31話(真実)
馬車は予定通り国境を越え、順調に故郷へと向かっていた。
アーサーは事前にアッシュフォード伯爵家へ先触れを送り、「帰国後、その足で直接ご挨拶に伺いたい」と伝えていた。
もう、一切の迷いはない。
ただ一人、会いたい人のもとへ向かい、自分のこれまでの想いを伝えるだけだった。
やがて、アッシュフォード伯爵邸の門が見えてくる。
馬車が止まると、御者が素早く降りて扉を開けた。
外には出迎えの侍従が待機していて、恭しく頭を下げる。
「アーサー様。皆様方がお待ちです」
アーサーは静かに頷き、屋敷の中へと入っていった。
応接室の扉が開くと、そこにはアッシュフォード伯爵夫妻、そしてリリアンが待っていた。
久しぶりに顔を合わせたリリアンは、一瞬息を呑む。
「……アーサー様。おかえりなさい」
その声はとても嬉しそうだった。アーサーもまた、胸がいっぱいになるのを感じていた。
「ただいま戻りました」
互いに会いたかった想いが伝わる。
伯爵が穏やかに口を開く。
「まずは無事の帰国、何よりだ。話はゆっくり聞かせてもらおう」
「ありがとうございます」
四人は応接室へ腰を下ろした。
しばし静寂が流れる。
そしてアーサーは真っ直ぐ前を見据えた。
「まず、お伝えしなければならないことがあります」
リリアンは緊張で息を飲む。
「劇団へ関わっていた経緯です」
「経緯……?」
「本来の目的は、ディアナ嬢へ近づくためでした」
三人は一瞬、驚きながらもそのまま耳を傾ける。
アーサーは隣国で仕掛けたすべての出来事を、一つずつ話し始めた。
劇団を隣国に招き入れ、新たな後ろ盾を紹介したこと。
ディアナが劇団へ執着していたからこそ、そこを足掛かりに彼女の自尊心を徹底的に打ち砕くためだったこと。
「今回、そんな彼女には隣国との格の違いを嫌というほど思い知らせてやりました」
大国のすごさ。建物の大きさから道の広さ、インフラの格差に至るまで。そして何より同じ侯爵家としての決定的な差。
アルヴェール侯爵家という大国の名門侯爵家を彼女に見せつけたのです。
さらに、あちらの劇場で彼女に用意された端っこのボックス席。
「そして、とどめに、決定的な敗北感を味わった彼女に告げたのです」
アーサーはリリアンだけを見つめる。
「『過去も今も、そしてこれから先も私が愛しているのはリリアン嬢だけです』と」
リリアンの頬がわずかに染まる。
「その後、さらに、彼女が支援していた劇団からも、完全に必要とされなくなり、ディアナ嬢は一人孤独に帰国しました」
伯爵夫妻は黙ったまま聞いていた。
さらにアーサーは続ける。
「帰国後、ギルバートとディアナ嬢が社交界で二度と好き勝手に振る舞えないよう、兄上へ頼みました」
「頼んだ……?」
「二人の噂を広めてもらいました」
リリアンが目を丸くして呟いた。
「あの噂……アーサー様が仕掛けられたものだったのですね」
「はい。これでしばらくは、あの二人も大人しくしているでしょう」
「どうして……そこまで私なんかのために」
その問いに、アーサーは迷わなかった。
「ディアナ嬢に告げた言葉は、すべて本心です。幼い頃から、ずっとリリアン嬢、あなたが好きだったからです」
部屋の空気は止まり、リリアンは顔を赤く染めた。
伯爵夫妻は何も口を挟まない。ただ静かに二人を見守っていた。
「実は……」
アーサーはふっと懐かしそうに笑った。
「一つだけ、昔の話をさせてください」
幼い日の旅行で、家族と立ち寄った店。
そこで見つけた水色の髪飾り。
「私の瞳と同じ色でした。だからどうしてもリリアン嬢へ贈りたかった。だが子供の私には少し高価すぎた」
アーサーは遠くを見たあと優しい眼差しを向けた。
「父上へ頼んだら、『学院で首席を取るなら買ってやる』と言われました。だから私は、寝る間も惜しんで必死に勉強をしました」
ようやく首席を取った彼は、父から髪飾りを受け取り、すぐリリアンのもとへ向かった。
「ですが、そこにはギルバートがいました」
アーサーは当時を思い返す。
『なら僕が渡してあげるよ。これからリリアンの家族との夕食会があるから』
アーサーはギルバートの言葉を信じて託した。そして、早く確かめたくて翌日彼を尋ねた。
『ちゃんと渡してくれた?』
アーサーはそう尋ねた。
『ああ。リリアンは好みじゃないって言ってたぞ。でもせっかくだからって、受け取ってくれたよ』
ギルバートからそう聞かされた。
「……少しショックを受けました」
しばらくして婚約を知った。
仲睦まじい二人を見るのが苦しくなった。
「だから隣国への留学を父へ願い出たんです」
その瞬間、リリアンが勢いよく立ち上がる。
「アーサー様!」
「?」
「少しだけ、ここで待っていてください!」
慌てて部屋を飛び出していく。
三人は何が起きたのかわからず見送った。
しばらくしてリリアンは息を切らしながら戻ってきた。そしてその手には一つの髪飾りがあった。透き通るような水色だった。
「アーサー様」
震える声で差し出す。
「その時の髪飾りって……もしかしてこれですか?」
アーサーの目が見開かれる。
「ああ!」
思わず立ち上がった。
「間違いない。これだ!」
リリアンはそれを大切そうに胸に抱く。
「私、この髪飾りをギルバート様からの贈り物としていただきました」
静かに語り始める。
「ずっと貯めたお小遣いで買ったって。私、家族以外の人からの贈り物は初めてだったから、それがとても嬉しかった」
そして。
『他の人にはぜったい見せないで、僕の前だけでつけて』
そう言われた。
「そして……あの日婚約解消を告げられた日、捨てようとしたけど、可愛いくて気に入っていたから捨てられずに、ずっと引き出しの奥へしまっていたんです」
伯爵夫妻が顔を見合わせた。
「まさか」
夫人が呟く。
「あんな幼い頃から、そんな嘘を……」
伯爵も呆れるように息を吐いた。
「信じられん」
アーサーは拳を固く握り締める。
長年騙されていた事実。それによって、遠のいてしまったリリアンとの距離。
全てが一本の線となって繋がった今、アーサーは激しい怒りに包まれていた。
応接室には重い沈黙だけが落ちていた。




