22話(稽古)
隣国での上演が正式に決まった。
しかし、本当の苦労はここからだった。
団員たちは隣国の言葉での台詞に苦戦している。
劇団長が私の翻訳した台本を読み上げ、皆で何度も声に出して繰り返す。
それでも長い台詞になると、途中で止まってしまった。
「申し訳ありません、アーサー様。耳で覚えるのは得意なんですが……」
そう言って劇団長が頭を下げる。
私は台本を見つめた。
読み書きが苦手なら、文字だけに頼るのは確かに難しい。
「少し、お借りしてもよろしいですか」
私は羽根ペンを取り、台本へ小さな印を書き込んでいく。
「これは?」
「場面ごとの目印です」
朝の場面には太陽。
悲しみの場面には涙。
戦いの場面には剣など。
台詞ではなく、場面を思い出せる印を書き添えていく。
「これなら次の場面を思い出しやすいはずです」
劇団長は目を丸くした。
「なるほど……! そんな手があるのですか。流石です、アーサー様」
「いえ、私も台本を見ていてたまたま思いついただけなんです」
「いやー、目の付け所が違います」
その日から稽古のやり方が一から変わった。
まずは、劇団長が一文ずつ読み上げる。
劇団員たちはそれを繰り返し声に出し、印を見ながら場面を思い浮かべる。
最初はたどたどしかった発音も、日を追うごとに滑らかになっていった。
それから数日後。
「アーサー様!」
主演の俳優が嬉しそうに駆け寄ってくる。
「最後まで詰まらずに言えました!」
その声につられるように、他の劇団員たちも笑みを浮かべた。
「では、通してみましょう」
劇団長の声で始まった初めての通し稽古。
途中で止まる者は一人もいなかった。
最後の台詞が終わると、稽古場は自然と拍手に包まれる。
「できた……!」
団員の誰かが呟く。
劇団長は目を潤ませながら私へ頭を下げた。
「アーサー様。本当にありがとうございます」
「礼を言うのはまだ早いですよ」
私は笑って答えた。
「本番はこれからです」
皆が力強く頷く姿を見て、私は胸の中で苦笑した。
(それにしても、当初の目的はディアナ嬢に近づくためだったとはいえ、ずいぶん大掛かりになってしまった)
だが、ここまで来た以上、中途半端で終わらせるつもりはない。
殿下を巻き込み、有力貴族にまで力を貸していただくのだ。
隣国で、幕が上がってからが本当の勝負だ。必ず成功へ導いてみせる。
そう思った時だった。
「アーサー様」
声をかけてきたのは、主演の俳優だった。
「少し、お聞きしてもよろしいでしょうか?」
「何でしょう?」
彼は少し言いにくそうに口を開く。
「ディアナ様のことなのですが……」
その名前を聞いた瞬間、私は嫌な予感がした。
「最近、どうして私に声をかけてくださらなくなったのでしょうか? まるで避けられているようで……何か失礼なことでもしてしまったのではないのかと」
「……」
「以前は、私の演技を褒めてくださったり、話しかけてくださったりしたのに……近頃ではまるで別人のようです」
彼は一度言葉を切り、慌てたように付け加えた。
「もちろん、ディアナ様は私たち劇団を支援してくださっているお方です。私も、それ以上のことを望んでいるわけではありません。ただ……以前とあまりにも態度が違うので、何か気に障ることをしてしまったのではないかと思いまして」
その言葉を聞き、私はすぐに察した。
彼は、ディアナ嬢との関係を私に知られまいと、必死に隠そうとしているのだ。
それが分かるからこそ、かえって申し訳ない気持ちになった。
彼が何か悪いことをしたわけではない。ディアナ嬢は、私に彼との関係を知られたくないのだろう。そのために、彼を遠ざけているだけなのだ。
(……すまない。君に本当のことを話すわけにはいかない)
私は心の中で、彼に詫びた。
「ディアナ嬢にも、何か事情があるのでしょう」
そう答えると、彼は納得しきれない様子ながらも頷いた。
「そう……ですか」
それでも彼は、どこか寂しそうだった。
その横顔を見ながら思う。
(彼には……何の罪もない。それなのにこんな思いをさせてしまった)
しかし、それでも私は計画を止めるつもりはなかった。
すべては、リリアンのためなのだから。
とはいえ、彼をこのまま放っておくつもりもない。
私は心の中で、彼に約束した。
(大丈夫だ。隣国へ渡ったら、ディアナ嬢よりもずっと誠実で、もっと高位の貴族令嬢を紹介してやろう)
だから今だけは、稽古に集中して彼女のことは忘れていてくれ。
そう願わずにはいられなかった。




