったい何があったのですか?」
私が静かに問いかけると、侯爵様は悔しそうに顔を歪めました。
「あのバカ息子を屋敷から叩き出した直後のことだ……ローゼンベルク侯爵ご本人が、直接我が家へ乗り込んでこられたのだよ」
「侯爵様ご自身が……?」
「ああ。『愛娘のディアナに乞われてね。若気の至りを理由に二人の仲を引き裂くのはあまりに酷だ。勘当を解き、我が娘の婚約者として相応しい扱いをしてやってほしい』とな……」
侯爵自ら、娘に頼まれて説得にやってきた。
それはお願いという名の、断ることの許されない明白な圧力でした。
いくら爵位は同じであっても、成り上がりの新興であるヴァロア侯爵家と、社交界に絶大な影響力を持つ古くからの名門ローゼンベルク侯爵家では、あまりに格が違いすぎます。睨まれてしまえば、ヴァロア侯爵家などひとたまりもありません。
「名門の権力をいいことに、ギルバートはすっかり調子に乗ってしまってね……。『父上だってローゼンベルク家には逆らえないだろう』と高笑いし、我が家の顔に泥を塗りながら社交界を歩き回っている。……情けない話だ」
力なく肩を落とす侯爵様の姿に、私は胸の奥で激しい怒りと、確かな確信を深めました。
(なるほど……名門侯爵家の権力を笠に着て自分は何でも許される特別な存在だと勘違いなさっているのですね)
これまで彼を信じ、将来を共にするはずだった人の呆れ返るほどの愚かさに、激しい怒りと憤りが込み上げてきました。
私との婚約を簡単に解消し、我が家を踏みにじったことへの罪悪感など、彼は最初から微塵も感じていなかったのです。
反省したフリをしてこの応接室で頭を下げて見せたのも、ただその場をやり過ごすための演技に過ぎなかったのです。
私との思い出も、共に過ごしてきた時間も、彼にとっては簡単に手放せるものだったのでしょう。
「あの馬鹿が……身勝手な理由でリリアン嬢を傷つけ、本当に申し訳ない。だが、我が家の力では、もうあの愚息を止められないのだ」
絞り出すようなヴァロア侯爵様の言葉に、拳を固く握りしめました。
自分の保身と欲望のために人を裏切り、傷つけ、実の父親にまで頭を下げさせながら平然としているあの男が許せない。
そして、その愚行を権力で押し通すローゼンベルク侯爵家も。
胸の中にあった悲しみは、いつしか静かな怒りへと変わっていきました。
(今の今まで、その人の本質が見抜けなかったなんて……私ったら、本当に情けないわね)
「お父様、私はもう大人しいだけの令嬢はやめました」
父は私の瞳をじっと見つめました。
「それでいい」
「これからは、目の前で起きることからもう目を背けたりはしません。ただ傷ついて悲しむだけの日々は今日で終わりにします」
これからは逃げずに、堂々と前を向いて生きていく。自分の人生は、自らの意思で切り拓いていきます。
私はまっすぐ前を見据え、もう一度拳を強く握りしめました。




