3話(侯爵家へ)
翌朝、雨はすっかり上がり、眩しいほどの光が降り注いでいました。
食欲は、もちろんありません。それでも心配をかけたくなかったので、無理をしてなんとか朝食を終えました。
席を立つと、お父様はすでに外出の支度を終えて執務室から出てくるところでした。
その表情はとても厳しいものでした。
「リリアン。私はこれからヴァロア侯爵家へ向かう。ギルバート殿の身勝手な振る舞いについて、当主である侯爵本人から説明を求めてくるつもりだ」
「お父様……よろしくお願いいたします」
「ああ、任せておきなさい。お前は今日一日、屋敷でゆっくり休むのだよ」
お父様は私の肩にそっと手を置き、安心させるように微笑んでから馬車へと乗り込んでいきました。
送り出した後も、私の心は少しも晴れません。
(ヴァロア侯爵様は、いったい何とおっしゃるかしら……)
ギルバート様のお父様であるヴァロア侯爵様は、昔から我が家とも親交が深く、厳格ですが話のわかるお方でした。
幼い私とギルバート様の婚約を誰よりも喜んでくださったのも侯爵様です。
だからこそ、ギルバート様が勝手にしたことか、それとも侯爵家ぐるみでローゼンベルク侯爵家への乗り換えを考えた上でのことか、そこが一番の気がかりでした。
「お嬢様、お茶をお淹れしました」
自室で時間を持て余していると、アンナが温かいお茶を運んできてくれました。
「ありがとう、アンナ」
「お嬢様……どうかあまりご自分を責めないでくださいね。悪いのはどう考えてもギルバート様ですわ。あんな身勝手な方、こちらから願い下げです!」
アンナの怒りを含んだ言葉に、思わずふっと笑みがこぼれました。
「そうね。ありがとう」
アンナとは、侍女といっても年も近く長い付き合いです。きっとお母様が昨夜のことを話したのでしょう。
お茶の湯気を眺めながら、私は静かに息を吐きます。
もし婚約が白紙になれば、伯爵家の婿養子を探し直さなければなりません。ですが、今の私にはそんな先のことを考える余裕はありませんでした。
それから数時間後。
昼過ぎになって、お父様を乗せた馬車が屋敷に戻ってきたという知らせが入りました。
私は胸の高鳴りを抑えながら、一階の応接室へと急ぎました。
扉を開けると、そこには疲れ切った様子でお茶を口にするお父様と、青ざめた顔のお母様の姿がありました。
「お父様……? ヴァロア侯爵様は何とおっしゃっていましたか?」
私が尋ねると、お父様はカップを置き、ゆっくりと私を見つめ返しました。その目には、朝とはまた違う、険しさを感じます。
「……ヴァロア侯爵は、何ひとつ知らされていなかったよ」
お父様は深いため息をつきながら、語り始めました。
「私が訪問し、事の顛末を伝えた途端、侯爵は顔を真っ赤にして激怒された。『そんなバカなこと絶対に許さん!』とな。どうやらギルバート殿が独断で暴走し、ローゼンベルク侯爵家のご令嬢と勝手に約束を交わしていたようだ」
「まあ……では、ギルバート様のお父様は……」
「ああ。侯爵は即座にギルバート殿を部屋に呼び出し、私の目の前で厳しく追究された。そして、我が家との長年の信頼を裏切り、優位な立場に乗り換えようとしたことを叱責し、そのまま即座に勘当を言い渡されたのだよ。彼は近々着の身着のままで侯爵家から追い出されるはずだ」
厳格なヴァロア侯爵様らしい、一切の妥協のない決断でした。
次男ゆえに我が家へ婿入りするはずだったギルバート様は、これで名誉も、侯爵家の後ろ盾も、すべてを失ったことになります。
「侯爵は息子の言い訳を一切許さず、私に深く頭を下げて、謝罪されたよ。『近いうちに本人を連れて、正式にアッシュフォード伯爵家へ謝罪に伺う』とおっしゃっていた。婚約解消の申し入れも、あちらから謝罪し、正式に受理された」
「そうなのですね……」
胸の中にあったモヤモヤとした重苦しさが、すうっと引いていくのを感じました。
私を裏切ったギルバート様が自業自得の報いを受けたことへの安堵と、幼い頃からの思い出が完全に断ち切られた切なさ。複雑な感情が交錯します。
「リリアン、これで良かったのだ」
お父様が私の肩に優しく手を置きました。
「あのような誠意のない男に我が家を任せなくて本当に良かった。お前を正当に評価し、大切にしてくれる者を、私が責任を持って一から探し直すからな」
「お父様……。ありがとうございます」
お母様も静かに頷き、私に温かい笑顔を向けてくれました。
ギルバート様との幼い頃からの約束は、思いもよらない形で終わりを告げました。
(どれほど長いお付き合いでも、終わる時はこんなにも呆気ないのですね)




